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私は壊れていた。

調和の取れた気持ちのいいメロディなのに、耳の中で響き渡り神経に触れた瞬間、脳内が歪んでいくような気がする。

syrup16gの「夢」は特にそんな感覚に陥る。

高2の冬、私の心は壊れた。
それまでの時間でゆるやかに歪んでいっていたのだと思う。
母の期待を背負いながら、成績で優劣をつけられる学生生活は何も楽しくなかった。
自分の意見を持つのは悪だと思い込み人に流され入った部活でも、器用貧乏が故に最初だけチヤホヤされ、あとは衰退していく種類の人間だった。

夏休み、3泊かそこらの勉強合宿があった。初日の試験でクラス分けされ、最後にまた集大成として試験がある。
最初の試験でトップクラスに入った私は、ここから落ちるわけにはいかない、と寝不足になりながら最終日の試験に臨み、結果は散々。かなり点数が落ちた。
周りはみんな上がっていたのを知って余計に悲しくて、こっそり泣いた。
15年近く経った今でも記憶に残っているほどショックだった。

今冷静に考えてみれば、初日の試験は完全にまぐれで、元々苦手な英語だけがそういう結果になっただけ。好きだった数学はちゃんと向上していた。

それでも、悪い結果しか頭になかった私はあの時絶望した。
自分は頑張っても結果を残せない。むしろ後退していくのだと。部活でも、勉強でも、生きていくことにも。
あの頃の学生生活というのは、それだけが社会であり世界であり地球だ。
もう生きていく気力もなかった。

それでも、母はそれほど馬鹿ではない私に期待した。母は思いついたことは何でも口にするタイプで、私はそれを全て真に受けるタイプの、混ぜるな危険‼︎の二人だったのだと思う。いちいちプレッシャーを背負い、傷付き、一喜一憂していた。
母にはそんな私を気遣うような繊細さはなく、言葉にしたら気が済み興味をなくしていた。
なぜそんな母から生まれたのかわからないほど、反対に私はいつまでも引きずり思いを人に伝えることが苦手だった。
学校でも家でも、自分の存在は不要だと考えるようになった。生きるだけで金がかかり、友人にも親にも心配をかけ、それは迷惑だと叱られ、ならば死ねば解決だと理解するのに時間はかからなかった。

だから、壊れた。その冬に。
最初に症状として出たのは顎関節症というのが笑える。口は指一本分しか開かなくなり、体重もみるみる落ちた。口腔外科に罹ったのに心療内科を紹介され不登校引きこもり生活が始まる。
名前を書くだけで良いからと言われた学期末試験も放棄。未遂を繰り返し、出席日数が足りなくなり退学。


その時期にひたすら聴いていたのがsyrup16g。
何度も何度も、頭の中で自分を死なせてあげた。
もういいよ、って。

本当のことを言えば
俺はもう何にも求めてないから
この歌声がきみに触れなくても仕方ないと思う

どうしてみんなそんなに
そうやって自由なんか欲しがる
悲しいぐらいに満たされたこの世界で

本能を無視すれば明日死んじまってもかまわない


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