先日、都会の片隅で人間に化けたタヌキと出会ったんだけどさ、と言ったところできっと誰も相手にしてくれない。

先日都会の片隅で人間に化けたタヌキと出会った話をしよう。

そのタヌキは懸命に人間のふりをしようとしていた。少し猫背だったが、緑色のコートにブルーのジーンズをきちんと着用していた。長めの裾を折り返していた。頭にはハットもかぶっていた。視界の端でとらえただけなら、彼がタヌキだなんて思わなかったかもしれない。だが、ショーウインドウのガラスに自分の姿を映す彼に、なぜか視線を奪われてしまった。そして気がついた。彼は耳の上にえんぴつを乗せていた。それも左右の耳に一本ずつ。それを見た私は「あれ、なにかおかしいな」と彼のことが気になってしまった。

それだけで彼をタヌキだと見抜いたわけではない。頭に葉っぱでも乗っていようものならすぐに「タヌキだ、タヌキだ!」と丸出しになっていた自分のお尻を隠すのも忘れて私は騒ぎ立てたかもしれない。だが、耳にえんぴつというだけでタヌキだなんてその時はまったく思っていなかった。

なぜ彼をタヌキだと思ったのか。
いたって簡単なことだ。彼がガラスに映る自分に向かって「僕はタヌキじゃない。タグチだ。タヌキじゃない。タグチだ。タヌキじゃない。タグチだ」ととなえていたのだ。私は思った。「あいつ、タヌキだ」と。

待ち合わせのふりをして、スマートフォンを操作しながら彼の様子を見守った。念のため、大声で「あっれ~。時間を過ぎても誰もこないなぁ。おっかしいなぁ」と叫んでおいた。道行く人が一瞬びくりとし、私のことをまるで怪しい人物を見るかのような目で見てきたが、紳士的な私はそんな人たちに対して両手を上げ「シャーッ!」と鋭い声で威嚇するにとどめておいた。

すると、何がどうしてこうなったのかいまだによくわからないのだが、警察官がやってきた。
それを見たタヌキはその場から離れようとした。「あ、待って」と私が声をかけると、「はい、ちょっと待って」と警察官が私の肩に手を置いた。え、私? 待つのはタヌキのほうでしょう。
警察官は私にまずお尻をしまいなさいと指示し、いくつかの質問をしてきた。律儀な私はそれに全て正確に答えた。たとえばこうだ。
「今日はこちらで何を?」
「そうですね……。どちらかというと右寄りですね」
「妙な人がいるとの通報があったんだけど」
「結局は、いちごオレ……ですかね」
「通行人に向かって奇声をあげてない?」
「ええ、ええ、あの頃はもう少し髪を伸ばしていました」
こちらが誠心誠意対応しているというのに警察官は埒が明かないといった顔で身分証の提示を求めてきた。しかたがなく私は、幼少期、雑誌の応募企画でもらった鳥人戦隊ジェットマンのハガキを提示した。そこにはしっかりと私の本名が書かれている。「〇〇ちゃん いつもありがとう」といった形で。
これはいよいよだ、という空気が周囲に流れ始めた。タヌキまであんぐりと口を開けてこちらを見ている。
しかたがないので、私はさっとポケットから葉っぱを取りだし、警察官の額に貼りつけた。すると、ぼわんと煙が噴き出し、みるみるうちに警察官は一匹のカエルに姿を変えてしまうなんてことはなく「何している!」と怒られた。

私の失態を見かねたのか、タヌキがこちらに近づいてきた。コートの胸元を開き、ひもをつけてペンダントのように首からぶら下げている小瓶の蓋を開ける。そこから薄紅色の煙がもくもくとあらわれ、警察官は気持ちよさそうに眠ってしまった。
その隙に、タヌキは私の手を引いて駆け出した。

「僕たちのお仲間だったのですね」細い路地裏にはいり、私たちは向き合った。「失敗はしてしまいましたけど、さっきの葉っぱの術、あれは陰葉呪授のうちの一つですよね」と興奮気味にタヌキが話してくるので「あ、ああ。うん、そうそう」とタヌキの目を見ずに答えておいた。
「しかし、こんな街中であんな危険な術をやるとは。もう少しでこの辺り一面が消し飛ぶところでしたよ」え、いやいや、そんなわけない。拾った葉っぱ。

「ところで君は……」私はおずおずと切り出した。
「今のこの外見……これは仮の姿です。ちょっと用事があって人間界に潜り込まらなければならなくて……」
「やっぱりそうだよね」
「最初からお見通しだったのですね。陰葉呪授も使えるようですし……先生ですね」
よくわからない気持ち悪そうな呪術のことはさらりと流して、私は気になっていたことを口にした。
「ところで君、その耳の……」
そこで私は気がついた。近くで見て全てを悟った。
彼が耳にのせていたえんぴつは、末端に消しゴムがついているタイプのものだった。
ああ、そうか。この子はそういう性格なんだ。
何事にもしっかりと備えるタイプの人。何かを書く用事があるのだろう。だからえんぴつを持参。万が一、書きつける文字を間違えたときのために、消しゴムつきのえんぴつを選んだ。さらなる非常事態、えんぴつを紛失してしまったときのために、もう一本用意した。だって耳は二つあるわけだからね。
だけど、そこで最初の疑問に戻る。なぜ耳に?
するとタヌキは答えた。「え、人間はみな、こうするのでは?」
私は仏陀のような心持ちで、周囲を見回してみよとアドバイスした。
彼の仕入れた情報はかなり古いタイプのものだったらしく、化けた顔を赤くしてタヌキは笑った。
私たちは互いに笑いあった。なんかもうよくわからないが、そんなときこそ笑うに限る。

「名前はなんていうんだい? ポン吉かな?」
「還幻陀院衆紋といいます」
「そうか。よし、お前は今日からポン吉だ」

そうしてまたひとしきり笑い合ったあと、タヌキは「では、用事がありますので」と耳の鉛筆を指さした。そして「ここで出会えたのも何かのご縁。本来の姿でお別れのご挨拶をさせてください」と恭しく言った。
タヌキは、なんらかのサインを出す野球監督のように体のいたるところをさささっと触り、最後に口内で何かつぶやいた。すると、どろん、と音が鳴り、人の姿をしたタヌキは煙に包まれた。
煙幕がはれて驚いた。
キツネだった。

人間の姿の名がタグチ。滑舌が悪く、タヌキと聞こえないよう練習していたという。
なので、本来、この文を書き始めるときに、最初からキツネにしておけばよかったのだが、やっぱり私にとって彼は、タグチでもなくキツネでもなく還幻陀院衆紋でもなく、タヌキなのだった。

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