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#28 CCRTシスプラチンvol.4に向かう朝。遺伝子パネルと学びには限りあるべからず、というココロの灯火について

二泊三日予定の入院が、今日で、25泊26日となった。

中20日登板のタキソールとカルボプラチンの抗がん剤では、序盤こそ癌を縮小させたものの、薬物の効果が漸減する終盤においては、腫瘍の成長スピードに追いつかず、巨大化を止められずにいた。この、ワタシの、しぶとい、逞しいがん(いったい、誰に似たんだ??)とは戦えない、、という判断があって、放射線治療とシスプラチンを併用するCCRTを直ぐに開始する方針に切り替えたのだった。
週休2日、平日毎日の放射線治療(ワタシは、核弾頭ミサイルと呼んでいる)に、毎週一回のシスプラチンを重ねる。これを、6週間繰り返す予定だ。

いま、産婦人科の長島藩(班)の先生方はじめ、放射線治療科、泌尿器科、耳鼻咽喉科、緩和医療科、腫瘍内科、ありとあらゆる診療科にお世話になりながら、治療している。どの診療科でも、カルテ共有されていて、まさにワンチームの、チーム医療だ。

CCRTの治療判定はコレからだけど、次善策を考えながら進めたい、とのことで、遺伝子パネル検査を勧められた。
これは、がんの原因となる、がんの遺伝子の変化に着目し、この情報を解析することで、別の新しい治療薬や治療法に結びつけようとするものだ。
今の治療は、臓器別のアプローチだが、この、遺伝子パネル検査は、癌の遺伝子別の治療を模索するものといえる。
誤解のないように付け加えておくと、ココでの癌の遺伝子、とは、親から受け継いだもの、ということではない。
一般に、癌は、加齢やストレスなど、さまざまな後天的な要因で正常な遺伝子が傷を負い、通常なら修復されるはずのその細胞そのものが、コントロールを失い、無秩序に増殖していくものだ。
もちろん、遺伝的なものもあるけれど、それ以上に、外的環境などさまざまな要因があって、発症する。

遺伝子パネル検査によって、新たな打ち手に繋がる確率は、実はまだそれほど高くなく、1割から3割とされている。

しかし、ワタシは素直に感動する。
ある計画に全力投球しながら、最悪を想定し、プランB、Cを考える。出口戦略を考える。
ビジネスでも当たり前のことなのだけど、実態としてはなかなか難しい。だいたい、リソースの問題で後手後手になり、最後は肉弾戦、というのが陥りがちな定番スタイルなのに、ココの医療は違う。しかも、この思考は、標準医療にあらかじめ組み込まれているパターンなのだという。

医学の積み重ねは尊い。
愛する宇沢弘文先生は、はじめ、医学を志したものの、社会を治療する経済学者になられらた。アメリカで世界第一線のの研究をリードされていながら、帰国したのは、権力の中枢に経済学が取り込まれ、平和とは逆の作用のために、使われ始めた現実を目の当たりにされたからだとかいう。

このころ、ホワイトハウスはベトナム戦争のために、ベトコン一人を殺すのに幾ら掛かるか、というkill ratioキルレシオを、経済学者に計算させていた。科学が、人間性を失うと、世界は壊れるほうへと進んでしまうのだ。


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小説はあまり読まないのだけど、年末に瀬戸内寂聴の『秘花』を読んだ。能の大成者、世阿弥の生涯に迫った作品と、ご本人の講演のなかでお聞きしたからだ。
事実、素晴らしい作品だったのだか、ある言葉が、心を抉った。
瀬戸内寂聴が、多数の文献を集め、さまざまな所へ足を運び、物語を織りなし、美しく数多の色彩に織り上げた糸を繋ぎ止めたのも、このことば、一点に尽きると、自ら語られていた。

命には限りあり、
能には限りあるべからず

世阿弥『風姿花伝』

限りあるべからず、
すなわち、限界があってはならない、と。
ココには、強烈な意志が込められている。

ここでの能は、能という芸術の成果であり、かつ、能の鍛錬のことだろう。

人生は短いが、道を探求することには終わりがない。あってはならない。

たとえその命が尽き果てたとしても、
人生を捧げた道は、次に引き継がれて永続する。

同じく、医学にも終わりがない。

がんゲノム医療を例にしてもそうだ。
疾病の解明も劇的に進んでいくだろう。医学とは、受け継がれた幾人もの先人の智慧の集積であり、それを引き継ぐ弟子たちが常に新しい命を吹き込むことで、さながら永遠の命をもち、長く輝きを持つのだ。
医師だけではない。医師、看護師、薬剤師、理学療法師、技師、そして、薬剤に関わる企業の人たち、医療材料や医療機器の技術革新を担う人たち、、そのすべての、献身によって。

ココロに光が灯る。
学びには終わりがない。それは、永遠に生きるのだ。

写真は、宮崎県のみそぎ池。
日本神話に登場する国生みの神、イザナギノミコトが、亡くなった イザナミノミコトを追って行った黄泉の国の穢れを祓うために、みそぎを行った場所と伝えられる場所だ。泥の中から咲く、蓮の穢れなき美しさが胸に迫る。


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