幸せをかみしめて〜入院を回避して幸せを考えた記〜
危なかった。
2月中旬からずっと、上がって下がってのうつ症状が激しく、人間的に危なかったです。
一番厄介な、もう一つの病気・双極性障害が出たとの診断が下りました。
ちなみに私は小波型の双極性障害Ⅱ型です。
今日もお疲れ様です、いきなり重たい在宅ワーク先生です。
今日は隣県へ通院に参りまして、何とか主治医に微回復を認められ、劇薬処方が外れ入院を回避しました。
血液検査も99点で合格とのこと。
わあいクリア!
血糖値コントロールの劇薬・セロクエルの処方が無くなりました。
これを飲むと人間的に色々停止してしまいますので、一日でも早くやめたかったのです。
辛い日々でしたが、なんとか生きてこれを書いています。
そんな最近、自分のことを振り返るちょっとした出来事がありました。
自分より、障害の重い方が近くにおられると知ったことです。
大学の先輩に、重度の脳性麻痺のお子さんがいらっしゃる事を、たまたま知り合い伝いに知りました。
お子さんは高校生。
今は大変なリハビリを経て、一人でお出掛けまで出来るところまで訓練の成果を出されているそうです。
先輩曰く、血を吐くような日々だったとのこと。
後日お話を詳しく聞かせていただいて、普段の自分のことを違う角度で振り返り始めました。
昨日まで、この世で一番不幸なのは自分だと思っていた私。
何も出来ない、どこへも行けない、眠れない、人間的に自分をコントロール出来ず怒り狂う自分の事を一番不幸と私は思っていました。
薬の影響もあり、こういう時は思い込みですごい思考まで飛ぶのも症状なので、書くと極端なのですが、この病気のリアルさを晒すため書いておきます。
先輩のお子さんは片方の手先以外麻痺があり、動かせないそうで車椅子生活をされています。
そんな、大きなハンデがありながらも、お話を聞くにつれ私より人間が出来ている事に気付かされました。
日常への感謝。
この思いで、とにかく心が前へ前へ輝いておられるのです。
先輩やお子さんは、私より自分の足で歩ける日常の奇跡を知っています。
自分一人でお風呂に入れたり、外出を気兼ねなく出来る幸せを深く知っています。
スムーズに字を書き、人に伝える喜びを私より強く知っています。
簡単には出来ないからこそ、当たり前にしている人より知っている。
私では絶対にたどり着けない感謝の境涯に、すでに立って生きておられます。
人は、様々な誘惑の光の眩しさに、つい日常の煌めきを見出して生きていくことが、難しい生き物だと思います。
単純に幸せを連想すると、例えば高価な欲しい物がぽんと手に入ったり、宝くじが当たったりだと思いがちです。
いい車に乗る。
いい時計を持つ。
大きくて新しいお家に住む。
綺麗で高学歴高収入な恋人がいる。
血統書つきのペットを飼う。
例えるとこんな分かりやすい幸せです。
どれも手に入るきっかけは、お金の量な気がします。
けれどこれらはフィラメントのように、儚い幸せかもしれません。
高価なものもいつかは見飽きて、次の高価なものが欲しい日が来る。
必ずです。
人間は新しい物に絶対的に惹かれる脳の構造を宿命的に持っています。
お金もあれば使うし、いつかは無くなります。
よほどのお金持ちがこのループを繰り返すことはできても、必ずいつか虚しくなります。
幸せの構造がどれもお金を元に実現出来るため、やはりどこかで飽きるのだと思います。
フィラメントは、どうやってもフィラメント分の時間しか煌めけません。
世界の富豪や芸能人はこのパラドックスによくいらっしゃる気がします。
違う刺激を幸せと決めて、また追う日々を繰り返す。それが猟奇的なことだったり、戦争だったりドラッグだったりもします。
お金持ちでなくたって、手が伸ばせそうな贅沢品を目指しては、手に入れて、また飽きてを繰り返す。
私の違う知り合いに、ブランド品中毒になった人がいますが、見ているとこのループを繰り返しています。
見事に、繰り返して繰り返して抜け出せないでいます。
私は薄給です。
若いときに掛けた保険金が主な収入源で、先生の給与はとにかく僅かです。
それでも、現時点でお金が何億あっても、私の病は治りません。
確たる治療法が無いからです。
たがら、健康な人のもつ幸せをとことん羨望の眼差しで見つめて生きています。
まず、夜眠れること。
悪夢を見て叫びながら起きたりしないこと。
怒り狂いながら泣いて、死にたくなることがないこと。
将来の健康を削りながら、薬を飲むなんてしなくていいこと。
味のしないご飯、味のしすぎるご飯、食べ過ぎる時食べなさすぎる時が無いこと。
夜布団に入るのが、怖くないこと。
本当に羨ましいのです。
こんな私でも、健康でフルタイムで働いていた頃はそんなことになんの価値も感じていませんでした。
欲しい物はもっと、キラキラして眩しく楽しいものだったし、旅行も高価な化粧品も洋服もたくさん欲しい女の子でした。
今はそんなもの、なんの助けにもなってくれないことを知っているのです。
こういう時、病気に大人にしてもらったんだなあと、感じます。
2月ももう終わりますね。
そこに死が迫ってくるような二週間でした。
私を救ってくれたものが何だったのか、これを読んでくださる方に伝わるといいな。
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