キミが笑えば 三,ミューズの加護

①    

♯ 庭先

朽ちた木のベランダの上。手足を投げ出して眠る猫。

〈タイトル・ミューズの加護〉

♯ 北橋中学・階段踊り場(掃除の時間)

〈字幕・一九七六年二月〉
モップを持ってふざける男子生徒三人。うち一人は石川。
階段の下から箒を持った女子生徒が見上げている。

女子生徒  「(見上げて)こら、男子。ちゃんと拭く」

石川、その言葉に反応して首を向ける。
そのとたん、がくんと体勢を崩す。
おかしな体勢で力を加えたモップが踊り場の床をぶち抜いている。        慌てる男子たち。駆け上ってくる女子たち。

♯ 北橋中学・階段踊り場

椅子と机でバリケードの様に囲まれている穴のあいた場所。        『近づくな!危険!』の貼紙。

♯ 北橋中学・一年教室(同日)

理科の授業。黒板にフレミングの法則の絵。
そろそろと戸を開けて入ってくる石川たち三人。
とたんにざわめきだす生徒たち。
最後に入ってきた石川に拍手喝采。
席に着く石川にあれこれ声をかけている様子。
石川は大丈夫という手振。
波が引くように静かになる。

教師    「このフレミングの右手の法則は、イギリスの物理学者ジョン・フレミングによって考案されたものだけど、発見したことに自分の名前をつけるってのは何というかロマン、だよね。みんなは将来の夢とかある?」

生徒たち、軽く固まる。

教師    「(手前の女子生徒を指して)じゃあ、この列」  
女子生徒  「(立ち上がって)イラストレーター」
女子生徒  「(立ち上がって)オーケストラに入りたい」

前から順番に答えていく女子たち。軽くリアクションする生徒たち。        片肘をついて聞いている石川。

石川    「(モノローグ)答が職業に流れちゃったな」

答が続いている様子。

石川    「(モノローグ)幻想と現実の端境期なのにな」

淡々とした雰囲気になってきている。

石川    「(モノローグ)白い曼珠沙華を見に行くとかじゃだめなのか」

女子が最後尾まで来たところで。 

教師    「じゃあ隣、石川」

石川、不意をつかれた感じでばっと立ち上がる。

石川    「(前屈みに机に両掌を突いて)詩人」

一瞬の静寂のあと、教室中からどっと笑い声。
石川、きょとんとした顔で周りを見廻している。
そのまま立ち上がっていて何か云いたげな素振を見せるが、あきらめてストンと席に着く。
賑やかな教室。授業に戻ろうと静める教師。

石川    「(モノローグ)洗脳した人物はいた」

♯ 石川家・手前(同日)

自転車で帰宅する石川。薄暗い。
家の前に隣家の長女(甲野かほる・大学一年)が立っている。

かほる   「(石川に気づき)あっケンちゃん、おかえり」
石川    「(自転車を止めて)早いじゃん」  
かほる   「うん。もうほとんどお休みよ」

家の中から、石川兄(悟・高校一年)が猫(ブカロ)を抱えて出てくる。 

悟     「ほい(ブカロをかほるに渡す)」
かほる   「ありがと」

かほる、ブカロを抱き直してから、石川の方を向き。  

かほる   「こずえね、立聖合格したの」
石川    「おおっよかったじゃん」
かほる   「自分で云いにくればいいのにね」
石川    「まあ、照れるんじゃない」
かほる   「悟ちゃんいろいろありがとうね」
悟     「(無言で返事)」

場面、少しずつ引き、石川家と甲野家の全景に。
新しく瀟洒な石川家と砂利道を隔てて隣接する木造平屋の四軒屋のうちの一軒の甲野家。

石川    「(モノローグ)オレたちが、ここに引っ越してきた時から、かほるの偶像崇拝の対象は、アイドルでも、漫画の主人公でもなく」

♯ イメージ

セーラー服(北橋中学の制服)姿のかほる。
ランドセルの悟、石川、こずえ。

♯ 石川家・手前

ブカロを抱くかほる。

石川    「(モノローグ)『詩人』だった」

悟と話しているかほる。

石川    「(モノローグ)今のオレたちは、キレイに、大学生と高校生と中学生と小学生に仕分されて、一緒に通学することもないのだが、それでもコミュニケーションがとだえないのは」

かほるの腕の中のブカロ。

石川    「(モノローグ)甲野家の猫・ブカロが頻繁にうちに出入りしているからだ。実際のところ、もはや所属は曖昧」

悟の横顔。

石川    「(モノローグ)のみならず」

♯ 石川家・悟の部屋(回想・春先) 

悟、椅子に座っている。石川、悟のベットに座っている。

石川    「立聖?また無謀な」
悟     「そうでもないんじゃない」
石川    「いや、学力よりも、なんか雰囲気がさ」
悟     「(少し納得)」
石川    「(モノローグ・ナレーション)私立の中学を受験するというこずえの家庭教師を悟ちゃんが引き受けた」
石川    「かほるが教えりゃいいじゃん。国立受かったんだし」
悟     「まあそうなんだけどさ。オレの方が現役近いしさ」
石川    「(聞いている)」
悟     「身内より他人の方がいいみたいだし」
石川    「(モノローグ)愚問だった」
悟     「あまのじゃくだし」
石川    「(モノローグ)引き受けたいんだ」

♯ 甲野家・姉妹の部屋(回想・春先)

木枠のガラス戸を空けたところ、
内側が姉妹の部屋(畳)、外側がベランダ(木)。
ガラス戸を大きく開けて、ちゃぶ台で悟がこずえに勉強を教えている。
石川、ベランダに座ってブカロにかまっている。

かほる   「(中から顔を出して)ケンちゃん、ケンちゃん」
石川    「何?」
かほる   「今日から私もケンちゃんに指南してあげる」
石川    「何?(警戒)」
かほる   「詩人の心得を」
石川    「(びっくり)」

悟とこずえも手を止めてかほるを見る。

かほる   「だって、ケンちゃんは詩人なんだもの」

屈託のないかほるの表情。憮然とする三人。

♯ 北橋中学・体育館

体育の授業。男子はバレーボール。
男子生徒が石川にボールをトス。

男子生徒   「ほれ、詩人」

石川、それをきれいにアタック。

男子生徒(複数)「詩人アタック―」

石川、チームのみんなとハイタッチ。

♯ フラッシュ 

かほる   「(人差指を立てて)詩人が、この世で生きていくのは大変なことなの」

♯ 北橋中学・体育館

続き。
みんなに囲まれて笑っている石川。

石川    「(モノローグ)詩人が、この世で生きていくのは大変みたいだ」

♯ 石川家・庭先

〈字幕・一九七六年三月〉 
自転車で登校しようとする石川。
家の前をのろのろと歩いているこずえと出くわす。
こずえは、立聖中学の制服姿。赤いベレー帽、とても可愛い制服。        (こずえのはっきりとした登場はここが初めて)
石川、自転車を止める。
こずえも立ち止まる。

こずえ   「今日、卒業式なのよ」
石川    「そっかあ。南小、中学の制服で卒業式するもんなあ。かっこいいじゃん。目立つぞ、それ。ほとんど北橋だから」
こずえ   「(俯いて)私も北橋がいい」
石川    「(びっくりするが、すぐあきれた様子で)勉強したのに」  こずえ   「(俯いている)」
石川    「(モノローグ)さびしくなっちゃったか」

石川、何か助け舟を出そうとするが、その矢先。

こずえ   「(俯いたまま)セーラー服が着たかったの」
石川    「(予想外)」
こずえ   「(俯いたまま)私、一生セーラー服着られないね」
石川    「水兵さんになれよ」
こずえ   「(上目遣いで見る)」
石川    「原点だ」
こずえ   「(上目遣い)」
石川    「(両家の間の砂利道を片手を伸ばしてさっと切って)今年からここに新しい学区の境界線ができたんだ。どっかにあるんだよな。本物。こんな平らな町。何で区切るんだろうな。川か。橋か」
こずえ   「(上目遣い)」
石川    「おめでと。云ってらっしゃい」

石川、すうっと自転車を発進させる。
こずえ、しばらくそれを見ていたが、とぼとぼ歩き出す。
逆に石川は曲がり角で自転車を止めて、それを見る。
こずえの後姿。制服の大きさが目立つ。

石川    「(モノローグ)制服に操縦されてるみたいだな」 


♯ 石川家・悟の部屋

〈字幕・一九七七年一月〉
ジャージ寝巻姿の悟。
カーテンを少し指で開けて、外を見下ろしている。
階段をバタバタと駆け上る音を聞いて、ベッドの上に寝ころぶ。
扉をパンと開けて石川が入ってくる。

石川    「悟ちゃん、まだ寝てるの?もうみんな出てっちゃったよ」

卓上の時計、一月四日。十時十五分。
悟、毛布を胸元まで引っ張り上げる。

石川    「かほるが着物着てた」
悟     「(気がなさそうに)ああ。今年成人式だったな」
石川    「初めて見た。別人みたい」

石川、また慌しく階段を降りていく。
残された悟。ぼんやりしている。

悟     「(独り言)別人…かほると。それともオレたちとか」

再び階段をバタバタと駆け上る音。石川が入ってくる。

石川    「こずえが美術館行かないって。行かない?」
悟     「(寝ころがったまま)行かない」

石川、部屋を出て行く。
悟、そのまま寝ころがっているが、枕元の本が手にあたり、仰向けからうつ伏せの体勢にくるりと変わる。暫く本の頁をめくっていたが、そのまま顔を枕に沈める。

悟     「『林檎みどりに結ぶ樹の下におもかげはとはに眠るべし…』」

♯ 駅

石川とこずえ。
石川、切符を買っている。
こずえ、改札で定期券を出す。石川、もの珍しげ。       

♯ 電車の中

入口に凭れて立つ二人。
こずえの手元に定期入れ。PEANUTSの柄。

石川    「(膨れた定期入れを見て)なんかいろいろ入ってるな」  こずえ   「うん。入れ物があると中身ができるんだ」

石川、ポケットから生徒手帳を出し、開く。カバーに千円札と小銭が挟まっている。荷物はそれだけ。再び生徒手帳をポケットに納める。

石川    「(モノローグ)学校嫌いのサリーブラウン」

定期入れのアップ。HAHAHAと笑っているサリーブラウン。

石川    「(モノローグ)だけどもいつも楽しそう」

外を見ているこずえ。

♯ 駅前通

美術館までの道を歩く石川とこずえ。

こずえ   「(びっくりして)えっ県美初めてなの?」
石川    「うん」
こずえ   「珍しい」
石川    「そりゃ、こずえはずっと美術部だからさ」
こずえ   「だって、デートの定番だよ」
石川    「(びっくりするが、急に)ああ、それでか」
こずえ   「(何?って顔)」
石川    「悟ちゃん来なかったの。なんかトラウマあったのかも」
こずえ   「それはないよ」
石川    「(そうですかって顔)」
こずえ   「そんなのあったら、今日行って上書きするよアノヒトは」

♯ 美術館

アンリ・マティス展。
ゆっくりと見ている石川とこずえ。会話はない。

♯ 美術館

常設へとつながる場所。
ベンチに座ってジュースを飲む二人。

こずえ   「(おしゃべり解禁のように)絵って損だわ」
石川    「損?」
こずえ   「音楽だったら好きじゃなきゃきかないけど、絵は好きだって思わなくても評価やそれに伴う金額で手に入れられちゃったりするじゃない。音楽は独占されないけど、絵は所有されちゃうもの」

石川、しばらくジュースを飲んでいたが、突然立ち上がる。

石川    「オレも所有しよ」

石川、売店の方へ行く。
ポストカードを選んでいる。
こずえ、ぽかんとして見ている。
石川、戻ってきてストンと座る。

石川    「(ポストカード・袋に入っているので中は見えない・をひらひらさせて)この人は、オレに所有されて幸せだと思うけどなあ」

こずえ、ぽかんとしている。

こずえ   「ケンちゃん、変わったね」
石川    「(へって表情)」
こずえ   「ケンちゃんはもっとその身を憐れむタイプだと思ったけど。とことん。私に負けないくらい」
石川    「ネガとポジのネガの方か」
こずえ   「そう(ちょっと満足げ)」
石川    「(ポストカードの包みを見乍ら)感化されたのかな」

♯ フラッシュ

三上。

♯ 美術館

続き。

こずえ   「(石川の顔を見る)」
石川    「転校生がいてさ」
こずえ   「(聞いている)」
石川    「北海道からなんだ。寸断だ。でも大丈夫なんだってさ。物理的変化は化学的変化に如かないんだって」
こずえ   「(聞いている)」
石川    「(モノローグ)忘れていた」
こずえ   「(石川の顔を見ている)」
石川    「(モノローグ)八ヶ月もだ〕
こずえ   「(石川の顔を見ている)」
石川    「(モノローグ)こずえに話したかったことを」
こずえ   「(立ち上がって)私も買ってこよ。絵葉書」

♯ 帰り道

石川とこずえ、駅までの道を歩いている。

こずえ   「私、北橋がよかったの」
石川    「(モノローグ)北橋が、かよ」
こずえ   「でもね。勉強会、楽しかったし」
石川    「(聞いている)」
こずえ   「(石川の顔を見て)受かったら悟ちゃんのせい。落ちたらケンちゃんのおかげ」
石川    「(なんなんだよって顔)」
こずえ   「(少しの間)(俯いて)ほめられたかったのよ」
石川    「(応戦の体勢だったのにくじかれる)」
こずえ   「なんかでも、結局困らせてる。かほるちゃん、晴着いらないって云ってたのよ。もともとそういうものずっと我慢してきた人だったし。当たり前みたいにさ。興味ない振りしてね。大学もね。東京の私立の推薦枠勧められてたの。有名なとこ。国立受かったときに親が話してたの聞いちゃったんだよね。夜。パパとママと二人で。ほっとした様子で」
石川    「(聞いている)」
こずえ   「私ばっかりになっちゃうからさ。かえって頑張っちゃった。うちの親」
石川    「いっしょに着られるからいいじゃん。晴着」
こずえ   「うん」

こずえ、気が晴れた様子、軽く伸び。石川もちょっと安心。

こずえ   「悟ちゃんは悟ちゃんでなんかややこしいし」
石川    「(えって顔)」 
こずえ   「晴着ひとつとってもね。何なんだろうね。過敏。すねてるって云うか。それで、そんな自分見て傷ついてる。プライドぴかぴかだから。で、何事もない振りしてる。馬鹿にしたみたいに。ややこしいわ。アヤツは」
石川    「(聞いている)」
こずえ   「みんな二年になっちゃて。だんだん落ち着いて。でも知ってるところからは遠ざかる…」     
石川    「(モノローグ)何だか懐かしい気持になっていた。こずえはいつも一人で喋り続ける。ほんとだ。オレたち、久し振りなんだな」
こずえ   「(突然思い出して)あっでも、感化はダメだよ」
石川    「(急に、びっくり)」
こずえ   「ケンちゃんは詩人なんだから」
石川    「(固まっている)」 
こずえ   「最初からそうだったの。それを呼び起こされただけ。その人に」
石川    「(固まったまま)」
こずえ   「晴着は、きれい。それが、詩人」      

♯ 石川家・石川の部屋(朝・数日後)

ストーブの前で着替える石川。窓の外を見る。
薄暗い中、こずえが出て行くのが見える。

石川    「(モノローグ)学校が始まる」

石川、曇ってきた窓ガラスを手で拭う。

石川    「(モノローグ)末っ子姫の国は遠い」

♯ 両家の間・砂利道(朝・数時間前の様子)

家を出るかほる。真暗。白いもの(犬や花)だけが見える。

石川    「(モノローグ・ナレーション)第一王女は真っ暗闇の中を出て行った」

♯ 石川家・一階階段そば(朝・現在) 

学生服の石川。降りてくる悟と会う。悟は私服。

石川    「おはよう」
悟     「(半分寝ている)おはよう」


♯ 北橋中学・二年三組(数日後・昼休み)

教室入口を覗き込んでいる男子生徒。手には教科書。
三上が声をかける。

三上    「ケンちゃんならいないよ」
男子生徒  「どこいった?」
三上    「部長会議。体育館」

教壇の周りには数人の女子生徒。色とりどりのカーディガン。

女子生徒  「部長会議…」
女子生徒  「会社みたい…」  

さわさわと笑っている。
男子生徒、三上に教科書を渡す。

男子生徒  「これ、返しといてくれる?詩人に」
三上    「詩人?」

教壇前の女子生徒たち。反応してさわさわ。

女子生徒  「三上くん、知らないんだ」
女子生徒  「テンコウセーだから」
女子生徒  「えっ私も知らない…」

♯ 北橋中学・二年三組(同日・午後の授業の前)

三上、石川に預かった教科書を渡している。

三上    「石川くん、詩人なの?」
石川    「うん」

三上、そのまま席に戻ろうとする。
石川、少し慌てて、呼び止めるように。

石川    「詩人ってさ…火星人とか、そんなのと同じなんだ」
三上    「へー」

♯ 甲野家・姉妹の部屋(回想・石川、中学一年)

ちゃぶ台を囲んでいる四人。
ガラス戸は全開。勉強は小休止の様子。

かほる   「森じゃなくて林なの」
石川    「(よくわからない)」
悟     「主食はビスケットか」
かほる    「うん。ちょっと固めの」
こずえ   「何か野生動物の習性みたい」
かほる   「そう。(石川の方を見て)生まれつき、なの」

石川、きょとんとしている。
悟とこずえ、参考書を開く。
ベランダの朽ちた木のところに手を掛けて伸びているブカロ。

石川    「(ブカロににじり寄って)オマエ、ここばっかだな…」

かほる、石川の隣に来てしゃがみ込む。

かほる   「ブーのいる所はいつも違うのよ」
石川    「(はてな顔)」
かほる   「(ブカロに)私のそば。こずえのそば。私とこずえの間。ケンちゃんと私の間」

♯ 北橋中学・二年三組(午後の授業の前)

続き。 

三上    「(石川の顔を見て)石川くん、詩人なんだ」
石川    「うん」

♯ 駅前通(美術館のある駅)(数日後・夕方)

霧の様な細かい雨が降っている。
石川、本屋を出てカサを開く。部活の用事を済ませた帰り。制服姿。

かほる   「ケンちゃん?」

駅の階段の前。晴着姿のかほるが立っている。

かほる   「やっぱりケンちゃん。男の子でそんな明るいオレンジのカサ持ってる子いないもの」
石川    「成人式」                               
かほる   「うん。北橋の同級生とぜんざい食べてきた。着物だとそうなっちゃうね。様式美だね。ケーキじゃないね」

かほる、そこまでまくしたててから、ふーっと息をつく。

かほる   「雨だねえ。足元からじわじわ来るわ」
石川    「車でばーんと送ってくれるやつとかいないのかよ」
かほる   「(少し笑ってみせてから)北橋の制服。ずいぶん遠くに来ちゃったなあって。思ったのよ。今日。でも目の前にいるんだもん。中学生。キミはそこにいるんだものね。まやかしみたいね」
石川    「(モノローグ)晴着は、きれいだ」


♯ 石川家・玄関(数日後・夜)

電話のベル。走ってきて電話を取る石川。

電話の声・悟 「ケンか」
石川    「うん」
電話の声・悟 「(慌てているというよりは、ほっとした様子で)オレさ、終電乗り遅れちゃってさ、帰れないんだよ」
石川    「(ちょっとびっくりした顔)」
電話の声・悟 「信じられねえ、十時二十分最終だって」
石川    「どうするの」
電話の声・悟 「映画館行く」
石川    「わかった」
電話の声・悟 「始発で帰る」
石川    「わかった」

石川、電話を切る。切ったところでもう一度コールされる。

石川    「(電話をとって)何」
電話の声・こずえ 「ケンちゃん?」
石川    「(悟じゃなかったので驚いて)何だ。どしたの」
電話の声・こずえ 「ちょっと降りてきてくれないかな」

石川、玄関からつっかけで外に出る。
砂利道の真中に花柄のちゃんちゃんこを着たこずえが立っている。

こずえ   「ブーが帰ってこないのよ」
石川    「うちにはいないよ」
こずえ   「かほるちゃんも今日帰らないのよ」
石川    「ふーん」
こずえ   「サークルの新年会だって。二次会の後部室で泊りがけで三次会だって」
石川    「こないだも新年会だって出てかなかったっけ、あの、正月の、着物着てた時」
こずえ   「あれはOB会って云ってた」
石川    「大学のサークルってのは賑やかしいんだなあ」
石川    「(モノローグ)かほるのサークルが思い出せない。中学校のときから逐一報告を受けていたのに。何かしら。着物がないと淋しいのかな。これじゃまるで…」
石川    「悟ちゃんも今日帰んないんだ」
こずえ   「(目が醒めたみたいに)どうして」
石川    「コンサート行ったんだけど、終電乗り遅れたって」
こずえ   「それってすごいわ」
石川    「そうか?」
こずえ   「悟ちゃんがそういうのって(少し間を置いて)変。あのソツのないヤツが」
石川    「そうでもないよ。悟ちゃんだって。嗜好も変わるし。行動パタンも変わる。今日だってさ、オレ全然知らない人の。ライブハウス。オレと同じLP知らずに買っちゃうことももうなくなっちゃった」

空に冬の三日月。
どこからかブカロがやってきて二人の間に座り込む。

石川    「今日は誰かが帰らない日なんだ。なんでも名前をつけちゃえばたいしたことじゃなくなるんだって。ミルポワルの町の人たちも云ってた」
こずえ   「かほるちゃんの本だ」

♯ 光景(数年前)

甲野姉妹から本を受取る悟。
二段ベッドの上の段で読んでいる悟。
読み終えて石川に渡す悟。しきりに解説している様子。
モーリス・ドリュオン『みどりのゆび』表紙。

石川    「(モノローグ・ナレーション)ミルポワルの町に神出鬼没に花が咲く。おえらい人たちが調べても、原因はわからない。慌てる大人たちに名案。ミルポワルの名前を『花の町ミルポワル』に変える。そして一安心」

挿絵『花の町ミルポワル』。

♯ 両家の間・砂利道

続き。
こずえ、屈み込みブカロを抱き上げる。

こずえ   「(ブカロに)どこ行ってたの?迷ってたの?捜してたの?」

♯ 北橋中学・二年三組(数日後・放課後)

夕刻の日が伸びる教室。
三上と石川。

石川    「三上くんが詩を書くんだ。(少し間)ドロップは」
三上    「うん。(少し間)藤部くん、恥ずかしがりやだもの」
石川    「はばむもの、だな」
三上    「詩なんて誰にでも書けるよ」
石川    「故郷、悲しみ、電車、恋か」
三上    「議事録だって曲付ければ詩さ」
石川    「(聞いている)」
三上    「でも、詩人は違うんだろ?」
石川    「(びっくり・愕然)」 
三上    「詩人が詩を書くのは、全然別のことだろう?」

♯ フラッシュ

かほる   「(人差指を立てて)詩人はホカノヒトと違うの」     

♯ 北橋中学・二年三組(放課後)

続き。
石川、三上の前で立ちつくしている。
廊下を歩いていたテニス部の後輩たちが、二人に気づいて覗き込む。

男子生徒  「寒くないんですか?」

気がつけば、空が群青色。暗くなっている教室。


♯ 石川家・悟の部屋(数日後・深夜)

悟、部屋で机に向かっている。勉強。
石川、軽くノックして入ってくる。

石川    「起きてた?これ、オレの方に混じってた」

洗濯物のスポーツタオルを渡す。
外から車の音。
石川、カーテンを少し指で開けて窓の外を見る。

石川    「かほるちゃん、午前様だ」
悟     「(タオルを片付け乍ら)ダラクしたよな」

石川、困った顔で悟を見る。悟は無関心の体で机に戻る。

石川    「(モノローグ)楽しいことが、増えたのだ」

石川、カーテンを閉じる。

石川    「(モノローグ)かわいいこと、おいしいこと、楽しいこと、きれいなこと、それらを自分の周りに置こうとすることはとても正しいことだと思う」
悟     「(参考書から目を上げずに)車もう行ったか」
石川    「まだ止まってる」

♯ 石川家・悟の部屋(翌日・日曜の朝) 

悟が脱ぎ捨てたカーディガンの上で寝ているブカロ。
カーディガンは昨夜悟が寝巻きの上に羽織っていたもの。

# 石川家・玄関(同日・午前)

ブカロを抱いて玄関を出ようとする石川。
悟が、二階から降りてきて呼び止める。

悟     「ブーを返すなら、こいつもいっしょに返してきてくれ」

悟、石川に文庫本を渡す。

悟     「かほるに」

石川、窮屈な体勢で文庫本を持ち乍ら、その表紙を見る。
 『一月の新刊』の帯。

石川    「(モノローグ)こんなのいつ借りたんだろ」

♯ 甲野家・庭先

ベランダの前にブカロを抱いて立っている石川。
こずえがベランダから出てくる。

こずえ   「かほるちゃん、今起きたとこなのよ」

こずえ、何かの仕返しの様にガラス戸を大きく開ける。
ちらりと姿が見えたかほる。奥に逃げ込む。

こずえ   「あっ逃げた。連れてくるね」

ブカロと共に取り残される石川。
ベランダから手を伸ばせばすぐのところにスケッチブック。 

♯ 美術館(回想)

展示の中盤。
石川とこずえ。絵から離れた部屋の中央で。

こずえ   「この絵を描いた人はとても幸せだったんだって」
石川    「幸せ?」  
こずえ   「仕事は成功。家庭は平穏。長生きだし」
石川    「ふーん」
こずえ   「珍しいよね」
石川    「そうかなあ」
こずえ   「そうだよ」
石川    「敢えて取り上げられないだろ。なんもなかったら」
こずえ   「ねえ、どうして人は作品に背景を求めるかなあ」
石川    「背景?」
こずえ   「過程の不幸。未来の破滅」
石川    「仕方ないんじゃない。二重に味わうっていうかさ。厚みが増すっていうか」
こずえ   「(上目遣い)」
石川    「(ちょっと不満)オレ、今上手いこと云わなかったか」
こずえ   「(上目遣い)」
石川    「あとづけ、ってのもあるし。なんかあるんじゃないかって、やっきになって捜す。傑作だったらさ」
こずえ   「私そういうの好きじゃないな」
石川    「(聞いている)」 
こずえ   「作品が全て」
石川    「(聞いている)」
こずえ   「完璧な完成品だけ見せつけられたい」

♯ 本屋(回想)

片手にオレンジのカサ、片手に音楽雑誌の石川。
マティスの本を見つけ、手に取る。

石川    「(モノローグ)(本を開いて)『私はいつも自分の努力を隠そうとしてきましたし、それに費やした労力が誰にも感じられないような、春の軽やかさや喜びが作品から生まれることを望んできました…』」

♯ 甲野家・庭先

続き。
石川、ベランダに腰掛けて、スケッチブックをめくっている。        焦茶色のクロッキー。

石川    「(独り言)基本、基本、基本、下積み、努力、退屈、あ、落書、再び基礎、練習、習作、でも美術館行くとこんなのも展示してあるな、怒るかな…」

しばらくすると白紙の頁。石川ぱらぱらとめくっていく。
最後の頁に走り書き。

石川    「(きょとんとして見ている)」

『〈オレンジ第三群〉
第一群 夕焼、キンモクセイ
第二群 柿、リップクリーム
第三群 ケンちゃんのギター、ブカロ』

石川    「なんだこれ」

こずえ、再びベランダに出てくる。

こずえ   「寒くないの?」

石川がスケッチブックを見ているのに気づき。 

こずえ   「あ(というと同時にスケッチブックを取り上げる)」

こずえ、スケッチブックをパタンと閉じてから、もう一度ゆっくりと頁を開き、最後の頁を見つめていたが、突然びりびりとはずす。

こずえ   「(石川に渡して)ケンちゃんにあげる」
石川    「(受取って)何だこれ」
こずえ   「三つの仲間わけの違い、わかる?」
石川    「(見乍ら)第一群、正当第一級のオレンジ色、第二群がまあよしとするオレンジ色、第三群がちょっと無理があるけどかろうじてオレンジ色」
こずえ   「さすが」

花柄のちゃんちゃんこをはおったかほるが顔を出す。はれぼったい目。

石川    「(文庫本を渡し)悟ちゃんが返しといてって」
かほる   「(受け取って)なんで自分で来ないかなあ」

ブカロがかほるの足に擦り寄る。

こずえ   「みんなかほるちゃんが好きね」

 


 ♯ 北橋中学・自転車置場(数日後・朝)

自転車を止め、下駄箱に向う石川。
登校する生徒たち。

女子生徒  「寒いね」
女子生徒  「雪降ってなかった?」

 ♯ 北橋中学・下駄箱(同日)

石川に声をかける三上。

三上    「また降ってきたよ」
石川    「おー」
石川    「(モノローグ)今日はどの国でも、雪が降った挨拶をしているんだろうな」

 # イメージ

朝の学び舎の風景。
かほる。悟。こずえ。藤部。

 ♯ 北橋中学・二年三組(同日・昼休み)

石川、教師に頼まれて教室に大きな段ボール箱を運んでいる。        汗をかいた様子。学生服を脱ぐ。

 ♯ 北橋中学・二年三組(同日・昼休み・少し時間経過)

カッターシャツ姿で男子生徒数人と歓談する石川。

女子生徒  「(通りすがり、石川に)寒くないの?そんなかっこで」  石川    「(モノローグ)みんながオレに寒くないかと聞く」

 # 北橋中学・二年三組(同日・放課後)

下校支度をする生徒たち。
三上が石川に声をかけている。

三上    「(ちょっと厳しく)まっすぐ帰るんだよ」
石川    「うん」
三上    「(見ている)」
石川    「何かがオレに歩みよっているのがわかる」

 ♯ 石川家・石川の部屋(同日・夕方)

二段ベッドの下の段に、寝巻姿で寝ている石川。
二段ベッドは兄弟一緒の部屋の頃に使っていたもので、年季もの。
両親は共に仕事に出ている様子で、一人で自分の面倒を見るのに手馴れた様子。
体温計で熱を計り、結果を見ている。

石川    「(モノローグ)三十七度五分…」

頭に濡れタオルを乗せて眠る石川。
目が覚める度に体温を計る。(少しずつ時間経過)

石川    「(モノローグ)おもしろいように上がるや…」

ふとんに包まって寝ている石川。(時間経過後)
枕元に体温計(水銀)。三十八度後半を指している。 

♯ 石川家・石川の部屋(翌日土曜・朝)

ベッドで眠る石川。
机の上にはメモが置かれている。(学校に連絡した、食事は台所、等)      

♯ 石川家・屋内

無人の様子。

 ♯ 石川家・石川の部屋

石川、目が覚めた様子で、ぼんやりとしている。
枕元の時計、八時十五分。

 ♯ イメージ

朝の賑やかな教室。(黒板に土曜日の記述)
登校する生徒たち。自分の席。

石川    「(独り言)まだ来ない…」

朝の賑やかな教室。
席に着き始める生徒たち。
ぽつんと空いた自分の席。

石川    「(独り言)もう来ない…」

何事もなく始まる授業風景。

 ♯ 石川家・石川の部屋

ベッドの上の石川。
半分眠って半分起きている様な様子。
熱のためか、ふわふわしている。
部屋にこずえが入ってくる。制服姿。
石川、ぼんやりと見ている。

こずえ   「なんだ、起きてんの、つまんない。夢に登場しようと思ってたのに」
石川    「(やっと現実と判別できた様子で)おまえブーみたいだな。ウチに出入り自由かよ」    
こずえ   「悟ちゃん帰ってるよ。帰り道に会ったの。私じゃなくてブーに云ったよ。にゃあにゃあ主人は病気です」
石川    「(うわごとの様に)一番弱ってるやつがブーの主人か…」

石川、枕元の時計を見る。一時を過ぎているのを見て、少し驚いた様子。        こずえ、壁に凭れてしゃがみこむ。紺色のピーコートを膝の上に掛ける。

こずえ   「かほるちゃんがみかんゼリー作ったの、冷蔵庫」
石川    「(聞いている)」
こずえ   「かほるちゃんがお菓子作るなんて世も末だね」
石川    「(視線を向けて)おまえ、悟ちゃんみたいなこと云うな」  こずえ   「(俯き加減)似てるのかな」
石川    「(上を仰いで)おまえたち三人が似てんだよ。かほると、おまえと、悟ちゃんと」
こずえ   「そうかもしれない。(少し間)ケンちゃんは違うね。だから詩人権を得たんだ」
石川    「(うわごとの様)権利よいうより義務じゃないか…」

こずえ、ピーコートにくっついているブカロの毛をつまんで取り始める。

こずえ   「(取り乍ら)かほるちゃん、家、出たいのよ」
石川    「(ぼんやり)片道二時間だからな」
こずえ   「(少し間)好きな人、いるのよ」
石川    「(ぼんやり)そっか」
こずえ   「でも無理なの。うちそんな余裕ないもの。私のせい。私のおかげ」
石川    「(うわごとの様)その云いまわし、どっかできいたな」  こずえ   「かほるちゃんもわかってて、いっぱいアパートの本だけ買い込んで、眺めながら空想してるだけ。戯れてる」
石川    「(うわごとの様)好きな人ってさあ…」
こずえ   「そんなにうまくいってないんじゃないかな。うまくいく手段模索してる。まちがってるよね。どんどん悪くなるわ。かほるちゃん、知ってるのよ、そういうこと。法則みたいなもんじゃない。誰でも知ってる。知ってるのに…」
石川    「(モノローグ)そうだな。ききたいことなんかなかった。話は抽象的になる。望んだのだ」
こずえ   「私はいやだな。誰かの為にそんな風になっちゃうの。(少し間)やりたいことも、好きなものも、全部誰かの視点になる。私はどっか行っちゃう。いやだな。そんなの」
石川    「(上を仰いで)幸せかもよ」

こずえ、伏目がちに石川の方を見る。目線が石川と同じ高さ。

こずえ   「(再び俯き加減)いやだな」
石川    「(上を仰いで)プライドの高いやつの方が足元をすくわれやすいんだよ。がんばって孤高を守りたまえ」
こずえ   「ひとりぼっちは淋しいな」
石川    「好きなように」

石川、目を閉じる。まぶたが熱い。

こずえ   「私、誰かを守りたいな」

目をつぶっている石川。   

こずえ   「自分を守るのと同じ様に。静かな力。そんなに何度も使えない力。永遠で普通の力。とっておきの魔法。ありふれた平凡なものの別名。でも必然。意志。私、云うのよ。アナタは大丈夫」

石川    「(モノローグ)子守唄か…」

石川、薄目を開ける。

石川    「(モノローグ)(上を仰いで)ベビーサークルの中にいるみたいだ」

体操座りのこずえ。ブカロの毛を取り続ける。

石川    「(モノローグ)彼女はこの会話がオレの記憶のおかしな隙間に潜り込むことを考慮して話しているのだろうか。隠し扉や、納戸にしまいこんだ古い机の抽斗のような。ある日忽然と思い出す場所に」 

部屋に悟が入ってくる。

悟     「みかんゼリー食おう」

 ♯ 石川家・石川の部屋(少し時間経過)

カーペットの上にお盆。空になった茶碗と薬。
石川、悟、こずえ。みかんゼリーを食べている。

悟     「昔は四人のうち誰か一人が風邪ひくとさ、連鎖してばたばたと倒れたよな」
石川    「風邪ひくと必ずみかんの缶詰食べたよな」
こずえ   「じゃあこれ、何かの名残…」
悟     「(独り言のように)ノスタルジイ発動か」

 ♯ 北橋中学・二年三組(翌月曜・朝)

石川が、三上にノートを渡している。
三上は着席している。

石川    「ありがと」

 ♯ 石川家・玄関(前土曜の午後)

ノートを持って立っている三上。

 ♯ 北橋中学・二年三組

続き

三上    「もういいの?」
石川    「うん」
三上    「ああそうだ」

三上、カバンの中をかさかさ探り始める。
ハガキ大の紙の束を取出す。

三上    「(紙を一枚差出して)はい」
石川    「(受取る)」

紙の端に鉛筆で『男‐②』の表記。

石川    「なんだ、これ」
三上    「オレはこれ」

三上、『男‐⑰』の紙を見せる。

三上    「クラス文集。このスペースでね。自分の名前さえ書けば後は何書いてもいいから。あ、HBより濃い鉛筆でね。オレのとこ持ってきて下さい。締切はー三月九日」
石川    「文集委員なの」
三上    「石川くんが眠ってる間に」
石川    「ふーん(紙の束をめくっている)」
三上    「(カバンを片付け乍ら)詩を書けば?」
石川    「(めくり乍ら)うーん」

月曜朝礼を知らせるチャイムの音。続いて軽快な音楽。
席を立とうとする三上。

石川    「(呼び止めるように)なあ」
三上    「(んっ?って顔で石川を見上げる)」
石川    「詩人ってどこが違うんだ?」
三上    「(座ったまま見上げている)」
石川    「(ちょっとあせった様子で)あっあの…詩人じゃないのと」
三上    「(見上げ乍ら)(モノローグ)熱がまだ下がっていないみたいだ」

石川、立ちつくしている。ぞろぞろと教室を出ていく生徒たち。

三上    「(見上げて)オレのイメージはね。(視線を落として)チカラを持つ。すごい主観的なことでも、個人的な事件でも、ろ過しちゃうチカラ。そうして人に思い知らせるの。花はキレイとか。別れはツライとか。それが、詩人」
石川    「オレの知合いがね。詩人が詩を書くのは、鳥が空飛んだり、もぐらが土掘ったりする様なもんだって云ってた」
三上    「(見上げ乍ら)(モノローグ)相反しはしない。重なりもしない。双方から来て出会いそうな持論だ。大きな木の両側から手を回す様に。相手の姿は見えない。だけどつながる。でも」

立ちつくしている石川。

三上    「(見上げ乍ら)(モノローグ)石川は楽にはなれないだろう。オレじゃだめだろう」
石川    「空を飛ばなくても、鳥は鳥だよな」
三上    「うん」
石川    「詩人は詩を書かなくても許してもらえるのかな」
三上    「誰に」
石川    「ミューズ」

重なるように再びチャイムの音。


♯ 石川家・石川の部屋(数日後・早朝、明け方)

石川、ごそごそとする気配で目を開ける。
廊下に出ると、出かけようとする悟。

石川    「(半分寝乍ら)悟ちゃん、今日お休みじゃないの?創立記念日」
悟     「(ちょうどよかったって顔)バイト行く。遅くなるから」  石川    「三連休なのに」
悟     「三連休だからだよ」

階段を降りる悟を見送る石川。

♯ 石川家・ダイニングキッチン(同日・夜)

残業を見越してか、あれこれ用意されている台所。
石川、ぼんやりと椅子に腰掛けている。
時計を見上げる。七時近い。
電話の音。慌てて電話のところに走り受話器を取る石川。
石川、神妙な顔で、電話の相手と話している(というより聞いている)。
受話器を置いて、息をつく。
ゆっくりと二階へ上がり、悟の部屋を覗く。
悟のベッドの上にブカロ。
石川、ブカロがいたことに初めて気がついた様子。

石川    「(ブカロを抱き上げて)いったいどこから入ってくるんだろ」

再び電話の音。
石川、ブカロをだいたまま、のろのろと階段を降りて受話器を取る。

電話の声・こずえ 「ブー行ってるよね」
石川    「うん」
電話の声・こずえ 「もらいに行くね」
石川    「置いといてくんないかなあ」
電話の声・こずえ 「どうして」
石川    「誰もいないんだ」
電話の声・こずえ 「悟ちゃんも?」
石川    「うん」
電話の声・こずえ 「ひとり?」
石川    「ブーと」
電話の声・こずえ 「ごはん食べた?」
石川    「これから」

石川の手をするりと抜け、階段に向かうブカロ。

♯ 石川家(少し時間経過)

シンとした石川家。呼び鈴の音。
玄関を開けると立っているかほるとこずえ。

こずえ   「(お皿を両手で捧げるようにして)コロッケ。いっぱいあるから。揚げてあるよ」
かほる   「(後から覗きこむ様に)キャベツもあるよー(楽しそう)」

石川、二人を台所(ダイニングキッチン)に導く。
台所にはあれこれ夕食の準備がされている様子。
かほるとこずえ、様子がおかしいのに気づき、目配せ。
石川に促され、適当に椅子に腰掛ける。

石川    「知らない人から電話があってさ、悟ちゃんを説教してるとこだって」
こずえ   「何したの」
石川    「大学のさ、試験に潜り込んでさ、大学生のかわりに試験受けたんだってさ、バイト先の仲間といっしょに」
こずえ   「そんなの見つかるに決まってるじゃない(かほるの顔を見る)」
かほる   「うーん(微妙)」
こずえ   「(え?って顔)」
かほる   「でも、馬鹿だわ」
石川    「まずいよなあ」
こずえ   「うん」

食卓を囲んで、悶々とした様子でぽつりぽつりと会話をしている三人。        (あまり聞き取れない。「受験とか…(こずえ)」「あそこの高校きび    しかったっけ(石川)」「うーんどうだったかなあ(かほる)」等…)        

♯ 石川家・悟の部屋

呑気な顔をして伸びて眠っているブカロ。    

♯ 石川家(時間経過・夜) 

玄関先。どたどたと靴を脱いでいる悟。

走ってきて玄関先で出迎える石川。

悟     「(すたすたと入って来乍ら)(早口)ママまだ?ラッキー。セーフだって。向うだってみっともないからさ。ひっそり処分するみたい。まあちょっと尾を引くと思うけど。いろいろ聴かれたし。オレの所属を」

台所。甲野姉妹に気づく。一瞬ぎょっとした顔。

悟     「(早口)スキーに行きたいって云うんだもん。しょうがないじゃん、バイト先の先輩さ、一月から休みのとことかあってさ、おいてけぼりだって、かわいそうじゃん、それで…」

悟、喋り乍らそのまま階段を上がろうとする。
階段の前に立ちはだかるかほる。

かほる   「誰へのあてつけ?何へのあてつけ?自分のこと貶めてるってわかってるの?」
悟     「かほるはそういうとこ変わんないよな。金の心。銀の心か。キレイだこと」
石川    「オレのことうまく使おうとしたろ」
悟     「そうそう。すげーきたない。こんなもんだって」

ブカロ、階段を降りてきて悟の足元に擦り寄る。
こずえ、しゃがんで彼女の頭を撫でる。ころんところがるブカロ。

こずえ   「(ブカロに)悟ちゃんは小っちゃい頃からそう。いつも。お洋服汚さないように汚さないようにして。でも少し泥がつくと、もうどうでもよくなって。ぐちゃぐちゃにしたよね」

♯ 石川家・ダイニングキッチン(少し時間経過)

石川と悟と二人。

石川    「オールナイトの映画の時は何してたんだよ」
悟     「オールナイトの映画を見てた」

悟、冷たくなったコロッケをかじる。

# 石川家・庭先(翌休日・朝)

ちゃんちゃんこ姿のかほる。
二階の窓からかほるの姿を確認して、出ていく悟。

かほる    「謹慎中?」
悟      「うん。納戸の中」
かほる    「(何云ってんだかって顔)出てきていいの?」
悟      「かほるさんはいいんだよ。先生みたいなもんだからさ」  

♯ フラッシュ

かほる   「誰へのあてつけ?何へのあてつけ?自分のこと貶めてるってわかってるの?」

♯ 石川家・庭先

続き        

悟    「(うんざり)どうしてどいつもこいつもメンタルな面から攻めるかね。アナタタチは。向うで聞かれたよ。こづかい稼ぎかって。まずそこからだよ。そしてそこまで。なんて楽」
かほる  「くだらないことするからよ。十分な判定だわ」
悟    「せっかく三連休なんだからさ、もっとスリリングな事件だったらよかったな。オレさ、三日間逃亡するの。命危ないの。三日間逃げ切れば大丈夫なの」
かほる   「(悟を見ている)」
悟     「真夜中にドンドンって雨戸をたたくからさ。開けてよ」  かほる   「(目線を外して・以下発言時は目線を外している)しばらく見ないうちにずい分子供になったものね」
悟     「かほるさん大人になったから相対評価じゃないですか」  かほる   「馬鹿みたい」
悟     「(かほるを見ている)」
かほる   「お休み選んで。お休みじゃないとできない。模範生」
悟     「似たようなもんじゃない」
かほる   「(俯いている)」
悟     「脱出計画たてて」
かほる   「あれは(少し間)遊びよ」
悟     「こずえが気に病んでる」 
かほる   「出られないし。あの子わかってるし」
悟     「心配してる。(少し間)慢性化してるよ」
かほる   「悟ちゃんが絞られている間は悟ちゃんの心配してたわ」
悟     「つきゆびしてる時に骨折したら、つきゆびのこと忘れるか」  かほる   「骨折?」
悟     「そんなたいしたもんじゃなかったな。捻挫。そこまでも行かない。打撲くらいか。(下を向いて)勇気ないな、オレは。我身可愛いや」かほる   「そうだね」

かほる、顔を上げる。悟を見据えて。

かほる   「つきゆび!悟ちゃんにはわからない。ワタシのオモイなんか。私は泣かないでしょう。悟ちゃんの前では」


♯ 北橋中学・テニス部部室前花壇(連休明け・放課後)

石川と三上、花壇の前にしゃがんでいる。
スコップで花壇を耕している。

三上    「大変だったんだね」
石川    「うん。その時はね。メシ食えなくなるな」
石川    「(モノローグ)何だかもうずいぶん昔のことみたいだ。ごはんもいっぱい食べられる。でも、なんか置いていった。それを話したい。歪まずに伝わる人に…」

作業を続ける二人。

石川    「白い服は汚れが目立つ…」
三上    「(作業し乍ら聞いている)」
石川    「黒い服を探す…」
三上    「(作業し乍ら聞いている)」
石川    「でも、黒い服も汚れる…」
三上    「白いものがいっぱい付くんだ…」
石川    「(モノローグ)(三上を見ている)歪まずに伝わる人に」

作業を続ける二人。

石川    「(ちょっと元気になって)悟ちゃんとかほるはさ、昔からカシコイカシコイと花に水をやる様に云われてきたからなあ」
三上    「あれ、お姉さんもいた?」
石川    「ああ、かほるはさ、こずえの姉。こないだ来てくれた時見たろ、こずえ」
三上    「ああ、おかっぱ」
石川    「かほるさんはさ。(花の種をぱらぱらと蒔き乍ら)詩人を愛する人だよ」

# 石川家・石川の部屋(数日後・夜)

机に向かっている石川。
悟、二段ベッドの上段に寝ころんでいる。
下段にブカロ。

悟     「(独り言の様に、でも石川の背中に)オレ、こないだ帰んなかった時、かほるといっしょだった」

石川、振返る素振は見せない。
悟はおかまいなし。

悟     「地下鉄の乗換駅でかほるを見た」

♯ 地下鉄のホーム(回想)

友人二人と談笑し乍ら歩いている悟。
ぼんやりと歩いているかほる。真冬なのに、黒のドット柄のワンピースに薄いピンクのモヘアのカーディガン。
悟、見つけてちょっとびっくりして見ている。が、友人に何か告げ、軽くあやまる仕草を見せ、かほるを追いかける。(このあたりは語らない)

♯ 石川家・悟の部屋

続き。
頭の下に手を組んで、伏目がちの悟。

悟     「まだ、九時台だった。オレの顔見ると…」

♯ 地下鉄のホーム(回想)

かほると悟。
(ここから後、悟の語りに沿った場面・情景にかぶせて) 

悟     「オレの顔見ると、よおっなんて云って、ご飯食べに行こって云う。

(かほる、一転明るい表情。戸惑った様子の悟)
(少し間・ベッドで話している悟の表情をはさむ)

二駅歩いた。かほるは酒入ってる。でもしごくまとも。

(はしゃぎ乍ら歩くかほる。困った顔で着いて行く悟)

ドーナッツとアイスミルクだ。こっちでもある店で。

(にこにこしているかほる。不満げな悟)

そっからだ。駅に着いたら十時過ぎてて、かほるに家に電話しろって云ったんだ。そしたらお願いがあるって云う。ずっと昔からの夢だったって。何を叶えるのかと思ったよ。そしたらさ、終電が行っちゃうのが見たいって云うんだよ。ずっと昔?人生いつから始まったんだよ。でもきくことにした。なかなか人の夢叶える機会もないだろ?

(少し間・背中を向けて聞いている石川)

駅の次発の電車の掲示がパタパタ動くんだけど、どんどん無表示になっていってさ、最後の一つだ。駅員さんが云う。××方面最終、お急ぎ下さい。改札抜ける人はみんな走ってる。最後の表示が本の頁めくるみたいに動いて、何か、駅が目を閉じて眠るみたいだったな。

(ぼんやりと見ている悟。ちらりとかほるを見る。悟のいるのも忘れている様な心ここにあらずの表情)

終わっちゃうとかほるはこともなげに、映画館行こうって云った。いいなりだ。でもオレが保護者だ。そうだろう?地下街のシャッターは下りていたけど地上を歩くとたくさん明るくて行くとこなんていくらでもありそうな気がした。そうでもないのよってかほるは云った。

(歩く二人)(映画館の様子はなし)

オールナイトの映画観て、始発で帰った。

(朝の電車の中。すやすや寝ているかほる。片肘ついて窓の外を見ている悟)」

♯ 石川家・石川の部屋

続き。
伸びをするブカロ。 
石川、大きくは体勢を変えないが、目線をブカロに向ける。

石川    「(モノローグ)ブカロは退屈している。彼女は何度この話を聞いたのだろう」

石川、悟を見るが、いつの間にか背を向けていて、このままここで寝てしまう様子。

石川    「(モノローグ)最後の電車が出て行くのを見たい気がする。この町の、一番大きな、吹きっさらしの駅で」

♯ イメージ

美術館のある駅。夜。プラットホームに一人で立っている悟。

石川    「(モノローグ・ナレーション)そうしたら、線路の上を辿って、お家に帰る」

そろそろと歩き出す石川。

♯ 石川家・石川の部屋

続き。
石川、悟の背中を見ている。

 ♪【The東西南北・内心、Thank You】


♯ 北橋中学(いくつかのショットの積重ね)

・二年三組・ホームルーム。
黒板に『三年生を送る会について』の文字。
教壇の前で女子生徒と一緒に取仕切っている様子の石川。
・軽音楽部部室。入口に『WE ARE river‐side‐kids』の札。         軽音楽部の部員達と一緒にギターを弾いている石川。         『三年生を送る会』のイベントの助っ人の様子。
・校庭。テニス部練習風景。
後輩にあれこれ指示している様子の石川。
ちょっといぶかしげな表情で見ている三上。

♯ 北橋中学・テニス部部室

石川と三上。
ギターを爪弾きながら、二人で話している。

石川    「オレ、学校が楽しかったらって思うよ」
三上    「(弾き乍ら)楽しくないの?」 
石川    「(弾き乍ら)楽しいの」
三上    「(手を止める)」
石川    「(軽く時々弾き乍ら)別世界じゃない。別の住家じゃない。家とさ。だからさ、もしウチですごいつらいこととか起こっても、学校に持ち込まないでさ、学校の国で幸せに暮らしたいな」
三上    「そんなに簡単じゃないよ、たぶん」
石川    「(手を止める)」
三上    「それって強い人だよ」
石川    「そっか」
三上    「眠る場所にはかなわないよ。静かに眠れないと、つらいよ」
石川    「そっか
三上    「ウチになんかつらいことあるの」
石川    「ないよ」
三上    「学校に持ち込まないんだっけ」
石川    「ほんとにないよ」
三上    「だったらいいけど。(再びギターに戻る)詩人はとても強いそうだから」

♯ 北橋中学・二年三組

授業風景。
後方の席で聞いている石川。生徒たちを見渡している。

石川    「(モノローグ) それは実際どこかで行われているのだろう。厚いふとんを被って耳を塞いで、泣いて、泣いて、泣いて、今この国で何事もない様に頬杖をついて授業を受ける。そんなやつがいるのだろう」

いろいろな表情の生徒たち。

石川    「(モノローグ)オレはそれに気がつかないだろう」

石川、指名されて立ち上がり、何かを云っている。
笑う生徒たち。それにリアクションする石川。
だが、教室を見渡すと、反応は様々。(笑う人、無反応な人等)

石川    「(モノローグ)この国の傲慢な住民なのだ」

♯ 北橋中学・校庭

体育の授業。サッカー。
ゴールキーパーの位置の石川。相手側に固まる生徒たちの背中を見ている。

石川    「(ぼんやりと物思いの表情)」

♯ 北橋中学・中庭

掃除の時間。中庭の掃除。
楽しそうにおしゃべりしている女子生徒たち。
ちりとりを持ってみている石川。

石川    「(ぼんやりと物思いの表情)」

♯ 帰り道

川沿の道を軽快に自転車で走る石川。小春日和。

♯ フラッシュ 

かほる。ちゃんちゃんこ姿。

♯ 帰り道

自転車で走る石川。

石川    「(モノローグ)安全地帯の中で、不安定を続けてる。境界線を踏むこともできず…」

♯ フラッシュ

こずえ。美術館の帰り道。

♯ 帰り道 

自転車で走る石川。

石川    「(モノローグ)壁のレンガどんどん積んでる。エスキモーの家の様に。冬の国に行くのかしら…」

♯ フラッシュ

 悟。背を向けて眠る姿。

♯ 帰り道

 自転車で走る石川。

石川    「(モノローグ)悟ちゃんの視界の先にあるのは、かほる?それとも自分…」

♯ 帰り道

自転車で走る石川。速度がはやまっている。

石川    「(モノローグ)いつだってそうなんだ。オレだけ何処か遠くから見ているんだ。三人妙に絡み合って、連動した機械みたいだ。どんな形かしら。エッシャーのだまし絵みたいかな。ブカロがその上をそろそろと歩いている。壊さないように。慎重に。そうしいつも正しいバランスを保つ位置にどっしりと収まる…」

♯ イメージ

エッシャーの絵のような、高低のわからない階段がある建物。        おのおのばらばらの場所にいる、かほる・悟・こずえ。
その中をそろそろと歩いているブカロ。

♯ 帰り道

自転車で走る石川。

石川    「(モノローグ)詩人?あれはかほるの気紛れ。長く続くごっこ遊び」

♯ フラッシュ

かほる。

かほる   「身を投じないの。どんなに思いが強くても。悲しくても。巻き込まれたらもうおしまい。詩人じゃない」

 # 両家の間の砂利道

自転車で走る石川。
気がつくと目の前にかほる。ロングスカート。
俯いて走っていた石川は視線を上げるようにして気づく。

かほる   「よお」
石川    「(ぼんやり)」
かほる   「期末テストは終ったかい」
石川    「水・木・金」
かほる   「子どもたちのテストも金曜日にはいっせいに終わるなあ。輪唱みたい」
石川    「(大きく息をつく)」
かほる   「日曜日空いてる?」
石川    「(顔を上げてかほるを見る)」


♯ 甲野家・庭先(数日後・日曜)

バスケットにすっぽり納まっているブカロ。釜の中の食パンの様。        その前にしゃがんでいる石川。

石川    「(ブカロを見乍ら首をかしげている)」

ベランダからこずえが出てきて隣にしゃがむ。

こずえ   「(一緒に見ている)」
石川    「(ブカロを見乍ら)で、結局今日はなんなんだ」
こずえ   「三月は詩人の命日があるのよ」
石川    「(ちょっと考えて)五月じゃなかったっけ」
こずえ   「三月だよ」
石川    「五月の風をゼリーにしてって云ってなかったっけ」
こずえ   「あれはさ、お見舞いに来た人に何が欲しいかって聞かれて、五月の風をセリーにして持ってきてくださいって云ったの」
石川    「オレにはできないな」
こずえ   「そう?ケンちゃん、云いそうだよ」
石川    「(えって顔)」
こずえ   「すごく云いそう」

ベランダからかほる。

こずえ   「あっかほるちゃん。リード要るかな?ブー」
悟     「(腰に手をあてて)それは博士に失礼だろ」
こずえ   「あっ懐かしい呼び方。久し振りに聞いた」
悟     「(ブカロに)なあ、ブルカニロ」
こずえ   「うちの本には出てこないから、かほるちゃんと顔突っつき合わせて悟ちゃんの本読んだわ」
悟     「答え合わせみたいだったな。(急に・石川に)あとさ、詩人が第二段階に入った記念だって」
石川    「(えって顔)」
こずえ   「まず自覚から始まるんだって」
石川    「(憮然として)次に来るのは?」
かほる   「葛藤」
悟      「苦悩じゃなかったっけ」
石川    「(モノローグ)冗談だろ」

♯ 川沿の道 

前方に土手。北橋中学も見える。
かほると悟。

かほる   「川の多い町だよね」
悟     「(黙って歩いている)」
かほる   「電車の窓からいつも北橋の川原見てるわ。でもこうして来るのは久し振り」
悟     「(黙って歩いている)」
かほる   「ホームルーム。みんなで土手に腰掛けて日向ぼっこしたわ」  悟     「何かにかこつけて川に近づこうとするんだよな」
かほる   「(テンションを上げて)あっ知ってる?沿線を北上するとまた、大きな川があってね。そこにはポピーが群生してる。オハナバタケだよ。これぞ」
悟     「ああ」
かほる   「行ってみたいのよ」
悟     「行けばいいじゃん」
かほる   「(テンション下がる)うん」
悟     「(モノローグ)行かないのね」
かほる   「(沈黙)」
悟     「死なないんだったら、いくら悩んでもいいや」
かほる   「(反応して)死なないわ」
悟     「(あっそう)」
かほる   「私が死んだら、悟ちゃん、思い出すわ。この土手も。陽射しも。春になると思い出すわ。デニムの上着も。申し訳ないわ」
悟     「(黙って歩いている)」
かほる   「ああ、でもそれも悪くないかも」
悟     「オレ、誰か他の人のために悩も。ボロボロになろ。詩人じゃないから」

♯ 川沿の道 

かほると悟より少し前方を歩く、石川とこずえ。
石川の手にはブカロのバスケット。
後方からかほるの笑い声。

こずえ   「ほんとはとても緊急の召集だったの」
石川    「(えって顔)」
こずえ   「詩人の命日はあとからついてきたの。まあ、お導きってことにしとくけど」
石川    「(きょとんとした顔)」
こずえ   「かほるちゃん、なんかあせっちゃったんだって。こないだ。ケンちゃん見て」
石川    「(きょとんとした顔)」
こずえ   「私もなんか変って思ってたなあ。悟ちゃんもきっとそうよ。かほるちゃんは最後のトリデ。あの人自分のことで頭いっぱいだからさあ」  石川    「詩人失格か」
こずえ   「それは違う」
石川    「(きょとんとした顔)」
こずえ   「ケンちゃんは詩人なの」
石川    「(きょとんとした顔)」
こずえ   「かほるちゃんはたまたま気づいただけ」
石川    「(きょとんとした顔)」  
こずえ   「詩人は詩人として生まれてくる。そうして詩人として生きる。あれ、真実よ。悟ちゃんも私も信じてるのよ。ケンちゃんは宿命背負ってるの。失墜なんてさせたげない。覚悟しなさい」
石川    「(唖然としている)」

石川のバスケットから、ブカロ滑り出る。
石川とこずえ、慌てて追いかける。

♯ 北橋中学横・土手

のんびりと腰掛けている四人。
悟は寝ころがっている。

かほる   「(ナレーション)陽は キラキラと/あちらの方で 光ってゐた/何か たのしくて 心 は/陽気に ざわめいていた」
悟     「(ナレーション)超えて あなたが 行かれた/あちらの方で 陽は キラキラと/光ってゐた……何か かなしくて/空はしんと澄んでゐた どぎつく」
こずえ   「(ナレーション)黒い花を摘んで 花束をつくる/あのならはしよりも 心になく/美しい高さに 微笑を/吹きながせ!」
石川    「(ナレーション)陽は キラキラと/あちらの方で 手のつけやうもなく/光ってゐる だれかれが 騒いでゐるのが/もう意味もないやうだ」
こずえ   「(ナレーション)どぎつく 空は 澄んでいる/声もなく/炎のやうに/真昼が あちらへ 絶えて行く」
悟  「(ナレーション)超えて あなたが 行かれた/あちらの方で…… 滅んだ 星が/会釈して 微笑を 空に/吹きながす 祭りのやうに」
かほる   「(ナレーション)未知の野を 黒い百合でみたすがいい/果たされ…」

♯ 北橋中学横・土手

土手の上の四人。
かほるは詩集が手にして読んでいるところ。

こずえ   「白い百合だよ、かほるちゃん」
かほる   「あれ、そうだっけ」
悟     「見てないのか。(独り言のように)すごいな」
石川    「最初が黒い花だもんな。これ、なんか意味あるの」
かほる   「わかんない」

かほる、立ち上がる。ちょっと開き直っている?

かほる   「未知の野を 白い百合でみたすがいい/果たされずに過ぎた約束が もう充されやうもない/わすれるがいい 海の上の さざなみが/生まれては また 消えるほどに!」

♯ 北橋中学・土手

石川とこずえ。
学校に近づいて、日曜日の中学生を見ている。
かほると悟はフェンスの方を歩いているのが見える。

こずえ   「オレンジ、まだある?」
石川    「ああっオレ、集めてるんだ。オレンジ」

♯ フラッシュ

こずえが渡したスケッチブックの切れはし。
そこに石川が鉛筆であれこれ落書きしている。    

♯ 北橋中学・土手

続き。

石川    「デイジー。ポピー。百日草。悟ちゃんのぴかぴかのモカシン…」
こずえ   「(聞いている)」
石川    「何か入れようとしても入りたがらないものとかあったりするんだけど。何でかなあ。なんでブカロなんかすんなり入るんだろ」
こずえ   「ちゃんと、分別してあげてね」
石川    「(はい)」
こずえ   「こないだの答まちがってたから」
石川    「(えって顔)」
こずえ   「ちゃんと教えとくから」
石川    「(きょとんとした顔)」

こずえ、後向きに歩き出す。

こずえ   「第一群、美しくて切ないオレンジ色。第二群、楽しくてうきうきするオレンジ色。第三群、私を幸せな気持にしてくれるオレンジ色。いつも」

こずえ、全開の笑顔を見せてから、くるりと背を向けて土手を降りていく。石川、呆然とした顔で立っている。
気がつけば、こずえは川原の近く。
かほると悟もこずえの近くまで降りて来ている。 
石川、慌てて、でもゆっくりと、土手を降り始める。
見上げているブカロ。      

♯ 北橋中学・二年三組(朝)

石川と三上。
石川、三上に紙片を渡している。

石川    「締切ぎりぎりだな」
三上    「だいたいそうだよ」

石川、他の男子生徒に呼ばれてそちらの方へ走っていく。
三上、手元の紙片を見る。

三上    「(モノローグ)選ばれし人の、最初の編纂に携わった人物となるのか…」

 ♪【The東西南北・Hey My Little MAMA】

(三上(たち)・藤部(たち)・石川(たち)の近況の光景)        (春休み・三上を訪ねる藤部の様子)


♯ 図書館

本棚の前に立つ女性。首から下しか見えない。
一冊の本を抜き出す。
タイトル『石川賢人撰集・第五巻・雑纂』
頁をめくる。

『一九七七年三月。北橋中学クラス文集』より

春はきた くりかえすのではなく 新しく
今はそうだ いつまで?
それはどんなものなのかわからないってことなんだけど           キミが笑えば
たいていのことはうまくいっているしるしだろう            

 ♪【とんぼ・スクリーン】 
   ~エンディング  

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