映画「ボヘミアン・ラプソディ」覚書(ネタバレ注意)

公開後2週間ほどしたのでそろそろいいかな…
以下、映画を観て思った事、気づいた事を箇条書きメモで書きます。
ただし記憶違いも多いと思います。そこはごめん。
ネタバレ満載ですので、映画未見の方はご配慮お願いいたします。観てから読んでね!
すみませんが、よろしく!

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オープニング、20世紀FOXロゴがクイーンのギターオーケストレーション。
(手がけたのはブライアンとロジャー、つまり現クイーン)

最高のつかみだ!もうここで傑作である事を確信した。
https://www.youtube.com/watch?v=dRI_Uzrv-Jo
なんと公式がアップしている。

それだけではなくて最後にフレディ「ヘイヘイヘーイ」煽りがかぶって入っている事を確認!これはLiveAidの「Hammer to fall」出だしの発声を貼り込んだと思われる。


最序盤、自宅で目を醒まし起き上がったフレディが微かに咳き込むが、
 これは ニューモシスチス肺炎(HIVの主な症状)の兆候。
これ初見で判る人なんて絶対居るわけない。


フレディ自宅、部屋内ロングショットになり、壁にマレーネ・ディートリヒのピンナップポスター(有名な「クイーンⅡ」ジャケデザイン引用元)


LiveAidバックステージでフレがすれ違う中に黒い上着の男が居る。
クイーン前の出番だったU2のボノ。ステージからはけていくところだった。この服は日本の学ラン。当時気に入ってよく着ていたとか。ジャパンツアー中に買ったとかファンに贈られたとか諸説あり。
エルヴィス・コステロといいブームタウン・ラッツといい、なんで皆学ラン着るのかよくわからない。もしかしたら「イケてるミリタリーファッションだ」と思ったのかな。日本の学制を知らないとあれ軍服だし。

その後、「あれ…クイーン前はジョージ・サラグッドであってU2ではないのでは…どういうこと?」と思い当たったが、ここはついに解決できない謎。

さらにデヴィッド・ボウイが見切れて写っており「そりゃあんな人がそうそう居るわけもないから隠すよな」と笑ってしまった。キレイに目が隠れてる。
演出上の意図としては、ここで主役以外のビッグネームが出てしまうとボヤケてしまうからという当然の処理である。


これら一連のシーンBGMは「Somebody To Love」。代表曲の一つである。「誰か僕に愛すべき人を見つけてよ!」という胸に迫る悲痛な歌詞と異様な高揚感の旋律を併せ持つ名曲。実はこれは超重要な伏線。
https://www.youtube.com/watch?v=8wXuJz-z79Y


イメージショットでライブ機材運搬用のジュラルミンケースのアップになり、
メンバー使用機材が出てくるが、フレディ愛用マイク「シュアー565SD」
ブライアンの有名な自作ギター「レッドスペシャル」が出現。
ここでもう熱くなる。
(が実際の機材運搬はこんな無駄なスペース使い方はしない。あくまでも演出)


その機材運搬ショットから雌伏時代フレディの空港バイトシーン、
スーツケースを運ぶシークエンスへ滑らかな「時代跳んだよ」演出。
ここでフレディが一つのケースを感じ入ったように見つめるが、
なんでか不明(その後、赤と白のビビッドな色使いに感心していたのかもしれない、とも思った)


黙々と働くフレディへ「働けパキ野郎」という罵倒が。
いうまでもなく差別用語。
イギリスでのポピュラーなヘイトスピーチ。あちらの小説読むとよく出てくる。
Pakiというものの別にパキスタン限定ではなく、大雑把に旧植民地インド出身者全てへの罵倒語らしい。醜い。
フレディは厳密に言うとザンジバル島生まれなので、あまり的を射た侮蔑ではないような気もするが、まあ問題はそこじゃなくて有色人種に対する差別がごく普通にあって、パールシー(ペルシャ系インド人)のフレディはすごく嫌な目に遭いながら日々暮らしているという。
あそこでフレディが「パキじゃない!」とやや憤然として言い放ったのは、もしかしてパールシーとしての自意識があったのだろうか。後の描写からすると「そういうのみんな捨てたい」と思っていたようなので、それもちがう気がするけどなあ…結論出ず。


バルサラ家は父親が大使館職員なのでどう考えてもミドルクラスなのだが
あの自宅描写は貧しいのか豊かなのかわかんない。
日本人の住宅事情からするとわからん。古くてボロいようにも見えるが、部屋数多いようだしピアノあるし…。
ここで父親と反目しあってるのは史実通りでもあるが、それ以上に
当時のカウンターカルチャーの描写でもある。


一方母親は息子の夜遊びを別になんとも思っていない様子で「友達に会いに行くんだ」「友達……女の子?ふふっ…」と割と暖く送り出す。
女親からすると息子が「社会的にうまく人間関係を築けている」のは嬉しい事。だから夜遊びにも寛容。
…のだが息子のセクシャリティをヘテロだと信じて疑わないあたりが、観客目線からするともう既に少々つらい。


地下ライブハウスに入っていくとクイーン前身バンド「スマイル」が演奏中。
おなじみハードロック展開になる直前、ボサノヴァ~ソフトロック的に
ちょっと落とす部分があるが、ここがかなりかっこいい。
これ「戦慄の王女」に入ってたけ?記憶曖昧(その後あると確認した)。
なおスマイルのベースヴォーカル、ティム・スタッフェルは後年
 「僕が抜けたからフレディが入って大成功、つまり僕がクイーンの一番の功労者」
という英国人らしい自虐負け惜しみジョークを放っている。悲しい。

どうでもいい細かい描写だが、ライブハウスのバーカウンターでフレディが「ラガー一つ」と注文するけれど、彼が金出して酒買うシーンはここだけ。酒飲むシーンは無数にあるんだけど。


その直後、舞台がはねたスマイルの面々を探してライブハウス廊下をうろうろするフレディへ、すれ違う男の一人が目ざとくウィンクするがフレディ全く気づかず。この時点である種の吸引力を既に発散しているのだが無自覚である。
 


メアリー・オースティンと運命的な出会い。
ここでのメアリーは一見して南アジア系とわかる女友達と談笑している。この点で「この娘は差別なんて気にしないイイ人なんです」と判る。
ここまではいいが「いいコートだね」って何だよ。これが精一杯という事なのかフレディ可愛いぞ。


後日メアリー務めるブティック「BIBA」を訪れたフレディに
「僕のサイズない?」「それはレディスよ」とのやりとりは、
デビュー前フレディとロジャーは古着屋を営んでおり
(別に儲かってもいなかったし経営に力入れてもいなかったようだが)
メンズ・レディス特に構わず売り買いしていた事を連想させる。
グラムロック時代だからそういうのもおしゃれという価値観。


ライブで「ジョン・ディーコン参加」「フレディマイクスタンドのきっかけ」
を描写しているが、どっちもいきなり始まったわけではない。
マイクスタンドがああいうふうに下半分ぶった切られてる意味は正直「ステージアクションに向いている」程度の理由はとは思うけれど、このへんうまく誕生秘話にしてましたね。
個人的には
「ロッド・スチュアート等のマイクスタンドアクションは有名だがそのままパクるのはちょっと…そうだ!短くしよ!」
あるいは「ミュージカルなどの小道具ステッキ(ケーン?)のアクションの引用」じゃないかと思っている。
また、ジョン・ディーコン起用については、なかなかベーシストが決まらず、オーディションを重ねた末、最後に参加となったメンバーなので。
なのであの部分は相当時間を圧縮している。

また、ステージで歌詞が飛ぶのはフレディお約束である。
そして暴走したヴォーカルにヒヤヒヤしながらもここで自分まで崩れてはいかん、と慌ただしくアイコンタクトするブライアンとロジャー。一旦ステージに上がったら嘘でも落ち着いていなくてはいけないバンドあるあるシーン。
あとね、またしても「ティムはどうした何だこのパキ野郎」というクソ差別主義者が居て、会場に「ええ…」という空気が流れる。
この部分で申し訳ないけど一瞬俺は思ったよ!「うわーイギリスってやな国!」
フレディも開き直ってビンディとかつけて出れば良かったのに。まあそうもいかないか。


ライブで演奏される「Keep Yourself Alive」は
実際ファーストアルバム収録であり、最初のシングルとなった。
デビュー前ライブのレパートリーとしては妥当な選曲だが、
「生き続けよう」とのタイトルや歌詞はその後を考えると示唆的。
ちなみに、さすがに字幕で邦題「炎のロックンロール」とはいかなかった。


ところでメジャーデビュー前にバンを売ったのはフレディリーダーシップが
始まった事を示す演出だが、ジョン・ディーコン評伝に
「(ジョン属していたTheOppotitionが)1967年にバンを買ったのは
彼らに時代の目配りのセンスが無かった事を示すものである。
気の利いたバンドは小金があったらロンドンへ出てきて
マネージメント事務所を探したり、音源を作るための
レコーディングをしていたから」
というとても悲しい箇所がある。そういう凡百のインディバンドと違い
クイーンにはそもそもの始まりから明確なビジョンがあった事を表す。


その後始まったレコーディングにおいて、でっかいスピーカーを
振り子状に揺らしていたのはフランジング効果
 (音の位相をずらせて揺れのある音像になる)を独自の方法で出したかった
ブライアン発案によるもの。多分。
同様の効果出すフランジャーというエフェクターはまだあまり出回っていなかったのかもしれない。
その数年前のサイケデリック期に多用されたエフェクトであるが、
ブライアンは別の概念で考えていた可能性もある。
フランジングを軽く効かせたギターはその後ブライアン音色の主な個性とみなされるようになった。
「フランジャー一つとってもクイーンはエフェクターではなく、物理的に
アンプを揺らせて録る→独創的!」という演出である。もしかしたら史実かな?
(その後「フランジャーではなくフェイザーでは」とも思った。レッドスペシャルの特性から考えるとむしろこっちか)


ところでこの後ずっと出てくるスタジオエンジニアらしき人はロイ・トーマス・ベイカーという事でいいんでしょうか?


このあたりまでフレディは唇を噛むような妙な所作が目立つが、言うまでもなく出っ歯を恥じているせいである(悲しいなあ…)。抜き難い容貌コンプレックスを払拭するのはこの後から。そこからは堂々と口を開いている。


バルサラ家でのホームパーティ(フレディの誕生日?)。
バルサラ家とオースティン家、クイーンメンバー、そしてメンバーのガールフレンド達という満座の前だが、男の子なら誰もが嫌がる「幼時の写真」を晒されてしまいフレディの面目が丸潰れ。
お父さんが「寄宿学校に入れたのにコイツときたら全然ダメでね」等いちいちフレディの逆鱗に触れてしまう発言をしてしまうが、「ありがちな微笑ましいやりとり」に託して「自らのパールシーという出自を捨て去ろうとするフレディへの悲しみ」をひっそりと提出するのである。父親もまた孤独。
そしてそういう血の呪縛(この時点ではフレディ視点ではそうとしか受け取れない)に苛々し
「もうやってられっか!」とばかりにフレディが「ハッピー・バースデイ、Mrマーキュリー」と痛々しく自らの誕生を歌い上げる。誰にも祝福されず、たったひとりで。
家族の中に居ながら全くの独りぼっちだ。本当にやるせない。
「正式に改名したんだ、僕はもうファルークじゃない」との決別にさすがにお母さんも表情を曇らせてしまう。せつないなあ…。
そんな中ロジャーは全くブレずにカシュミラ(フレ妹)へ「これから暇?」とナンパする呆れた性豪ぶりを発揮。ここは一服の清涼剤。そして連れてこられたロジャーのガールフレンドの立場は…。本当にしょうがないなあロジャー(褒めてます)。

他、ハッピーバースデイの前に一節だけ「うつろな日曜日」の断片を歌うところはファン向けのトリビアだよね。「この時点で構想出来てたのか!」と。

この少々気まずいパーティシーン終盤、「ジョン・リードがコンタクトとりたがってる」電話がかかってきて、フレディとメンバー達は高揚を隠せないが、お父さんはひっそりとボクシングポーズをとる幼いファルークのモノクロ写真を撫でる。声にならない悲しみ。
この「ボクシングをやらせていた」件で、父親がどういうメンタリティをもっているかはっきりと分かる。そして決定的な離反を静かに悟る。


メジャーデビュー前のEMIお偉方会談。
オープンカフェ待ち合わせでのフレディエリマキトカゲコートは失笑ものだが
それとは関係なく、登場するフレディに向かい、すれ違った三人連れの
スキンヘッズが「この屑が」と罵声を浴びせる。
当時の英国での各トライブ間の敵対(あるいは接点のなさ)を示す演出。

後年クイーンは国民的なバンドになるが、このときはまだそこまでの拡がりは望むべくもない。
ワーキングクラスのスキンヘッズ(モッズの後継種族)は主にソウルやスカを愛好(後にoiやハードコア・パンクへ流れた)、
一方ハードロックやプログレは中産階級インテリロックお坊ちゃん向けという明確な棲み分けがあった。非常に乱暴にいえば初期クイーンはイエスやジェネシス、ディープ・パープルやレッド・ツェッペリン系統という捉え方もできたので、これはしょうがない。
また、ここでのスキンヘッズは英国ワーキングクラスの男権主義や旧弊さ…はっきり言ってしまえばフレディを一目見て感じた「なんだこのカマ野郎」という反感をわかりやすく示した作劇上の装置。


この時のEMIジョン・リードがいかにもなタイトフィットなテーラードスーツ着用。当然オーダーメイドなんだろうなあ…。
これもまた階級を示す。
このへんは「キングスマン」でも描写されてましたね。
非常にはっきりした「堅気な大人」。


その部下として登場するポール・プレンター(後のドクズ)は
「革ジャケットだが長髪ではない」という微妙な位置感。体制側のリードとボヘミアンを地で行くクイーン(「俺達には居場所がない」)の仲介として機能するんだな、というのがすぐに判った。そして「一番可哀想な役回りになるんだろうな」とも思った。ある意味当たってた。

この時点では若い頃のヴィゴ・モーテンセン似でかっこいいと思ったのに、あんなになるなんてね…。
この時はキャラ立ちも何もなく、所在なさげにボンヤリしているだけ。


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その少し前、フレディ自宅でくつろぐ彼とメアリー。
逆手で「ボヘミアン・ラプソディ」イントロを弾くが、ここは多分「アマデウス」でのモーツァルト曲芸弾きへのオマージュ。


「トップ・オブ・ザ・ポップス」出演で「キラー・クイーン」演奏。
TOTPでは原則すべて口バク。それは周知の事なので今更気色ばむのはちょっと違うんじゃないかなー、と思ったけど、まあいいです。
この部分は細部に至るまで史実と同じ。爆笑した。
https://www.youtube.com/watch?v=2ZBtPf7FOoM


USAツアーもかなり圧縮してる。
最初にブレイクしたのは日本という話もあるが、その描写欲しかった…。
あとピンのツアーじゃなくモット・ザ・フープルの前座なんだよね…。

「メアリー愛してるよ」「あっ…ハッテン場(というか男子トイレ)に好みのガチムチ男が」の葛藤はわかりやすくて情けない。
婉曲に描かれているが、要は映画的にはフレディはここでホモセックスを覚えたと、そういう事である。
悩むフレディと上半身裸キリスト磔刑ポースでモッシュの交互フラッシュは、「これでもう僕、道徳的にアウトになっちゃったな」との説明。いささか説明的過ぎるかも。

また、駆け足で世界の各都市ロゴがバビューンと出る演出バカバカしくもスタイリッシュだった。個人的には「OSAKA」「RIO」が気に入った。
そしてロジャーさん、フロアタムにビールを浴びせるのはいかんですよ!
その昔の矢沢永吉(キャロル時)が楽屋でベースのネックにブーッと日本酒を吹きかけておもむろにステージに出ていったという伝説を思い出したよ。楽器は大事に使いましょう!ちょっとマジで。
それにしてもロジャー、両脇にグルーピー美女を侍らせるベタベタなロックスター振りが本当に決まっていて爆笑した。かっこいい!!
ちなみにこの路線はデイヴ・リー・ロスが完成させて、その後継承者は特にいない模様。


ところで特定のシーンではなく、映画前半すべてに言える事なのだが…70'sファッションの考証の詰めが途轍もない域に達してるんですが…。こんなの「ベルベット・ゴールドマイン」以来だ。スタイリストの苦労が偲ばれる。


よく言われているが「オペラ座の夜」レコーディングに入る前の
 会談シーンであの!マイク・マイヤーズがEMI重役レイ・フォスター役で出現(史実ではこの人居ない。それっぽい役周りの人は居たが)。なんとなくジェフ・リンな造形。丸くなったなあ…顔が。


「オペラ座の夜」レコーディングで田舎の農場を使っているが、
これは当時の英国ミュージシャンの間では普通。
ポール・マッカートニーやレッド・ツェッペリンもそういう作り方をしていた。のんびりした農場でゆっくり創作に専念…という事かしらね。

ここで初めてポール・プレンター(クズ)がフレディに色気を出すが
正直心から「そういうのやめてくれ、フレディにはこれからジム・ハットンが現れるんだから」と思った。
それにしても、ポール・プレンターがいきなり滾っちゃってフレディにキス、満更でもないフレディの「あら?僕って割と男イケるんちゃう?」という揺れが物語上強いベクトルとなる。つまり、男に覚醒してクルージング→さらにポジ種もらっちゃって陽性へ…との遠因とさえ言える(下ネタ御免)。
罪深いわなあポール。性癖は別にいいとしても映画プロット上の「悪」である。


さて、いちばん狭くボロい部屋をあてがわれても文句一つ言わない
ジョンディーコンの器がでかい。普通クレームつけるよね。
 「狭いけど暖かいから」「ん、OK!」じゃないって…。
ほんとジョンと書いて「穏やかな忍従」と読む!!って感じ。
こういうふうに、何かと「割食う役回り」の人って世の中に一定比率で確かにいる。それを声高に「そんなのやだ!」と拒否する人、あるいは「ま、僕はそういう感じなんだな」的に無常感を噛み締めつつ受け入れる人がいて、ジョンは明らかに後者なのな。そういう事を描写するエピソードである。俺はこの人に大変思い入れてるのでもうここで泣いた。はっきりいって今後の期範にしたいとさえ思っているのだ。そんな彼の穏やかな諦念がここにも。
そして部屋は狭いが、ジョン貴方の器はスタジアム級だよ!


タイトル曲「ボヘミアン・ラプソディ」着想のきっかけという事で、ぼんやり近所を散歩するフレディが、緑したたる景観のひろがりを眺めていて、ある種の開放感を感じ、ふっと……「なにか降りてきた!」みたいになってそそくさと踵を返すシーンうまいなと思った。
少々煮詰まりがちだったところへ、視点を変えて俯瞰してみると気持ちが拡がって、それまでああでもないこうでもないと拘泥していた日常意識を離れて、突如フォーカスが合い、結晶する……うん、判る。
でも煙草ポイ捨てはダメよ。


EMI会談。出来上がった新作「オペラ座の夜」初披露!
「ボヘなんてシングルになるものか!」
「ジョンの「マイ・ベスト・フレンズ」で決定!」とレイ・フォスターことマイク・マイヤーズが言い放つ。

「若い子が車で頭振るような音楽か?これが?」とボロクソ貶すが
明らかに「ウェインズ・ワールド」を前提にしたギャグ。ここは笑いどころ。お前心から喜んでヘッドバンギングしてたろうが!馬鹿!(愛)

そして、流れとしては革命的なボヘ推す関係上、自分の曲なんて考慮に値しないというバンド統一意見に賛成せざるを得ないジョンに涙が止まらない。


史実だとボヘはシングルカットされバンドを代表するヒットになるのだが、この流れだと
 「結局シングルになりませんでした」→「本当はだめだけとラジオで流すよ!」
みたいになってしまい、これはなんか変じゃないの?と思った。
あのシーンでメアリーが妙に気色ばんでいたのはラジオDJとフレディの仲を怪しんだせい。だと思うが合ってるかな…?
「レディース&レディース!」と意味なく声上げるし、なぜかフレディと乾杯してるし(オンエア中に酒飲むなよ)、ある程度勘ぐる材料はある。


ハワイツアー(ブラジルかフィリピンかも。曖昧)でフレディにどことなく似た現地の若者をお持ち帰りしたポール・プレンターに向かって「お前の友達はもう帰らせろ」と言い放つシーンはかなり気味悪かった。
側近が自分へ溜まりに溜まった性欲をつのらせてる(そして似たものなら
 何でも良くなってる程に追い詰められてる)というのは恐怖である。
「こいつ何考えてんだ、そろそろヤベーな」くらい思ったであろう。

 あとお前本当に堀内孝雄似やな!ありがとうっ!


本当はこの辺で「世界に捧ぐ(News Of The World)」リリースであり、
「伝説のチャンピオン」「We Will Rock You」が生まれたのはこの辺。
なので、このあたりでドンドンパン!のはずだが、そこは後に廻されたのね。
まあ別にいいです。こういう時系列変更にダメ出しする濃いマニア多いけど、それは了見狭いというもんだ!と俺は強く思う!


ワールドツアーから帰ったフレディがバイカムアウト。
ここから中盤のつらいパート始まり。
なお本作を観た友人はこのシーンについて
「その苦悩はLBGTを外して考えれば、単にフレディが浮気者というだけ」と身も蓋もない感想を出していました…。悲痛なトーンなのでこちらは胸バクバクしながら観ていたが、言われてみたら、まあ…そうかも。否定しきれない。
基本フレディの悲劇は「冷たい言い方をすれば自己責任」で一括されそうな気がしてきた。世の中やるせないなあ…。

M「私に何を求めてるの?」
F「ほぼ…全て」
M「これからの人生はつらいわよ」
メアリーを伴侶にしたい心情は変わらないものの体は男を求めてる、というこの乖離。もちろん自尊心のある女性ならこんな境遇を受け入れられるはずもない。

が…上記友人の感想に寄せて考えてみると……一旦男好きという前提を外して考えれば「長渕剛の「俺らの家まで」と大差ねーじゃん勝手だな」と俺の心がツッコミを入れてしまうのを止められず、こういう神話的な悲劇がどうにも卑俗に変換されちゃって、どうも俺って品がないな。
話が逸れた。「俺らの家まで」が如何に横暴な歌かという問題は、皆さん歌詞を検索して下さいな。いい気なもんだとしか思えん。

話戻す。ここは「私っていつもそう」というメアリーの悲痛な独白に涙するところ。こういう事は当の相手に言ったとてどうにもならないのは百も承知だが口に出さずにはいられない苦しみ。つらいなあ…。


フレディ大豪邸建てたが孤独。
F「この短髪髭どうどう?」
R「ゲイっぽい」
 いやもう少し手心というものをロジャーさん…。
 ロジャーは気のいい鈍感な「いいやつ」であり、この時点ではフレディの同性愛に微塵も気づいてないが故の「王様は裸だ」的な思ったまんま発言。

F「飯食ってけよ、床で」
R「いや帰って家族と」
F「」
昔は同居までしていたロジャーと、ごく自然に疎遠に…
きっと狭いフラットでだらしなく床に座り込んでメシ食うなんてざらにあったんだろうねええ…寂しいなあ…。

F「電灯点けたり消したりして乾杯だ!」
M「はあ…(乾杯しない)」
そこまでは尽くせないわな…。でも悲しいな。
ここで演技してあげるのはメアリーの慈悲…というか博愛なのよね…。
ここでのメアリーの翳りの演技がまた素晴らしいが、あの悲しい破綻のあと数えきれない一人の闇夜を持ちこたえた彼女は、フレディの「ほーら電灯カチカチ楽しいなー僕らは判り合ってる!」という子供っぽい承認欲求に、もはや付き合わないのだ。本当のお別れはいつもこんなふうにさりげなく訪れる。

そして電灯を消して闇に包まれたフレディがあまりにも孤独である。
このへんの描写が見事。


F「心が虚しいからパーティするよ!」
 クズ「よっしゃ任せろ」
 ロジャー「今日はクローン居ないんだな(敵意)」
 クズ「シャンパン注がない」
ここでのロジャーVSクズのバチバチ具合はもう正視できないほど憎しみに満ちていて、ちょっと引いてしまったよ俺。

 F「退屈な事言うなよディーキーかよ」
 J「にっこり(菩薩)」
 R「なにコイツ腹立つな、もう帰るわ」
 B「フレディお前って本当にドクズやな、知ってたけど」
 F「あっ…イッツジョーク…」
 クズ「(まずいな)パーティ続くよ!フレディ挨拶に行った行った!」

ところでフレディは自覚なく酷い事を言う人。
当人は自分の毒や残忍さに全然気づいてないんだが、それはそれとして愛と善意に溢れてはいるので「傷つけちゃった…」と悟ると途端に自責の念でどんより暗鬱になってしまうんだ。
 こんな人時々いるけど、関わり合ったら本当につらい。まあ子供なのよ。

ここでのフレディの荒涼とした心情を示す台詞は「幸せは金で買えないが、他人に分け与える事はできる(ドヤ)」というもの。 
俺は「富裕ゆえの不幸」て我が身では全然想像つかないんだが「世の中そういう荒み方もあるんだな」と思った。
この空疎で華やかなパーティのあたりから、フレディの失調がはっきりしてくる。
というかね、かなり前の「バルサラ家のパーティ」といいこれといい、本作におけるパーティというのは心の荒みを描写する為だけにあるみたいだ!空虚の極み!

さて「冗談だよ」と言いかけたものの、心底怒ったメンバー全員に去られてしまい動揺するフレディを敏感に先導し気を逸らすポール・プレンター、これはこれで痒いところに手が届く盤石の配慮。正直感心しました。草履を温める木下藤吉郎レベルの献身である。
というか「フレディを傷つけたくない」いじらしさにも思えてくる。
フレディにとっては対等の男友達で、陽性な魅力が眩しいロジャーに対して、ことさらに憎しみを顕にする彼の心情とは…少しづつ明らかになってきた。……妬み、それ以外にあるまい。


そんな中、晩年のパートナーのジム・ハットンと出会いが。
ブライアンメイ役のグウィリムと並び本作のそっくり大賞である。どうみても本人だ。

 JH「雇い主だろうとセクハラには毅然として対処!」→今日的である。
 F「俺の権力財力にびくともしない誠実な筋の通った男…キュン」
以前読んだジム・ハットン著「私とフレディ・マーキュリー」では別にこういうドラマティックな出会いではなかったが、別に目くじら立てるつもりもないです。ここでは彼の温厚篤実な人柄が描写されたので、それでいい。
「やばい!またやっちゃった!数時間前にメンバー全員怒らせちゃったのに、もうやらかしてもた!」と狼狽するフレディ、即刻「悪かったもう二度としない」と切々と謝罪する「ええ子」である。
それはそうと「制服って…いいよね」はちょっと頭足りない賛辞である。
確かに、ウェイター、軍人(後年のフレディの黄色いミリタリージャケットを想像されたし)、オーケストラ団員…etc…といった男のキメ装束にぐっときてしまうのは判らいでもない。

でも先のメアリーに対しての「そのコートいいね」シーンといいこれといい…お前は心底惚れた相手にはポンコツになってしまうんか、頭悪いんか!
ここは取り敢えずの薄い賛辞しか贈れない彼の意外な純情ぶりにクスッとくる笑いどころだ!

ところで、心にのしかかる辛さ苦しさというものは、得てして「しがらみのある親しい人へじゃなく、関わりが薄い人へこそ開陳できるもの」という心情はあって、だからこそ初対面のジムへ打ち明けられたのだね。
人間的に成熟し安定したジムは、フレディについて殆ど知らないながらも敏感に察して「君には友達が必要だ…本当の友達を得られたら、また会おう」と真摯に語りかける。
ここは本作屈指の良いシーン。
少し話逸れるけれど、俺が大好きな作家の橋本治は「一人で寝られるようになってから、二人で寝なさい」という超名言を残している。
これってこの折のジム・ハットンの台詞ともはや同じ意味じゃないか!
卑俗な意味でいうと「安い遊びやセックスですさむのは、そろそろやめなよ」という事なのだが、もう一つ奥のレイヤーでいうと「人は孤独と向き合う事によって、初めて他者を求める資格を得る」ちう深い洞察のなせる言葉よ。だからジムは傷ついたフレディを理解するものの、心を残しつつも敢えて去る。言い換えれば、フレディはまだ内省が足りなくてジムを求める資格がない。とはいえ、一つのきっかけは掴んだ。
とまあ、半ば無理やり橋本治に絡めてしまったが、ジムはほんとわかってる人。

 なお史実のフレディパーティは相当ひどかったらしく、
 えげつないエピソード多くて引く。映画のパーティ描写は相当キレイでしたね。せいぜいがフレディを肩車するクズが「ドラッグいかぁっすかー」と叫んでいた程度。本当にもう絵に描いたような腰巾着。


この後やや唐突にクルージング的描写がある。フレディもうやめて……。
フレディがゲイディスコに耽溺し、後の「地獄へ道連れ」に結実したという描写。
さてディスコ路線はロジャーが凄く嫌っていたとか。まあ70年代のロックドラマーとしては当然だ。リズム的にこれまでのクイーンとはまるで異なるし。
他、「フレディにクルージングを仕込んだのはポール・プレンターなんだ」
とブライアンはすごく彼を憎んでいたという。
多分事実だろう。
この時点のプレンターは口髭蓄えていて、本当にテンプレ通りのクルーザーだ。映画でもほんのちょっとだけ描写してましたねクルージング。
このへんのゲイクラブの奥の間にプレイルーム()があり、そこではもう…というのは以前「トーチソング・トリロジー」で観たので、「ああ、そういう事ね(ちょっとキツイな)」とすぐに腑に落ちた。
あの世界をねっとり描くと「クルージング」(アル・パチーノ主演)になるんだろうなあ。


M「新彼デイヴィッドを紹介するわ!」
D「どうも、ご覧の通り真面目系ハンサム(ヘテロ)です、なんとなく若い頃のスティーブ・ウィンウッドに似てますが気のせいです」
フレ「あ……よ、よろしく」「メアリー…指輪は…」
(責めたいけどそんな事言える筋合いじゃないし)
 つらい。
そして、それ以上にデイヴィッドの心情がキツイ。
「(フレディの後釜という事で色々覚悟はしていたものの、いまフレディ超絶キョドっちゃってるし、メアリーの為にも僕は毅然としてなきゃ!と自分を鼓舞するんだけど、いやあ気まずいわ…)」ってところか。
ここはメアリーの復讐でもあるんだろうねえ…。
「あなたもちょっとは傷つきなさい!私の何分の一かでも!どう思い知った?」→俺悪く取りすぎてるかなあ…。
ここで仲睦まじい二人に動揺隠せないフレディに対し、目敏く「ほら他へ挨拶に行かなきゃ」といたわるポール・プレンター、ちょっと前にもほぼ似たシーンあったが、いや確かにこれはこれで忠実無比ではあるんだよなあ…。


B「フレディ来ないしドンドンパ!」
 ここで出してくるか。時系列違うけど許す。
 でもフレが割と嫌な感じで登場するとドンドンパが自然に「…」という感じで終わってしまい、フレディと他メンバーの乖離があまりに明らかでつらい。
とはいえ、ここで俺もドンドンしたかったけどなんか映画館は静かでねえ!サイレント足踏みしたけど寂しさがつのるよ!!


F「これからはクラブ音楽だぜハッハー、ロックとかださくて」
 R「お前舐めてんのか」
 J「ボッボッボ(ベース)」(地獄へ道連れ)
 全「なにこれかっこいい…」
 このベースの音がすごく生っぽくて震える。
 クイーン史上一番見事なベースフレーズではないだろうか(いやChicの引用という事はわかってるけど…)。PAを通した音ではない、ベースアンプから直で出るリハーサルスタジオの音であるところが臨場感たっぷり。ここまでスムーズなきっかけではなかったろうけど、こういう音響上の小道具の為にリアリティがグッと上がった!

行きがかりを捨ててセッションするとバンドマジックが……ああ、バンドっていいよねえ……たとえ反目があったとしても音が鳴ってる瞬間だけは、つかのま音に奉仕する、それだけになる。

本作屈指の良いシーンなのだが、前半のジョンの(珍しい)怒り顔がちょっと怖い。
「ラリっててもいいがちゃんと歌えよ(=お前がどんなにクズでもいいが、音楽にはちゃんと向き合え、わかってんのか?)」という事よ。

 そしてくわえタバコのロジャードラムがあまりにも艶っぽい。
 以下第二期黄金期。WWRYシーンもあったね。
が、申し訳ない、実は俺WWRYって楽曲としてはあんまり好きじゃない…。なので割とこのへんは淡々と観ていた。


ここからクイーンは「ヒットと引き換えに迷走した」「ディスコに手を出してバンド生命を終わらせた」
 という辛い評価があって、割と反駁できない部分もあるんだが
 この時期のアルバムはもうちょっとだがライブは凄くいい。
 Staying Power (Live at Milton Keynes Bowl, 1982)
 https://www.youtube.com/watch?v=XrGhMeqR1lI
 この時期の「ホット・スペース」(アルバム)の曲のライブアレンジ。
 ものすご鋭角的で前のめりなファンク。キレッキレである。
 それでいてロック感もあるし。
 もう1枚こういうのを作ってたらプリンスとタメ張る事になってたんじゃないか?
 と結構本気で俺は思っている。


水面下で陰謀が…。
 ジョン・リード「CBSからフレディソロのオファー…でもまずいよなぁ」
 ポール・プレンターことクズ「…」
 ジョン・リード「フレディ、実はソロ話が」
 F「あんだとクイーンは家族!裏切んのかコラ!(逆上)」
 ジョン・リード「ポ…ポールプレンターさん、かねてからの根回しは」
 クズ「ええっ初耳!そんな陰謀が?(演技)」
 F「テメー馘首だあ出てけ!」(一度はやってみたい車から降りろ発言)
 クズ「ニヤリ」
 ほんとこいつ嫌い。駄目押しとして「こんなゲイの俺を知ったら親は死ねとさえ願うんだろなグスン」というフレディの情緒の弱いところをつくゲス。長年のプロファイリングがここに結実した。

※ここ2回目観てようやく把握したがポール・プレンターの「ベルファスト出でカトリック、そしてゲイ」というのが途轍もないマイノリティであり、ここでこれを出すというのは「俺もまた究極の少数者であり、孤独と重圧に打ちひしがれているんだよ、だからこそフレディを一番判ってあげられる、俺達は一対になるべきなんだ」という……これはこれで悲痛な告白なんだな、と。なので俺の極悪評価は……少し改める事にする。

ジョン・リード「敵は近くにいるぞ!」
スルーされた……。


マスコミ記者会見は本当にいやだった。
要は
「はい僕は男好きです」
「それもハードゲイなんでガンガン手当たり次第に乱交してます」
「あとおくすりも摂取してるよ!」
と言わせたいだけ。言質をとりたいだけ。
当然ながら言えるはずもない。かといって完全否定はもう、半ばバレてるので、無論できない。
とするともう戦術としては「韜晦」しかない。はぐらかす、機知で記者をやりこめる、そんな事しかできない。
しかし、その戦術は自分をも蝕む。
あっさりゲスな記者側と同じ低劣な次元に堕ちてしまうのを避けられない。どう転んでも地獄。
もちろん今はじめてこういうイヤな会見やらインタビューを受けたわけでもなく、これまで数限りなくそういう経験を重ねて、メンバー全員がほとほとうんざりしているのは明らか。

受けこたえするフレディの世界が徐々に歪み始める。罵声、フラッシュ、遠くなる声。白く霞み始める視界…。
よくある演出ではあるが、俺は「エヴァQ」中盤のシンジ君が心の痛手に耐えかねてついに心の均衡を失うあのシーンを連想した。

エヴァQに限らず「味方が誰も居なくて、そこにいる全員が自分を責める、逃げ場は全く無い」つらいつらいシチュエーションに置かれると、もう心がそれを受け入れたくなくて、外界と内面がじりじり乖離してきて、うっすら非現実感すら感じてしまう……そんな状態。


決定的な決裂、フレディソロ。
F「クイーン辞めるとは言わないが、当面…ナシかな?」
 R「何だとこの恩知らず!空港から拾ってやったのに!」(こういう言い方は良くない)
以下、フレディのしょうもないマウンティングが炸裂する!
 F「ブライアン→天文学博士ってか?誰も読まない論文おつかれーっす!」
 F「ロジャー→歯科医?週末のブルースがせいぜいだろ?」
 (世のブルースバンドの立場は…)
 F「ジョン→うーん…お前はちょっと思いつかんわ」
 J「電気工学得意だよ!」
 F「それだ!」
 コントか。オチ要員かジョン。フレディ他人を嘗め過ぎだろ…。

なおジョンは電子工学の学位を本当に持ってる。名誉学位だったかな?
 初期クイーンの機材トラブルはジョンが全部解決していた。
 それを踏まえるとフレディのこのくだりはかなり酷い。
 そしてジョン・ディーコンがまたしても神か仏かという寛容さを見せる。いや殴ってもこの場合許されるんちゃう?


しかし静かなる男ジョン、言うときは言う。
 F「いいよなあお前らには家族が居てよお!俺は孤独だ!」
 J「その400万$で家族を買えよ」(言ってやったあああ!)
 普通ここまで言ったら終わる。いろいろ終わる。


ここからクズの栄華。ホント佞臣やな!三国志でよく出てくる国を傾けるやつだ!十常侍かと董卓かと河進かと。
そして、CBSでソロアルバム制作に没頭するフレディが憔悴、衰弱。
 しかしこのソロアルバムが「Mr.バッドガイ」そしてシングル「ボーン・トゥ・ラブ・ユー」なのでファンとしてはもやもやする。エレポップなフレディ悪くなかったんだけどな…。
そしてマイアミやメアリーからの連絡を握りつぶすポール。どこまで悪辣なんだよ…蜜月を邪魔されたくないのか…。

あとレコーディングスタジオで「もっと高音上げていこう!」などとエンジニアに御高説を垂れるポールの薄っぺらさが笑える。
ここは「典型的な80年代のキラキラした音像を強く推すが所詮は刹那的なもの」という意味も込められている。
(ニューロマや80年代MTVヒット曲大好きな俺からすると複雑な気持ちではあった)


 たまりかねて唐突にメアリーが訪ねてくるが、わざわざミュンヘンの別荘まで来たという事である。
 恋人ではなくなって久しい彼女……。まあわかる。しかし、やるせない。
 これに関してはフレ自業自得だが、責められない…。
「愛は消えても親切は残る」とはカート・ヴォネガットの名言だけど、そういう事なんだろうなあ…。あるいは家族愛。慈悲。


M「悪い夢を見たの。あなたが(私の)父みたいになって、わたしが話しかけてもあなたには届かない」
ここで観客は「あっ!前半のバルサラ家パーティでメアリー父の聾唖描写はここへの伏線だったか!」と気づく構造になっている。伏線回収。
と同時に「父との葛藤」を抱えていたのはフレディ一人ではなくメアリーもまた父との齟齬があったのだ……と思わせる台詞であった。
勿論表の意味としてはその後に続く言葉「ここの人たちはあなたを愛していない、あなたは家族のものへ帰るべきなの!」に繋がる「今のあなたは周りから遮断され孤立している」という事なのだけど。
まあ思いつきです。


とはいえ決定的な回心を果たすフレディではあるが一瞬にして覚醒するわけではなく
F「戻ってくれないか(なぜなら愛してるから)」
M「…妊娠したの」
F「なんてことを(how could you)」
M「なんてことを、ですって?(ピキピキ)」
F「あっあっ(またやらかした?)ごめんなさいごめんなさい!→に…妊娠おめでとう…」
M(なら仕方ない、まー赦すか)
というこの期に及んでドアホ発言もしてしまう。
「hou could you do it」というのは「よくもそんな事できるもんだな」という、これを言ってしまったらもう喧嘩になるしかない最終ワードなのだが、要はフレディは未練があるのよね……。
が、さすがにもう悟らざるを得ない。いわゆる一対の男女としての愛はもうない。
しかし「家族」と再定義された愛(博愛=アガペーだろうな)は、変わらずにそこにある。
そういう認識にフレディは今ついに至った。


そしてポール・プレンターの悪行が暴露される。
F「テメー俺をだましてたんだなLiveAid黙ってたな」
 クズ「いや…お前忘れてたのと違う?(すっとぼけ)」
 F「俺は家族(クイーン)に戻る!」
 クズ「ごめん捨てないでぇぇぇ!」
 F「もう知らん」
 クズ「個人情報売ってやる!」
ここで俺は「あっ…もしかしてこのドクズ、フレディの愛人の一人だったのでは、だからこその愁嘆場なのでは」と遅まきながら思った。
軽く見られつつ尽くしてきた、その過程でろくでもないこと一杯やったけど、フレディを愛すればこその奉仕だったのでは…。

そして、欠落感と孤独を共有する事だけで一点突破しようとしたポール・プレンターの戦術は、ついにここへきて訴求力を失った。もう先はない。
ここで流れる「アンダー・プレッシャー」はイヤミかとすら思うくらいハマっていた。

なお本当に、後日ゴシップネタ売った。蜂の一刺しって感じかね(形容が古い)。
いやーあちらのワイドショーって日本のとあんま変わらんな。
そして空々しいTVインタビューで「彼は孤独なパキスタンの少年です」と洞察力あるものの毒を吐く。だからパキじゃないよパールシーなんだよ!何しれっと差別してるんだクズ!(憤怒)


その間も猫は約20分に一度の割合で出続けた。
猫にとっては人間界の軋轢なんて無関係。一服の清涼剤である。
 愛猫「デライラ」もちゃんと描写されてうれしい。


そしてHIV発症。これが主な改変。実際は87年頃。
 病院でのやつれた少年「エ~オ」が悲しい。まもなく亡くなったんだろう…。が、ここでフレディに微かな希望が。
「余命少ないにしても僕はパフォーマーなんだ…」と。


そしてマイアミことジム・ビーチの計らいでメンバー会談。
F「正直これまで俺はクソだったよ」
 B「あっはい、ちょっと出てってくれる?」
 容赦ない。
R「なんで出てけ言うたん?」
B「いや、なんとなく」
何となくかよ!即決できるはずもないからちょうどいいクールダウンではあるけどね。


J「許すけど今後はクレジット連名な」
 クイーンは金で揉めまくったから正しい施策である。実際「ミラクル」からは作曲者はクイーン名義。このへんはバンドの半公式会計士であったジョンらしい言動である。


以下LiveAidへ…。
 遣手重役マイアミが輝いた。滑り込みセーフみたいなニュアンスではあったが、実際は前々からボブ・ゲルドフがオファーしていたのだろうけど。

リハーサル中、メンバー全員へのHIVカムアウト。さすがに言葉を失う面々。細かいようだが全員でハグするシーンは、当時の偏見(触れば伝染る)を念頭に置いて考えればいかにフレディ愛されていたかという所作でもある。後で気がついてしみじみしたシークエンス。


ボブ・ゲルドフ激似で驚いた。
 史実のフィルムがパンするとそっくりさんが!!ここまでやる?
あと個人的には電話コールセンターの皆さんがライブ当日というのに忙しく働いていて本当に偉いと思ったよ。普通客として観たくない?


ここで冒頭に繋がる。
 この一日でジムハットンを探し出し、家族と和解。あの日盛りだくさんだなフレ!電話帳頼りに探すというのが時代を感じさせて泣く。会いたかったんだね…。
BGMは再び「Somebody To Love」。
はい!「愛すべき人」とはジムでありました!長い長い伏線回収であった。
もう散々言われてるが「僕を愛してくれる人」というだけじゃない、「僕が愛するべき人」がsomebody to loveの意味なんだよ!
「その人」が僕を愛してくれる保証があるわけじゃない、でも「僕が愛する」ことが回り回って大きな救済を産むんだよ!
観客の情緒がここで決壊するつくりになっている。なんて卑怯な手口(演出)だ!泣くやろこんなん!

そしていきなりよく知りもしないセレブの実家に連れて行かれるジム・ハットンさんの心情は…。鷹揚に受け止めていたっぽいが。
そしてフレディと父親の歴史的和解。
友人と紹介されたジム・ハットンではあるが、周囲の「まあ察したけど」という空気感にもめげず、太く寛容にインド菓子をつまむ強心臓であった。あのお菓子食ってみたい。


メンバーが待機するバンのシーン、バックで流れるのはダイア・ストレイツの「悲しきサルタン」。彼らの後にジョージ・サラグッド、そしてクイーンという順番。だから出番の約1時間前というところか。

バンの中で出番を待つメンバー雑談シーン、
F「あのデイヴィッドってどう思う?」
B「んー、いいんじゃない?」
F「あいつゲイだぜ」
メンバー「(失笑)」
というフレディ視点からすると身を切った不謹慎ギャグがあるが、まあ…いろいろ和解して心穏やかに自分を肯定できた余裕のなせる台詞というのは判る。判るけどこれ万が一少しでもデイヴィッドにそのケがあったとしたらメアリーにとっては生き地獄やん…「またなの?(錯乱)」という事に。ほんと英国人の毒ギャグは時々引いてまうわ!フレディ自重しろ。


あとは怒涛のLiveAidだが…
 グランドピアノに置かれたペプシとビールの配置からして全くおんなじで背筋が寒くなるほどの考証。歌い出しでちょっとピアノ上に置かれた「モニタアンプのボリューム」らしきものをいじる、ある意味どうでもいい所作までコピー。
この辺の異常に細かい考証はピーター・フリーストーン(フレディの側近)によるもの。この人の本も読んだわー。
 ちなみにウェンブリー球場は建て直されているので、あれはまるまるCGである。
 ドローン空撮からガーッとステージへの移動は、現実には絶対ありえないカメラ移動だが
 あの凄まじい人、人、人…。
 「本当にタイムマシンで現時へ跳んで撮ったみてえだ…」と震えた。
 このへんから「す…すげえ……」と涙が出てきた。

メアリー、デイヴィッド、ジム・ハットンが暖かくステージ袖で見守る構図で「ついにここまできたか…」と感無量。史実ライブエイドで袖に居たのはショートパンツ姿のジム一人なんだけど、細かいことはよしとする。フレディの人生がここで完全肯定される瞬間だからして。
それはそうとデイヴィッドは身内扱いされてるけど居心地悪くないのだろうか。


ここからは全ての挙動が史実のLiveAidと寸分違わず同じ。
 https://www.youtube.com/watch?v=ktYlzVYQbwY
 映画はまるで別編集のライブを観ているかのよう。
 ほんの少しフレディの体型がちがうだけ。あとは全部おんなじ。
おんなじだけどカットが違う!
何だか自分がビデオクルーとしてステージに居るような錯覚さえ覚える。それ程のリアルさであった。
ちなみにLiveAidのカメラ割りは七割フレディに寄せているので、今回各メンバーが「その時どんな動作をしていたのか」という補完材料として超一級である。

まあ、しいて言えばロジャーの髪型がね、もうちょっとサイド短く、かつ額出してたらもっと史実に即して良かったんだけど、そこに突っ込むと80年代ヘアの暗部「マレット」はどうしたという話になるので自粛。ほんと80年代ブームは小さいのが幾つも来てるのに、マレットだけは微塵も復活の兆しないねえ…。何もかもビースティ・ボーイズのマレットDisが悪い!


マイアミ・ビーチさん(空気読んでドレスダウン)ほぼぶっつけ本番の野外ライブPAでマスターボリューム上げるとかそれ絶対ダメなやつだから!!
史実のLiveAidでかなり長い間マイクがハウリングしてたけど、あれあんたのやらかしじゃないの?

猫もTV観ていた…。 

そして、ひとり悄然とレイ・フォスターことマイク・マイヤーズもTV観ていた…。こともあろうに「伝説のチャンピオン」サビ「俺達はチャンピオン、負け犬には用はない」でのインサートシーン。なんて意地の悪い演出だろう。運命の勝者フレディと対比して、あまりにも痛烈な皮肉である。


俺はこのへんからうつむいて落涙、メガネ拭いたり
 鼻すすったり大変だった。テンション上がりすぎて泣いたなんて初めてだよ!
わたくし常々「「伝説のチャンピオン」はちょっと大仰に過ぎて、クイーン楽曲としてはもうひとつ趣味じゃないかなー、あと体育会系のアンセム(という定評がある)でシンガロングてのがどうにも俺とは無縁」と思っているのだけど、そういう行きがかりを全てすっ飛ばされ、作劇的な圧倒的爆発力に負けた。涙で映像がぼやける…いかん…いかん…。
「ふぐっ…ぐ、ぐぐぐぐ」と嗚咽してしまい、悔しい事に情緒的に大波にさらわれたみたいになってしまい、ふつう映画鑑賞ではありえないくらいの陶酔に身を任せてしまった。足の立たないプールみたいでちょっと怖いよ!俺どうなっちゃうの?と。
こういう人多かったろう。
ここに至るとラミ・マレックをはじめキャストがどうこうとか、もう半ばどうでもよくなってきて「クイーンって…なんてかっこいいんだ…」「音楽って…いいよね…いいよね…」みたいな今書き起こすと頭悪いんか!という真っ白な感動だけになってた。
なお「クイーンのライブビデオを2時間観てもこうはならないだろう、これは映画だからここまで(情緒が)グイグイ揚がったんだ」とはちらっと思った。このへんは口の悪い人が「そんなにそっくりに作るなら本物(のライブ映像などを)観ればいいじゃないか」と貶す行為に向けて「そういうんじゃないんだよ」と思える根拠だ。


だが…ちょっとだけ待って欲しい。映画ポスターの「ラスト21分の衝撃…」って、これLiveAidのクイーン出番二十数分を指す惹句だけど、そして自分でも「ラスト21分やられたわー」って確かに思ってたけど、「愛という名の欲望」カットされてたよ?いいとこ十五分くらいだったのでは?
じゃあラスト21分とは何だったのか、というと、何だろう(笑)。コピー的にあまりにも優秀だけど、盛ってるじゃないか!もう何もかも許してるけどさ!


以上!!!
エンドクレジットロールの「Don't stop me now」「The Show must go on」についても少々あるけど略!!



このクソ長い文を読んでくれてありがとうございます。
加筆繰り返すうちに2万字超えちゃった。分割するべきだったかも。



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lobster king

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