成立しそうでしなかった移籍
加入に近づきながらもリヴァプールには加入しなかった選手11人についてまとめました。実際の背景とは違う可能性や全く違う報道が存在するかもしれませんが、一個人が調べた内容ですのでご理解ください。
イェフヘン・コノプリャンカ
画像引用:SkySports
ウクライナ代表MF、31歳、現在はシャフタール・ドネツク所属。
2014年1月、当時ドニプロに所属していたコノプリャンカに対しリヴァプールが興味と報じられ、移籍市場最終日には1600万ポンドとされる契約解除条項を行使すると伝えるもイホール・コロモイスキー会長が書類へのサインを拒否。
コノプリャンカとリヴァプールは個人的な条件では合意しており、移籍を加速させるべくメディカルチームがウクライナに飛ぶも実らず。
クリント・デンプシー
画像引用:SkySports
元アメリカ代表FW、38歳、2018年夏に引退を表明。
2012年夏、リヴァプールはフラムに対しデンプシー獲得オファーを提示したが拒否される。フラムは500万ポンドの要求に対してリヴァプールが300万ポンドしか提示しなかったと主張。
デンプシー本人は500万ポンド+アドオンという条件でフラムと合意していたアストン・ヴィラに対し、『リヴァプールに行きたい』という理由で断りの連絡まで入れていたが実現せずにトッテナムへ。
ロイク・レミー
画像引用:SkySports
元フランス代表FW、34歳、現在はチャイクル・リゼスポル所属。
2014年夏、QPRが設定した850万ポンドの契約解除条項をリヴァプールが行使。アメリカでのプレシーズンツアーに合流するも、メディカルチェック中に問題が発覚し破談。
後日のレミーのコメントによれば、かつて抱えていた心臓の異常を不安視したリヴァプールが専門家に意見を求め、その専門家がプレーを続けられるか止めるべきか100%言い切れないと答えたことが最も大きな理由とされる。
シモン・サブローサ
画像引用:SL Benfica
元ポルトガル代表MF、41歳、引退宣言はしていないが2016年から無所属。
2005年夏、移籍市場でリヴァプールのターゲットとなった。リヴァプールは最大1200万ポンドとなるオファーを提示したが当時所属していたベンフィカが要求額を増額したため破断。
ポルトガル代表に合流していたシモン・サブローサは移籍がほぼ決まりつつあることをスコラーリ監督に伝え、メディカルチェックや正式サインのために離脱してもよいかを確認。その後、飛行機に乗る準備をしてGOサインを待っていたがベンフィカからオファーを受け入れないとの連絡があった。
ヘンリク・ムヒタリアン
画像引用:SkySports
アルメニア代表MF、32歳、現在はローマ所属。
2013年夏、リヴァプールは当時シャフタール・ドネツク所属のムヒタリアンのために2400万ポンドを用意。契約間近と何度も報じられたものの、クロップが率いていたドルトムントに加入。
数年後、ムヒタリアンは当時を振り返り、ブレンダン・ロジャーズと何度も連絡を取っていたこと、リヴァプールに行きたい気持ちとフィジカル面の激しいプレミアリーグで戦う不安が半々だったこと、クロップと話した時からドルトムントに行くべきだと感じたことなどを明かした。
ナビル・フェキル
画像引用:SkySports
フランス代表MF、27歳、現在はベティス所属。
2018年夏、当時リヨン所属のフェキルは5300万ポンドとも言われる移籍金でのリヴァプール移籍に近づいたが、メディカルチェックの段階で破断。膝に問題があった、リヴァプールが土壇場で減額を望んだなど様々な憶測が飛び交った。
2019年夏のベティス加入前、フェキルはリヴァプール移籍破断について『膝は全く問題なかった。』、『最悪なのは破断が家族のせいだと考える人たちがいたこと。』、『たくさんの嘘があった。』と話した。
アレックス・テイシェイラ
画像引用:SkySports
元U-20ブラジル代表MF、31歳、現在は無所属。
2016年1月、当時シャフタール・ドネツク所属のテイシェイラに対しリヴァプールは正式オファーを提示したものの拒否される。シャフタール・ドネツクが要求する3500万ポンドを高すぎると判断し、リヴァプールが支払いを拒んだとの報道も。
当時、テイシェイラ自身は完全に移籍に乗り気で、『何故かは分からないがリヴァプールからの正式オファーをチームが断った。』、『代理人はまだ移籍を実現させるためにできる限りのことをしてくれている。』、『コウチーニョとは10歳から一緒にプレーしていたんだ。』と話した。
ジョーイ・バートン
画像引用:BT Sport
元イングランド代表、38歳、現在はブリストル・ローヴァーズ監督。
2004年夏、当時マンチェスター・シティに所属していたバートンがリヴァプール移籍に近づいた。幼い頃はエヴァートンファンで、嫌いながら育ったクラブへの加入に近づいたことになる。
自伝「No Nonsense」には、ジェラードが獲得を推薦していたこと、ウリエ監督とメルウッドで会談し口頭合意に達したこと、その後にウリエ監督が解任され全てが立ち消えになったことが書かれている。
ミカエル・ラウドルップ
画像引用:The Football Pink
元デンマーク代表MF・FW、56歳、元スウォンジー・シティ監督など。
1983年夏、当時ブレンビーに所属していたラウドルップはずっとファンであったリヴァプールと3年契約で合意したが、その2週間後に若く(当時19歳)成長が必要だとして内容は変わらない4年契約を再提示された。
合意した内容を変更されたことに不信感を抱いたラウドルップはリヴァプールのオファーを断りユヴェントスへ移籍。外国人枠の問題によりラツィオへのローン移籍を経験したが、その後はユヴェントス、バルセロナ、レアル・マドリー、アヤックスでリーグ優勝を含む数々のタイトルを獲得。1996年と1997年にはヴィッセル神戸でもプレー。
シルヴァン・マルヴォー
画像引用:SkySports
元U-21フランス代表MF、34歳、現在はロリアン所属。
2011年夏、当時レンヌに所属していたマルヴォーはフリーでのリヴァプール移籍に近づいていた。冬の移籍市場から興味を示しており、メディカルチェックを受ける段階まで進んでいたが破断。
レンヌでの最終シーズンが怪我がちだったこともありメディカルチェックで問題が発覚したのではとも報じられていたが、マルヴォー本人は『詳細は話したくないが、リヴァプールと契約していないのは関係者間で契約上の不一致があったからだ。』、『(怪我の問題との報道について)ウンザリしている。目の前でメディカルチェックを受けたっていい。』と話した。
ガブリエル・エインセ
画像引用:SkySports
元アルゼンチン代表DF、42歳、現在はアトランタ・ユナイテッド監督。
2007年夏、当時マンチェスター・ユナイテッドに所属していたエインセはサー・アレックスからの信頼を感じられず、680万ポンドの契約解除条項を行使する意思を見せたリヴァプールへの移籍を希望。但し当時マンチェスター・ユナイテッドのCEOだったデイヴィッド・ギル氏は国内のライバルに加入しないことが移籍を認める条件だったと主張。
リヴァプールとエインセはマンチェスター・ユナイテッドからの書類にはそんな条件は含まれていないとして異議申し立てを行ったが、プレミアリーグの仲裁委員会に退けられた。『クラブの考えが分からない。アンフィールドでのプレーを夢見ていた。』とのコメントを残し、レアル・マドリーへ移籍。
雑感
何番煎じネタだよ!と思うかもしれませんが、調べれば調べるほど「ああ、こんな話あったな」、「こんな選手いたな」と思い出してきた。
「この移籍が成立してたらあの選手はリヴァプールにいなかったんじゃないか」とか、「この時の監督は誰だっけ…ああ、なるほど…。」ってなったり。
調べるの楽しかった。
上に挙げた11人以外にもまだ掘り下げたい選手はたくさんいるけど、それはまたの機会に。
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