理解の及ばぬ天啓

この時間になると決まって隣家が少し騒がしい。
ドアを開けたり閉めたり、家具を動かしたり、歩き回ってみたり。本当にそんなことをしているのかは知らないが、ドタドタ、ガタガタ、何かしら音を立てている。

何度か見かけた隣家も、私たちと同じような若いカップルだった。夫婦かもしれないが、特筆することのない二人だった。
その前の入居者は私たちよりも先に入居していて、夫婦と子供の3人ぐらいだったようだけど、冬の間、見かけることはほとんどなかった。腕にめいっぱいタトゥーのある夫と、髪の毛が金髪みたいで大きな車に乗っていた妻と、弱視らしい大きなメガネをした女の子。挨拶すると、みんなめいっぱい大きな声で返してくれていたから、へんなひとでもなかったのだもおもう。私たちの理解の及ばぬことはたくさんある。

そんな前の隣家に比べればいまの隣家はまったく普通の夫婦だかカップルだかであるので、まあご自由にという感じだが、この時間にガタガタしていると少し恐ろしくも感じる。
何度か見かけた二人の姿と、無遠慮な深夜の生活音が結びつかぬのだった。とはいえ、私たちの生活音も、私たちとは結びつかないで隣家を怯えさせているかもしれない。
お互いに、理解の及ばぬことがあるのだな、と、秋の虫の声に集中するようにする。

ここ最近、人に嫌われるのがことさら怖いし億劫だ。
好かれるように行動するのも億劫だと思うけど、前者には恐怖があるから、できるだけ好かれるように行動しようと思う。輪の中で平穏を得たいのだから、まあ生物的には当たり前の行動なのではないかと思うのだけど、しかしやはり、億劫だし、私が好かれるように良かれと思ってやることが逆の結果を辿ることになる。こともある。それもまた億劫で、いつもの迷宮からしばらく出られないでいる。
果たしてこの迷宮から出たい、という意思があるのかも問題になりそうだけど。

好かれるとか嫌われるとかどうでもいいじゃないか、と、先人たちには幾度となく言われてきたし、私もそう思う。論としてはそれが正しい。
でも、感情はそれを許してくれないのだから難しい。
私だって隣の同僚が不機嫌だろうが私に興味がなかろうがどんな話をしてもそっけなかろうが、心を折ることなく自分の必要な情報を得たい。
でも、無理だ。
不機嫌なら機嫌が直るまで苔がむすぐらい待つし、興味がなさそうならすぐに引くし、そっけなければ必要以上は聞くことは出来ない。
しかも私だけの煩悶で、私以外の誰も特になにも思っていない。それも分かっているからまた煩悶する。
私はどう生きたらいい?

自分に自信が無いゆえに誰かの評価や好意を得たくなってしまうけれど、結局のところ自分に自信がなく愛せない人は、誰からも評価されないし愛されないのだと思う。
間の色々を省略するとひどい極論に聞こえるが、天啓のように降りてきた。
みんな口揃えてそう言うけれど、自分を自分で認めて愛する方法はあまり教えてくれないね。

夫はいるし、満たされているのだろう。
でも、そういうところとは別次元で、わたしは常に枯渇していて、枯渇するが故に人を退けて求めて媚びを売って、また枯渇する。我ながらどうしたいのか。どうもできないところまできてしまった。

隣家には、たまに見かける私がこんな愚かな天啓を得たことなど、理解の及ばぬことなんだろう。

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