見出し画像

映画『新感染 ファイナル・エクスプレス』 - 不安が差別を生むこと

映画『新感染 ファイナル・エクスプレス』をNetflixでみた。

映画『82年生まれ、キム・ジヨン』を見てから、コン・ユ氏とチョン・ユミ氏の出ている作品を見たいなと思っていた。やや「コン・ユ目当て」だ。

ソウルから釜山へ行く高速列車に謎のウイルスに感染した女性が1名乗車する。その女性はゾンビとなり、客室乗務員の女性に噛み付く。列車では瞬く間に感染症が拡散する。列車に乗り合わせた乗客たちは、止まることのない密室の高速列車で生き残るために必死にゾンビと戦う。

コン・ユ演じるソグはファウンドマネージャーとして働いている。娘スアンの誕生日に、釜山に住む別居中の妻に会いに行くため、高速列車に乗車。

この列車にはソグ親子のほか、妊婦(チョン・ユミ)と夫(マ・ドンソク)、野球部の高校生たち(チェ・ウシクとアン・ソヒ)、中年サラリーマン、高齢者姉妹、浮浪者などいろんな人たちが乗り合わせている。


タイトルから「感染症と戦う映画」かと思っていたが、違うかった。どちらかというと、「ゾンビと戦う映画」だった。しかし、「ゾンビ映画」のめちゃくちゃグロくて見ているこちらまで痛くなる映画ではない。ソウルから釜山までの約3時間の列車内で起こる人間ドラマが鮮やかに描かれている。最後は「衝撃のラスト」だ。

画像1

感染症と差別

ソウルから出発した列車は途中、1つの駅に停まる。軍隊が駅で待機しており、乗客が安全な場所に隔離されるとの話がついたためだ。感染していない乗客は列車から降り、中央出口に向かう。

しかし、待機していた軍人らはすでにゾンビと化していた。

乗客らはゾンビから逃げ、ゾンビのいない車両に乗り込む。まだ、駅には生存者がいたが、乗客から「すぐに発車しろ」との声が上がり、列車が動きだす。


最後まで駅でゾンビと戦っていたソグ(コン・ユ)、サンファ(マ・ドンソク)、ヨングク(チェ・ウシク)はすでに動き出している列車に飛び乗る。彼らは前方車両にばらばらに乗っている娘、妻、同級生の安否を確認するため、列車内の感染者と戦いながらズンズン前方に進んでいく。

人が認識できなければ襲わないこと、暗いところではゾンビの動きが鈍くなること、音に反応することなど感染者の特性を理解しながら、彼らは噛まれないように戦う。ついには、感染していない人たちが乗車している車両の一つ前までたどり着く。

しかし、最後の扉が開かない。

前方車両に乗っていた感染していない人たちは、ゾンビと戦って前進してきた人を「感染者」だと決めつけ、扉を開けられないように固定していたのだ。

扉をこじ開けようとする生存者と、彼らを入れさせまいとする生存者。背後からは、ゾンビになった感染者が迫ってきている。

生存者同士の攻防の末、扉を開けることに成功する。


しかし、後方車両からきた人たちは、その車両の中で差別されることになる。

「感染しているんだろ?」「この車両から出ていけ」「連結部分にいってくれ」「感染者が!」と。

彼らは感染していないのに「感染している」と決めつけられ、罵声を浴びることになる。必死に感染者と闘い、犠牲を払いながらも生存者を救ってきたのに。感染していない人たちと同じ車両で集まれれば、一旦は助かると思っていたのに。

感染症それ自体ではないことで、心を痛めることになるのだ。



感染症が拡大する中で、不安が差別を生む。そして、その差別が人々を傷つける。

みんな、感染したくはない。しかし、感染するかもしれない。

先の見えない恐怖の中で、不安は魔物になる。差別が原因となり、救える命も見殺しにしてしまう可能性もある。


これは映画の世界の話だけではない。今、私たちが直面している状況もそうだ。「差別はいけない」と分かっているし、日々、感染者数は増加しているから感染者がレアキャラでもなくなってきている。

他方で、「もし感染していたら、差別される」「失職するかもしれない」という恐怖はいつも隣にある。


映画『新感染 ファイナル・エクスプレス』は今見るべき映画だ。映画では感染するとゾンビになるから、わかりやすいが、コロナではゾンビにならないし、噛みついてもこない。他方、感染したらゾンビのように重篤な状態になるとも言えるし、「噛み付く」という動作がウイルスの動きにとって代わられるように思えた。

見終わった翌日、電車で出勤しているときはちょっと怖かった。咳き込む人を見て、大丈夫だろうか?と心配してしまうほどだった。映画の中の乗客の設定が、私がいつも乗っている電車の車内と同じような現実味ある設定だったからだろう。人間を喰いちぎるだけの「ゾンビ映画」ではなく、愛のある人間ドラマだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?