この国での人生の終わらせ方(私の考え)

前回のお話(飛ばしてもらってもいいです)

この国における「人生の最期」

自分自身がこの国でこのまま年を取っていくと考えたとき、どれほど幸せな最期を迎えられるだろうと、不安になるときがある。

核家族化、少子化、労働力不足、物価高騰、超高齢社会、老々介護、8050問題、社会保険料の増額、介護殺人、介護職員の不足、介護施設での虐待、孤独死など、あらゆるニュースを見ていると、自分が幸福な最期を迎えるビジョンが全く描けない。

祖母の最期

自分の最後を考える時、いつも思い出すのが祖母のことである。

祖母には三人の娘がいる。
そのうちの一人が私の母なのだが、祖母はこの三人娘が束になってかかっても勝てないくらい勝気の強い人だった。

戦後、化粧品のセールスレディーとして働いており、かなり成績が良かったらしい。

母親曰く、家にある家具はほとんどが祖母の売り上げに対する賞与として会社からもらってきたものだったそうだ。

正月に一族で集まったときなど、娘三人対祖母で口論になることがあったのだが、毎回絶対に勝っていた。いわゆる「負けられない人」だった。

足が悪くなってからも、「歩けなくなったら困る」という理由からプールに通い始め、泳げるようになっていたし、

祖父が仕事を引退したときも「ボケられたら困る」との理由から、祖母は車の免許を取り(今なら即返納ものだ)、祖父をいろんなところに連れまわしていた。

一方で私たち孫には優しく、声を荒げて怒ったことなど一度もなかった。

そんなパワフルおばあちゃんだった祖母も、いつからか認知症が進み、ついに施設に入ることとなる。

時々会いに行くことはあったが、日に日に家族のことも認識できなくなり、最後は私が誰なのかわかっていないようだった。

祖母の娘三人は、交代制でほぼ毎日祖母に会いに施設に通った。

祖母がついにその三人の名前も顔も忘れても、足しげく施設に通っては、一緒に昔の歌を歌ったり、ことわざのクイズを出したり、お手玉をしたり、散歩に連れて行ったりしていた。

そしてコロナ禍、祖母は最期を迎えることとなる。

認知症も進んだ祖母が、日々何を考えていたのかはわからない。

ただ、祖母の最期は幸せだったのだと思う。

こんな世の中において、魂の作法に則った見送りを娘三人にしてもらい、これ以上の締め括りは無いように私には思えた。

私は少なくともこうやって最期を迎えたい。

最後に

私は、祖母が亡くなる前に、まだ赤ん坊だった息子を会わせたことがある。
「ばぁちゃんの曾孫だよ」と語りかけるも、最初はキョトンとしていた祖母だったが、しげしげと息子の顔を見つめて「可愛いねぇ…」とニッコリ微笑みかけてくれたあの笑顔を今でもはっきりと覚えている。


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