アンタイトルド

自分の中に巣食う
怒号がある
轟くそれは昔からある

子供の頃の私の写真
不服そうに
キッと前を睨んだものが多い
何に怒っているのやら

対象があるわけでもなく
それはエネルギーに近い
スーパーサイヤ人になる時って
このエネルギーを解放しているのかな
子供の私はマジマジ考えた

そしてなんと
そこに深く慈しむ心が同居している
同じものを源泉にしている
裏表みたいに

破壊の神シヴァ
再生の神シヴァ

シヴァ神でも宿してしまったのだろうか

1990年代夏の上海
バスの車窓から初めてみる街中の物乞いの少女や老女
その夜小学校低学年の私は眠れなかった
ご飯を食べながら、風呂に入りながらも考えた
彼女達声をかけて、家に来てもらい、
お風呂入ってもらってご飯を一緒に食べることはできないのか

そんなことはできるはずもないのはわかってはいたのだろうけど
心の中に渦巻く怒りと慈愛を処理できずに
悶々と想像するだけだった

今もまだ悶々と想像するだけだ
シヴァ神は宿っていなかった

怒号と悲哀が心に残るのみである


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?