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義足の父はワタシのマスター

ワタシの父の話。

ワタシの父の右脚は、義足。父自身が小3の時、事故でダンプカーに轢かれ右脚膝下を欠損。新品チャリを親戚に見せに行った際、コケた所をはねられたらしい。そんなワケで、ワタシの誕生時、既に父は片脚だった。

初投稿「生まれて間もない記憶」の記事でも書いたけど、乳児のワタシは父の存在を知ってる感覚と、父をサポートしたい意識が既にあって、当時からワタシにとって父の存在は、父と言うより兄弟の感じ。

父は事故後、入退院でろくに通学してない。脚の切断後も成長する骨を定期的に切断手術する必要があって、成長期の心身の痛みは想像出来ないけど。175センチ・・・片脚の割に成長したもんだよね。
今現在も注意力散漫だったり不器用が多々見受けられる父(⬅ワタシもだけど)。事故前から団体行動も勉強も嫌いだったようで、読み書き計算等、学力は小3はおろか、おそらく小1レベル。一般常識とか教養は、あんまり無い。

父は声もデカいし、クシャミとオナラは家が壊れるほど巨大。濁点だらけのズーズー弁(東北弁)だし、非常に大食い。ガツガツしてるからよく食べこぼすし、服はシミだらけ。分からない事は恥ずかしげもなく、すぐに他人に聞く!「わがんねーんだーども」
何をするにもガサツで豪快。事故に遭うのも複雑な心境ながら多少納得。______________________________ ✍︎

父のたったひとつの弱点。

そんな父を、思春期の頃は恥ずかしいと思った頃も若干あったけど。基本的にワタシは父親大好き♡父の存在は誇り。

威張る事なくいつでもゴキゲン。穏和で寛大で、バカ真面目のバカ正直。我慢強くて勤勉で。不平不満も殆どない!けど・・・たった1つ。唯一、父が我慢出来ないのは「腹が減った」事のみ!

食べたら幸せ。満腹で満足。
今でこそ健康志向だけど、働き盛りの頃なんて、ラーメン屋で4杯食べた事もある。仕事から帰宅後、食前に食パンを一斤(おやつ)、その後の夕飯は丼で二杯が通常量。
胃のポリープの検査入院の時も5分おきに「腹減った」連発。父にとっては痛みより空腹が死活問題。我が家は大皿でシェアする料理は問題外。父が全て食べ尽すから。鍋でも何でも分配制度。父の分は大皿に山盛り。家族の心配は、常時、父の食事が足りるかどうか。

175センチ80キロ超えてた時もある大きい図体。身体を左右に大きく揺すって歩くのは片脚のせい。だけど、輩に勘違いされ、因縁付けられることもしばしば。喋らなければ、どこかコワモテ。喋った途端に東北弁。

義足で中卒、無学歴。肉体労働一本。木工家具工場で勤続25年の後、清掃業に転職し定年まで勤務。定年後は庭の畑仕事と産直野菜の販売をエンジョイする父は現在70歳。
日々ヘマをやらかす父に、母がダメ出し。責めて吠える、は日常茶飯事。いつでもヘラヘラと「ドーモすいません笑」と流す父。絶対反省してないけど。 喧嘩する癖、両親揃っていつでもコンビ。
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心身の痛みに鬼強な魂。

子ども時代から心身ともに「痛み」を感じ尽くしだろう父。誰かが父を笑っても、誰かが父を指さしても、父はいつでもワタシの誇り。ワタシは絶対、父にはなれない。父の魂は汚れが無い。

昔ケガをして痛みを訴えたワタシに、父が返した言葉が響いた。

「そりゃー痛(いで)ぇーさ」
「生ぎでる証拠!」笑

・・・。父も、痛みの度、そう自分に言い聞かせ、乗り越えてきたのかも。

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どデカい父。

ワタシの中の父は、世界一強くて、宇宙一凄い人。

父はきっと、事故後、早い段階で悟ったんだと思ってる。その真相は謎だし、父は多くを語らないけど。ワタシの中では、どんなマスターよりもマスター。手放しで生きる体現者。生き神様かと思うほど達観してると思ってて「あるがまま」を目の前で見せてくれてる、ワタシの中の弥勒菩薩。布袋様みたいなでっかい存在。

父の様に。気づいた頃にはずっと志してた気がする。見栄もプライドも必要無くて、ただ、自分にまっすぐに。
意識下では、どんな成功哲学より、どんな成功法則より、父の生き方が「ホンモノ」だってわかってる。
神仏に褒められる生き方。先祖に胸張れる生き方。雨に打たれ風に吹かれ。何のせいにも誰のせいにもせず、運命を堂々生きてる感じ。

そういえば、脚の怪我を悲観したり、事故を後悔する言動、父から一切聞いた事無い。

ワタシは大の得意だなー。「嘆き」も「ぼやき」も、無意味なのに。頭で理解の「分かったつもり」。だけど行ずる事って、本当に難しい。

父を目指して、父になりたくて、本を読み漁り、マスターに会い講演を聴き、瞑想をし祈り、お経や題目を唱え、寺へ神社へ訪ねてみては、思考と感情の海に、泳いでは浮かんで。流されて浮かんで。津波に飲まれ、沈んではまた、ようやく浮かんでの繰り返し。

今はこれで精一杯。だけどきっといつか、父の魂に近づきたくて。道半ば。辿り着く。一歩ずつ。今はここ。まーいっか。

そりゃー悩むか!生きてる証拠!

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