「140字小説」と「noteの記事」の書き方について真面目に語るふりをする

今日は書き方について書いてみたいと思う。

《書き方について書く》って書くが二回重なってなんか変な表現か?
いや、そんなことないか。読書のすすめみたいな本では《読み方について読む》ことができるし、「ちゃんと話を聞きなさい」って先生に怒られたときには《聞き方について聞く》ことになるし、「天ぷらには抹茶塩を」とすすめられたときには《食べ方を食べる》ことになるし、「死因は何でしょう」と訊かれたときにはちゃんと《死に方を死ぬ》ことになっている。は?

私が日々かいているもので、圧倒的に多いのが背中だろう。かゆいところの定番といえば、やはり背中だ。となると、かく頻度も圧倒的に多くなっているに違いない。
「かく」違いをしているよってことも一応書いておこう。

私はnoteでの馬鹿げた記事の他に、Twitter上に馬鹿げた140字小説を書いている。
その他にも少し長めの馬鹿げたお話や馬鹿げたことをやったせいで馬鹿げた始末書や馬鹿げた反省文なんかも書かされているのだが、今回は公に発表している“noteでの記事”と“140字小説”について馬鹿げた調子で書こうと思う。

数でいうと、140字小説が一番多い。この記事を書いている時点で500本以上投稿してきた。

しかし実際のところ、私が書いた「本当の140字小説」といえばわずか数本程度だろう。
これは別にゴーストライターに無理やり書かせたというわけでも、ゴーストライターに無理やり書かせたから反省文を書かされたわけでもない。

私の書く“140字小説”は、【小説】の体をなしていない。
生活の中のワンシーンを見事に切り取った情景描写があるわけでもなければ、140字の中できちんと起承転結が展開しているわけでもない。
はっきり言って“140字小ネタ”くらいのものだろう。
だが、たくさんいらっしゃる素晴らしいネタツイッタラーの皆様方には到底追いつけない程度のネタだ。
ここでずばり種明かしをすると、「よくよく考えたらたいして面白くもない話をストーリー仕立てにすることで、なんかそれっぽくなっている」だけなのである。

ゆえに、私の140字小説の書き方は、ネタの一発勝負。思いつくかつかないかで全てが決まる。思いつけば書けるが、思いつかなければ書けない。言い換えるとすれば、お餅つけば食えるが、お餅つかなければ食えないということなのだ。

一方、noteの記事はどうだろうか。
作り方としては、140字小説とは真逆である。

「よし、あれについて書こうかな」とその日のテーマくらいは決めているが、そこから先はノープラン。パソコンに向かって書き出してみないとどんな文章ができあがるのか、まったくわからないのだ。書いたその一文が次の一文を呼び、その一文がまた次の一文を呼ぶ。そして生まれた文が孫娘を呼び、孫娘は犬を呼ぶ。呼ばれた犬は猫を呼び、猫はネズミを呼びに行く。

思いついたら書く140字小説に対して、書かなければ思いつかないnote。

つまり、140字小説の投稿が途切れた場合、ネタが浮かばないのだからしかたがないと諦めることもできるのだが、noteが更新されないというのは、単純に私がさぼっているだけだったのだ。テッテレー。

何がそんなに億劫なのか。
先日、ある重要なことに気がついた。

以前は、記事本文を書き上げ、タイトルを書き、そこから記事にあった画像をフリー素材から頂戴したりということをしていたのだが、そこ。画像を載せたほうがよく読まれるよ、みたいなことを始めた当初に言われ、それを律儀に守ってきたのだが、画像を載せるのが本当に億劫で億劫で。気づけば本文自体、書くのをやめていた。

そこで思ったのだ。別に画像なんていらないか、と。ただ書いてのせるだけ。それでいいではないか。

すでにお気づきの方もいらっしゃったかもしれないが、最近の投稿は清々しいほどにノー画像でお送りしている。

だからホント手の込んだ画像なんかを一緒に投稿している人はすごいと思う。偉いと思う。こういう人が選挙に出て国を変えるべきなんだね、きっと。私みたいな洞窟で文字をつらねている世捨て人は、岩壁に文字を刻みつける程度がお似合いなのかもしれないのでまずは洞窟の奥に巣食うコウモリたちと闘ってくるから、今日はここまで。

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