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土用③

⑤まで書いて③が抜けている事に気がついたので今度は私の事を書きます。
ちょっと前に閨閥形成の話がツイッターにあったのでそれに絡めて書きます。

誰かを好きになるとその人と終わっても割と次の人が現れるまでずっと引き摺る癖があります。その中の1人。面食いな私が1番最初に意識した男性の話です。
私より6つほど年上で中学生の頃に父の仕事の関係で初めて出会いました。
背も高くガッチリしてて甘いマスクで、一瞬ハーフに見える神戸でもその職種では1、2の会社の跡取り息子でした。子供の頃から色々な人を見てきたので男の人=警戒する生き物でしたが、彼を仮にA君としましょう。A君は顔も良いしお金もあるのに、めちゃくちゃ礼儀正しく優しく気の利く人でした。

 彼が来る水曜日は寄り道せずに帰宅するほど彼に会うのが楽しみでした。
大学生になると、私にお見合いの話がチラチラやってきまともな恋愛もせずに結婚する運命なのだろうか??と鬱々する事が多くなりました。
 阪神淡路大震災があり、A君の会社もA君も無事で安堵しました。ただ道路の寸断や会社の修復等で半年程会えませんでしたが、激震地にも関わらず兎に角生きてくれてた事に感謝でした。
震災のドタバタから1年程たった頃、A君が高い新車を買い車好きの父にわざわざ見せにやってきました。私はその頃劇団に所属していて、夜の稽古で大阪に向かう日でした。A君は帰る方向だからと私を新車に乗せて稽古場の最寄り駅まで送ってくれました。
 漸く復旧した夜の湾岸線を走り、何の話をしたのかは覚えてませんが、もう着いたの??って言うぐらい時間が過ぎるのが早かったのを覚えてます。お互いに好きな人いる??みたいな話になって、お互いにいなくてまたドライブしような!!って別れたのでドキドキワクワクで次のドライブを楽しみに、稽古へ向かいました。 
 翌朝母にA君とドライブした話を聞かれ、A君の事が好きな事も母は薄々気づいていたのでしょう。またドライブに行こうと誘われた話をしたら
「A君は婿にしたいぐらいに申し分ない人だけれど、格が違い過ぎる結婚は絶対にできない。」
と付き合う前にストップが入りました。そんな事は私だってわかってました。
平等な世の中でも、私じゃなくて子供が絶対苦労する事等等。
 でも前に進んだ気持ちを必死で止めようとする母と、世の中の現実を思い知らされて
好きな気持ちはそのままに距離をとっていきました。
私はその後家を出て、数年後に彼が高校の同級生と結婚するとうちの両親に相談しにきました。「結婚相手の親に猛反対されている」と。今でも残る関西特有の差別の話をした途端、自分の境遇を知らずに生きてきた彼が泣き崩れたそうです。その後、海外に会社を作り生活基盤をそっちへ移してから結婚しました。今でも会社名はしっかり残っているので優良企業の様です。

海外は日本より色濃く差別があります。その中でもブルーブラッドと言われる人達はやっぱり特別で、一代で大富豪になってもその輪の中に入るのは難しく、運よく入れたとしてもやはりその中でランキングがある様です。日本よりもっと厳しい社会です。

でも日本では学歴が階級を上げます。有名なところは慶應の三田会でしょうか?
麻布は麻布卒、うちの子の学校も4代続けて通っている人の繋がりが普通ではないので
閨閥形成を考えるのであれば、私学への進学を進めます。
娘には障壁なく人を好きになれる環境を与えたかった。本人が望んで進学してくれたのが本当に嬉しかた。
 本当に好きになった人を諦める人生は私で終わりです。

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