透明の光に包まれて

朝、遮光カーテンを引いていても明るくなる部屋で、私は目を覚まし直感的に「無理だな」と思い、まだいびきをかいて眠っている夫を頼りない声で起こした。
今日は仕事休みます。私のかすれた声をきいて、夫は静かに起き上がりこちらの顔をのぞきこんでわかったよ、とそれはそれは優しい声で言った。一日休むの?職場に電話しておこうか。私が言うよりも先に、彼は察するものがあったのか、願うとおりのことを言葉にしてくれたので私はうなずくだけでよかった。もうこの世のだれとも話を、言葉を、交わしたくなかった。

次に目が覚めたのはちょうど正午で、今朝目が覚めたときよりも部屋はあかるく光の空気に満ち満ちている。思考を支配するけだるさとほんのちょっとの頭痛は、それでも全身の力をすべて奪うには十分だった。立て続けにスマートフォンが震えて、昼休みになって手がすいた夫から様子を尋ねるメッセージと、もうすぐ出産するために里帰りしている姉からの何の気なしのメッセージだった。具合をどうだと尋ねる夫のメッセージに、今起きた旨だけ完結に変身し、私の温度がまだ残る布団の上に起き上った。ぬるくてちょうど気持ち悪い。ぬるい布団は気持ち悪くて嫌いだ。でも、抜け出す元気もない。結局眠くもないのにまた布団に転がった。
もうこの世から消えたい。脈絡なく浮かび上がる言葉は、本当に脈絡がなくて、とても真実味を帯びている。

また一時間ぐらいまどろんで、夫からの返事や姉から立て続けにきたメッセージは読まず、階下へ移動した。夫が脱ぎ捨てた寝間着と無造作に乱れたこたつ布団が、だれかの生活を思わせて私をさいなむ。確かに、昨夜、私と夫があたっていたはずのこたつなのに、もうそこに私たちの影はない。寝室と同様に、遮光カーテンに遮られながらも部屋を満たす昼間の光が私を殺していくのを感じていた。どうしてこうなっちゃうんだろうな、と、何度も繰り返し何度も本気で向き合わなかった問いをやっぱり心でかみしめて、カーテンを開ける。大通りを挟んだ向こうにあるのは小学校の体育館で、フロアを走る足音が大きく響いてこちらに聞こえてきていた。みんなちゃんと日常を生きている。私だけが、こんな腑抜けた社会人になって、面倒だとかいやだとかいう抽象的な理由ですぐに休みを取る。そうしてまた、明日出社したときの罪悪感を考えて、あわよくば明日も休みたいと思う。このままずっと、休みたいと思う。今の自分なら本当に実行してしまいそうで、泣きそうだ。
久しぶりに青空が見える世界の中で、私は一人部屋に閉じこもり、バターをいっぱい使ったショートブレッドと薄いアメリカンコーヒーで飢えをしのいだ。とてもキッチンに立てる気がしなかった。

夜になり夫は帰ってきて、相変わらず律儀に私の体調を心配してくれた。明日もいっそ休んでしまおうかな、と割と本気で言ったのだけど、彼はそれはいいね、とふざけた声音で答えたので気も萎えてどうしようもなく、私は押し黙った。以前、体調不良以外で仕事に行きたくない、という感情論は一切理解ができないと言いのけた彼に、いまだに素直な気持ちを言うのは躊躇ってしまう。
でも、明日の自分の行く末も、最後はだれかに決めてほしかった。自分で決めるには、私は弱すぎる。

まったく眠れず、水中にいるような気分で朝を迎えた。目が開かないまま、寝室でうろうろし、淡い光の中で無様に踊った。今でもまだ、仕事に行きたくないと思っている。体調は別に悪くない。夫はやはりいびきをかいて眠っていた。
眠気覚ましにシャワーを浴び、そのせいで朝食を食べる時間もなく、必死に準備をして7時前には家を出る。
車に乗り込むと、晩冬の朝はうっすらの透明な光で包まれていた。昨日は私が見ることなかった、透明な光の朝。遮光カーテン越しでは見られない透明な光の朝。ただ、純粋に美しい。美しいからこそ、この透明な光を知ってしまったことに後悔する。

私はここにいたくない。
透明な朝にも、生ぬるい布団の中にも、生活があるあの部屋にも。
私はどこにもいたくない。
本当に私の望む場所にいたい。私の望むように。
でも、まだ、それがどこかわからない。そして、私にはそれが決められない。

白っぽい早朝の中、様々な車の間に挟まれて職場を目指す。心無い同僚たちにどう立ち向かえばいいのか、そればかり考えてお気に入りの曲がかかっていることに気づかないまま。