katsunoriです

'72年生まれ。 福島県出身です。 日々の出来事、記憶と記録から遡ったり思…

katsunoriです

'72年生まれ。 福島県出身です。 日々の出来事、記憶と記録から遡ったり思い出したり。 私は文章のプロではないので、起承転結を度外しする事もありますが、その辺はどうぞよしなに。 よろしくお願いします。

最近の記事

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誹謗中傷の危うさ

    • 現場の苦しみ。

      世界中で起きてるコロナパンデミック。 そのパンデミックにもよくやく対応が分かってきている。 ワクチン接種や人々の移動の制限。 海外ではロックダウン、 日本では緊急事態宣言。 コロナは感染症なので、 感染者に近づかなければ感染はしない。 ただ、その感染者を特定するのが難しいということだ。 ワクチンは今生まれたものではない。 このコロナワクチンも、実は前々から研究開発されていたモノ。 世界中、どこで現れるかわからないウイルス。 そのために科学者は日々研究実験してい

      • 若者よ、barへ行け…

        1990年代の東京 僕は金曜の夜、友人と渋谷で飲み、そのままディスコへ!というのが、週末の定番だった。土曜日も。 ある金曜の夜、例のごとく渋谷で飲み、ディスコへ直行。 だが、その夜のイベント?は、山本リンダナイト!なんてモノだった。 つまらん…。別の店ディスコへ行こうぜ! ハシゴする。 六本木のとあるディスコへ。 お客さんはいっぱいだ。その頃は、まだ勢いがあった。 友人と踊り、飲み、愉しんでいたが、そのうち友人がオネーチャンとイイ雰囲気になり、『ワリィ!ちょっと抜ける

        • なぜ人は非科学的なモノを信じるのか?

          人類が地球上に誕生して以来、人類は知恵というものを獲得した。 脳の発達である。 人類の進化と称する人もあれば、 人類の発達と称する人もいる。 大脳の大きさ、質量、其れが他の動物よりも大きく進化、発達した事により、人類は知恵をもったのだ。 古来より人類は、その進化発達した脳により、"死"への恐怖を知ってしまったのである。 長く生きたい、 死にたくない、 動物には無い概念。 恐怖と不安という概念を持ってしまった。 古来より人類は、死から逃れるため、何かを求めた

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        誹謗中傷の危うさ

          はじめての踠き苦しみ。

          '90年代に私は上京した。 高校を卒業し、大手町にある某企業へ就職。 憧れの東京生活、華の都東京。 新幹線で2時間ほどの距離だった私の故郷福島県。 2時間移動しただけで別世界な東京。 青二歳の私には、東京へ行く事しか頭になかったのである。 約6年間、東京で生活し、私は地元福島へ戻った。 東京生活の中でいろいろなオトナと知り合う機会があり、  青二歳は自分の未熟さ、 考えの甘さ、 知らないことの多さを知る。 地元を盛り上げたいと思った。 これも青臭いといえば青臭いの

          はじめての踠き苦しみ。

          五輪を見ない理由。

          よく分からないうちに、五輪の誘致活動が起こり、 よく分からないうちに、段々と決まりそうになり、 よく分からないうちに、 東京五輪の開催が決定した。 その後、神宮周辺を中心に五輪開催に向けて開発がスタート。 東日本大震災の復興事業も継続中のなか、東北で使われていた重機械類や建築資材などは東京へ移行した。 福島の原発廃炉作業、除染作業、汚染水問題は、 "アンダーコントロール"という、虚偽の言葉に惑わされ、人々の関心は被災地から東京へ…。 私の住むところから、約5キロ

          五輪を見ない理由。

          イソップ童話は何処いった?

          一体、いつから日本はこんな世の中になったのだろうか。 至極真っ当なことを言う人は鳴りを潜めている。 日本のメディアに登場する、識者と呼ばれる人々は自論を展開するが、目立つのは声の大きな人だけ。 激しい言葉を使い、自論を展開し、議論となった場合には相手が疲弊するまで話す。 相手が疲弊して、根負けすると、 『ほら、私の言ったことが正しい!』 『私の方が正論だ』 と、まるで勝ち誇ったように満足気にドヤ顔だ。 そして、どういうわけか、 その幼稚なドヤ顔をした識者の方が

          イソップ童話は何処いった?

          アサヤンVOL18,MANESHIAIを観て。

          モノマネの天才、松村邦洋さんVSよしえくん。 この対決を聞いたとき、一体この回は番組として成立するのだろうかと、素人ながらに思った。 松村邦洋さんは、たけしさんのモノマネで一世を風靡し、現在でも人気があるお笑いモノマネタレントさんだ。 40代、いや30代から上で知らない方は少ないだろう。 映画やドラマ、各分野で活躍する人気者だ。 一方のよしえ君、 私も博士のclubhouseで知るまで、その存在を知る由もなかった。 clubhouse内でのトークは、常人離れしている

          アサヤンVOL18,MANESHIAIを観て。

          水道橋博士という男。

          僕は、所謂熱狂的なお笑い好きという訳ではなかった。 勿論、昭和のTVショーでは、欽ちゃんシリーズやドリフの大爆笑、少し大人っぽくなるとオレたちひょうきん族などは観てきている。 高校生くらいになると、TVショーを観るより、友人と夜の街で遊ぶ機会が増え、 天才たけしの元気が出るTV ねるとん紅鯨団 月9ドラマ?くらいしか観なくなっていた。 高校卒業後に就職のため上京し、大手町にある会社のサラリーマンに。 90年代の東京の夜の街は、まだ十代後半の僕にとても刺激的で、摩天

          水道橋博士という男。

          ある夏休みの体験

          昭和57年の夏 キーンコーンカーンコーン〜♬ 『はーい、それでは皆さん、いっぱい遊んで、また元気に会いましょうね〜!』 と、担任の冨田先生がクラスメートに挨拶を。 『はーい!先生!まったねぇ〜ん!!』 と僕は挨拶を返し、荒井くん、向田くん、庄司くんと仲良しメンバーで寄り道しながら家に帰った。 さぁ!夏休みダァ〜っ!! 夏休みの宿題を早いうちに片付けちゃって、あとは自由に過ごそう。うん、いい計画だ! さっそく、夏休み前から取り組んでいた秘密基地作りを本格的にできる。 そ

          ある夏休みの体験

          note始めました。 限られた文字数では表現出来なかった事を書きたいと思います。たまに短編小説?みたいなものを書きますので、よろしくお願いします。

          note始めました。 限られた文字数では表現出来なかった事を書きたいと思います。たまに短編小説?みたいなものを書きますので、よろしくお願いします。