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わたしは料理をやりません……?

 今回は、家事の話から始めようと思います。げえっ、おもしろくなさそうな話題……? でも、家事って、疲れているときはきっついけれど、できるとなんだか気持ちがイイ。そういうものですよね。

 わたしは、過去に何度か、人から家事はするか、と聞かれたことがあります。もともとあまり人としゃべらない人間なので、そうしょっちゅう聞かれるわけではないのですが、聞かれるたびに少し答えに迷います。わたしは家事をやっている、といっていいのだろうか?

 わたしの平日の家事を、タイムスケジュールと一緒に大まかに書き出してみました。

 こんな感じ。

・仕事前の家事
5:40起床
〜6:20
・前日ボールに研いでおいたお米を鍋に移し炊く
・白湯を沸かす
・食洗機の中身や乾かしていた食器などを収納する
・洗い残していた鍋や食器などを洗う
・水筒のお茶用にやかんに水をくんでおく
・朝ごはんのみそ汁用にお湯を沸かす
・乾かしていたごみなどを捨てる
・その都度シンク周りやキッチン台をふきんでふく
〜6:35
・洗顔、化粧など
〜6:48
・わんこをクレートから出し、わんこがトイレをしたらトイレの掃除
・洗濯物第一弾を干し、第二弾の洗濯機を回す
・卵焼き用の卵を溶くorゆで卵の殻をむく
〜6:58
・朝ごはん
・お椀を洗う
〜7:11
・わんこにご飯をあげる
・水筒にお茶をくみ、第一弾のお弁当のふたをして、お弁当、お箸、ランチョンマットなどをお弁当バッグへ
〜7:20
・歯磨き
・鍋や食器などを洗い、食洗機に入れられるものは食洗機へ
〜7:35
・洗濯物第二弾を干し、タオルなどの乾燥機に入れられるものは乾燥機へ、そしてスイッチオン
・メガネからコンタクトに変え、髪にワックスをつける
〜7:48
・ごみの日は、家のごみを集め、玄関へ運ぶ
・第二弾のお弁当のふたをして、お弁当、お箸、ランチョンマットなどをお弁当バッグへ
・残りの鍋や食器などを洗い、食洗機に入れられるものは食洗機へ、そしてスイッチオン
・わんこのお皿を洗う
〜8:00
・着替え
・自分と姉の洗濯物をクローゼットにしまう
・時間があればnoteをちょっと読む
8:00 持ち物をもち、職場へ

・仕事後の家事
17:45〜18:45
・食洗機の中身や乾かしていた食器などを収納する
・夕飯用のお米と、次の日の朝とお弁当用のお米を研ぐ
・乾燥機の中身を取り出し、タオルやハンカチ、ふきんをたたむ
・浴室に干していた洗濯物をとりこみ、ハンガーを外しておく
・浴室を軽く掃除し、バスタブの栓をして、いつでもお湯を沸かせるようスタンバイ状態にする
・水筒やお弁当箱のふた、おはし、洗い残していたものがあれば、それらを洗う
・母のメニューに従って、夕飯や次の日のお弁当用に、切ったり、茹でたり、煮たりする。
・その他、わんこのトイレ掃除や、荷物の受け取りなど
18:45〜
・母の帰りに合わせ、わんこを連れて駅へ向かえに行く
19:30〜
・母の調理アシスタント
・鍋などの洗いもの
・テーブルをふいたり、コップを用意するなど食卓の準備
・合間にコーヒーとおやつ
・できた料理をよそって配る
20:30〜
・テレビを観ながら夕ご飯
・わんこにご飯をあげる
・テレビの続き
・わんことたわむれる
21:45〜
・おふろ
22:10〜
・食洗機に入れられるものは食洗機へ、そしてスイッチオン
・歯磨き
・筋トレ(ほんとうは寝る前にやることではない)とストレッチ(最後が前屈系になるように)
・noteを読んだり、考えたことや感じたことなどをメモにとったり、何か好きなこと
・わんこのお皿を今さら洗い、水を換える
・保湿クリームを塗る
22:50 就寝

 日や場合によってちがうし、書かなかったものもありますが、大体こんなところでしょうか。(家事ではないものも、ところどころ混じっていますが……。)

 うーん、こうして書き出してみると、大したことはやってない……。でも、朝五時四十分にアラームをかけて、ちゃんと起きて、家を出るまでずっと家事をしているんだから、家へ帰ってからも、夕飯にありつくまでは、なんなら、寝る直前までずっと家事をしているんだから、わたしは家事をしている、といってもいいような……?

 最近思うのは、わたしは、自分のやっていることを過小評価するくせがあって、家事にしても、もっと自分のやっていることを認めてもいいのではないか、ということです。わたしは家事をやっている、といってしまった方が、いろんなところで都合もいい。

 わたしは今まで、仕事は定時で帰っていました。そして実家暮らし。……定時帰り、ってことは、十八時前には家に帰れていて、しかも実家暮らし、最高じゃん! 人からは、そういう反応が返ってきます。今だけだよ〜、そういう自分の時間取れるのは、大事にしなよ、そんなこともいわれました。

 たしかに、わたしはお家大好きなので、定時で帰れるのは最高です。ただ、帰れるばかりではなく、帰る努力をしているのもあるのですが、それはさておいて。
 ……うーん、家へ帰ってからも、ひたすら家事をしているだけなんだけどなあ。そうは思われていないだろうなあ。そのときは、初対面で親しくもない相手だったので、いえ、わたしは家へ帰ってからも働いてるんですよ!! とムキになる意味もなく、そうですね〜と、家に帰れて幸せ! な気持ちを前面に押し出しておきました。

 不思議と、わたしが実家暮らしだと聞くと、わたしを家事をしない人間だと思う人が多いようです。実家=家事をしなくてもいい、というイメージがあるのでしょうか。
 ほんとうは、実家の方が、疲れたからってサボれないし、人数が多い分、家事はたっぷりやりがいがあるはずなんですが……。

 ちなみにわたしは父母、姉、弟、わんこ、そしてわたしの六人、いや、五人+一匹家族。五人分の家事と、一人分の家事はあたりまえですがちがいます。よそう料理も、洗うお皿も、洗う洗濯ものも、すべて一人分の五倍、いや、家事の量と大変さは、単純に五倍では済みません。洗うにしても、小さい鍋と大きい鍋ではかかる労力がまるでちがうし、うどんを茹でるにしても、五人分では一回じゃ茹できれません。
 一人分、ニ人分の家事なんて、高が知れている。……なんて、いってはよくないですね。でも、家族の誰かが一人でも家を空けていなかったりすると、ほんとうに一人分減っただけか? と疑いたくなるくらい、不思議と家事が楽になるのもほんとうです。子どもがいたら、もっとずっと比にならないくらい、大変なんだろうなあ。

 しかし、それにしても、わたしは家事をやっています! とは、胸を張っていいずらいし、思いずらい。だって、自分のやっていることが、家事のほんの片っ端らであることは分かっているし、おサボりだし、家事に関して、自分はどこまでいっても助手の範囲を越えないから。家で一番家事をやっているのは、いわずもがな母で、母は放っておくと、壊れるまで働いてしまう。反対の意味で、放っておけない人間なのです。

(わたしの母は、エイティシックスに出てくる、シンエイ・ノウゼンによく似ています。見た目やしゃべり方が似ているというわけではないのですが、根本のところが、同じなのだと思います。一人で抱えこんだり、すべてを背負い切ろうとしたりするところもそっくり……わたしとしては、やめてほしくもあり、美点だと思うところもあり、とにかく、無理だけはしないでほしい……と、話がそれてしまいました。)

 そう、家事をやっています、とは胸を張っていいずらいのだけれども、それでも、聞かれたときは、やっていると答えてみようかな。答えなくとも、家事を多少はやっていると、自分のやっていることをもう少し認めてみようかな、と最近は思うのです。
 だって、やっていることを認めた方が、その、やっていることに対する意識が高まって、自分のスキルアップ、レベルアップになる。そして何より、その、やっていることを、きちんと自分のものにできる。自分のものにして、積み重ねていくことができる、と気づいたから。
 せっかくやっているのに、やっていると認めないで、ただぼーっとご飯を食べていたら、いつの間にか食べ終わっていて、どんな味だったのか思い出せない、なんて状態になるのはもったいない。
 味は覚えていなくても、たしかに、多少は栄養になっているかもしれません。でも、味、香り、見た目、人、由来、歴史……ご飯にはいろんな要素があって、味わいがあります。そして、栄養……つまり、糧にできるものがあります。
 ご飯の栄養は、ぼーっと食べていても摂取できる、物質的な栄養ばかりではありません。でも、そうしたものは、ぼーっと食べていても、栄養にはできないのです。栄養……つまり、糧にするためには、きちんとご飯に向き合い、味わう姿勢をもたなければいけません。ご飯に対し、きちんと意識を向け、意識を高めなければいけないわけです。
 そしてそれは、まず、自分がご飯を食べていると認めるところから、家事であれば、家事をやっていると認めるところから、始まるのではないかと思うのです。

 そして、それは料理に関しても、たぶん同じです。どうしてここでいきなり料理が出てくるのかというと、家事はやるか、と聞かれるのと同じくらい、いや、それ以上に、料理はするか、と聞かれることがよくあるからです。聞かれると、わたしはいつも、料理はあんまりやらない、と答えてきました。

 でも、考えてもみると、わたしは(平日のお昼を除いて)毎日毎食キッチンに立っています。キッチンに立って、切ったり煮たりゆでたり、炒めたりだってしているし、下味をつけたり、タレを作っておいたり、料理主任の母の帰りが遅くなったときは、平日、カレーやハヤシライスや、シチューを作っておくこともあります。
 
 料理はあんまりやらない。……あんまりやらない、の幅はある程度あるものと思っていますが、わたしがそう答えると、この人は全然料理をしないんだな、と認識されることがほとんどのような気がします。

(ついでに、家事も全然しない人なんだな、と思われるような気がします。料理をする=家事をする、料理をしない=家事をしない、ということなのでしょうか。
 たしかに、料理は、なんとなく、家事の華型であるような気はします。でも、家事をバーベキューに例えるならば、料理が、肉や野菜を焼く段階だとすれば、バーベキューというのはそれだけでは成り立ちません。道具を用意したり、テーブルや椅子をセッティングしたり、火を起こしたり、いろんな準備や行程があって、もちろん片付けも必要です。肉や野菜を焼こうにも、焼くための舞台がなければ焼くことはできないし、焼きっぱなしでは散らかしっぱなしになって完結しない。肉、野菜を焼くというのは、あくまで肉、野菜を焼くという行為であって、バーベキューの内だとしても、バーベキューとイコールではないのです。
 料理は家事の内で、たしかに家事ではあるけれど、家事とイコールじゃない。料理をするからといって、肉、野菜を焼く以外のことをしているとは限らないし、反対に、料理はしないからといって、肉、野菜を焼く以外のことは全部やっている、なんてことも、ほんとうはあるかもしれません。)

 余談が過ぎてしまいました。そう、毎日毎食キッチンに立っておいて、料理はあんまりやらない、なんていうのは、人に対しても、自分に対しても、むしろ詐欺にあたるのではあるまいか? 

 最近、自分は料理をやらない、という必要はないのではないか、と考えるようになって、つまり、自分のやっていることを、少しは認めてみるようになって、前よりも、料理に対して関心が湧くようになった気がします。こういうものを作ってみたいなとか、こういうものを作ったらおもしろそうだなとか、そう、お菓子作りをしてみたいなとか、そういう意欲だって湧くようになりました。
 そうか、自分のやっていることを認めてみる、ただそれだけで、ご飯の栄養を余すところなく自分の糧にできるだけではなく、食欲ももっと湧いてくるらしい。

 料理をしています、と答えるのは恥ずかしいけれど、これからは、家事と同じように、多少はやっています、と答えてみようかな、答えなくとも、自分のやっていることを、もう少し認めてみようかな、と思います。そうしたら、料理はあんまりやらない、に付け足した、苦しまぎれの、カレーくらいは……を、笑われて、なんだかなあ、勘違いされているよなあ、と思うことも減るのかもしれない。

 そして、それは……やっていることを認めるといいことがあるのは、家事や、料理に限った話ではないにちがいありません。他のどんなことにだって、いえるのではないかと思います。
 家事や子育てで忙しくて、何にもできていないなあ、自分の時間を取れていないなあ。(子どもがいないわたしには、何もいえませんが……)ほんとうに、そうでしょうか? ああ、今日もだらだら動画を観てしまったなあ。でも、動画は観ていたのです。
 自分のやっていることを認めてみたら、ちがう景色が見えてくるかもしれません。自分って、案外色々やっていたんだ、ということにも、気がつくかもしれません。

 さて、話は戻りますが、家事、料理に関して、わたしは、最強の助手でありたい、あり続けたい。天才外科医を支える優秀な看護師のように。あるいは、ご主人にお支えし、全てを完璧に取り仕切るスーパー執事のように。わたしの目標です。

 ……こんなに書くつもりではありませんでした。長くなってしまったのに、今日も読んでくれてありがとう。それでは、また!

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