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オレンジ/やさしいくま/③百個のビー玉

オレンジ

やさしいくま


③百個のビー玉


 それは私の最初の記憶なのですが、何かの呪文で封印されていたようです。
 というのは従来の私の最初の記憶は弟が生まれたことだったのですが、おこったのはまちがいなくそれより前のことなのです。つまりは弟が生まれる直前、一人でお布団に寝ていた四歳の私におこった出来事です。
 
 目が覚めると五月の初めだというのに紺色のピーコートを着たお姉さんが座っていて、私にあみあみの袋を差し出しました。中には百個のビー玉が入っていました。
 といってもそれが本当にビー玉だったのか。猫の瞳のようでもあり、桜の花びらを浮かした和菓子のようでもあり、命を宿したお魚の卵のようでもありました。
 でも彼女は『ビー玉』といいました。便宜上…とか云ったような気もします。
「これ、あなたにあげる」
「何?」
「ビー玉、百個のビー玉」
 私はお布団から出て、両手で受け取りました。かなりの重量だったはずですが、なぜか重さの感覚は残っていないのです。
「ありがとう、おやすみなさい」
 私はそういってお布団にもぐりこみました。夢だと気がついたからです。
 目を閉じた私にお姉さんの声が聞こえました。
「人生は喪失の歴史。どんどん失っていくの」
 
 目が覚めた私は枕元にあるあみあみの袋に気がつきました。
 ぼんやりと不思議な思いを抱えながら、私はそれを空っぽのお菓子の缶に注ぎました。
 まだ四歳の私には自分の場所も抽斗もありませんでした。
 私はそれをわけのわかんないものがいっぱいはいっている押入れの奥にしまいこみました。隠したというほど秘密めいた気持ちはありません。ただ、直感的にちょっと厄介な気分になったのだと思います。
 
 それからずっと忘れていました。
 考えることもありませんでした。
 中学二年の冬、学校指定のピーコートを買ってもらえたことがうれしくて、おうちの中でくるくる回っていました。裏地はブルーと緑のチェックでした。赤よりもそちらがほしかったのです。ポケットに手を入れたとき何か入っているのに気がつきました。そっと握って広げるとスノードームのように白をちりばめたビー玉でした。
「新品なのに…」
 それから私は突然ひどく落着かない気持ちになり、押入れのある部屋に走りました。
 押入れの奥にお菓子の缶がありました。あけるとおそらく二十個くらいのビー玉がからからところがりました。
「私…十四歳なのよ。失礼しちゃうわ」
 そういって私は缶の中に白いビー玉をいれました。ころん
 
 


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