【随想】映画『マリグナント』ジェームズ・ワン

※ネタバレアリス


マリグナントを見た。
さすが、ジェームズワン。
「ミスリード」と「灯台下暗し」の達人だ。
よく監督のやりたいことは処女作にすべてあるといわれるが、視聴者が誤った解決に至るまでしっかりと感情移入させる「ミスリード」も、時間をかけて間違った認識を植え付けて(洗脳)からの「灯台下暗し」による解放のカタルシスも、まるでSAWを見ているかのようだった。
マディソンが捕まった時、「本当に私じゃないの」と言われた視聴者はどこまでその言葉を信じることができたか。
いや、お前が犯人だろう。言い逃れはできない、とほとんどの視聴者がそう思ったはずだ。
しかし、実際には、その答えは正しくなかった。
マディソンの言うことが、正しかったのだ。
勿論、視聴者に開示されていない情報もあるのでフェアじゃないともいえるが、そこはご愛嬌。
なぜ視聴者はマディソンの言葉を信じられなかったのか。
よくよく見返したら、ジェームズワンは最初から間違ったことは言っていない。
というよりも、最初からずっと正しい答えを提示していた。
なのに我々は、誤った答えにたどり着く。
それは、映画という装置が、バイアスを強化していくメディアだからに他ならない。
ジェームズワンの巧みな映像演出・情報操作が、視聴者に自分の力で謎を解いていると錯覚させる。
そして人間の脳は、そんな自分自身を正しいと思い込むべく、より一層自分の推理を強化する情報を映画内に求め始める。
するとそこに、ジェームズワンが仕掛けた誤った情報が散らばっているのだ。
我々はその誤情報をつかまされ、まんまと誤った認知を加速させられる。
自分の考えを正しいと思いたい気持ちが、バイアスをどんどん強化していくのだ。
こうして視聴者は、警官たちと同じようにジグソーの術中にはまる。
スマホから聞こえてくるガブリエルの声は、まずは自分の認知を疑えと、ジェームズワンからの挑戦状のようにも聞こえた。

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