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印象派から学ぶ、楽しい生き方。〜感動⇨歴史⇨革新モデル〜


「絵は楽しく美しく愛らしいものでなくてはならない」

「こんなに人生にはイヤなことが多いのだから、
これ以上イヤなものは作りたくない」

という言葉を残した、
印象派の『幸福の画家』ルノワールが大好きで、
基本的に、印象派と名がつくものには目がないんです。笑

ということで、東京都美術館で開催されている、
印象派展にワクワクしながら行きました。

第1回印象派展から150周年を迎える2024年、印象派がヨーロッパやアメリカへもたらした衝撃と影響をたどる展覧会を開催します。19世紀後半、大都市パリには国外からも多くの画家が集いました。パリで印象派に触れ、学んだ画家たちは、新しい絵画の表現手法を自国へ持ち帰ります。本展は、西洋美術の伝統を覆した印象派の革新性とその広がり、とりわけアメリカ各地で展開した印象派の諸相に注目します。

アメリカ・ボストン近郊に位置するウスター美術館は、1898年の開館当初から印象派の作品を積極的に収集してきました。このたび、ほとんどが初来日となる同館の印象派コレクションを中心に、日本でもよく知られるモネ、ルノワールなどフランスの印象派にくわえ、ドイツや北欧の作家、国際的に活動したサージェント、さらにはアメリカの印象派を代表するハッサムらの作品が一堂に会します。これまで日本で紹介される機会の少なかった、知られざるアメリカ印象派の魅力に触れていただく貴重な機会となります。

https://www.tobikan.jp/exhibition/2023_worcester.html


しかし、土曜の昼間に行ったもんで、
文化に勤しむ人々という大衆をテーマにして、
作品を書けそうな勢いでとんでもない人の多さでした。笑

ヨーロッパの印象派の画家、そしてアメリカで独自の発展を見せた、印象派の作品を大量に摂取してきました!


そもそも印象派というのは、
特に光にフォーカスをして描いているのが、
印象派の特徴的な部分だなと個人的には思っています!

有名なのはモネの睡蓮ですよね!


この時代背景として、西洋芸術といえば、長らくキリスト教がモチーフであり、如何に神を表現するかを競い、芸術技法が発展されていった。

そして、時は流れすったもんだあって(雑すぎで失礼します笑)
キリスト教会の権威が低下し、より人間らしさを求め、田舎の何気ない田園風景をモチーフにしていく。

すると、今まで想像の中にあったキリスト教的な表現から離れ、現実的な自然な世界に眼を向けるとそこにあったのは、「光」。

こぞって印象派の画家は、光を表現するために筆致を研究し、光彩を取り入れ、モチーフとしても、水面や木漏れ日を描くようになった。


そんな印象派の作品を改めて俯瞰してみると、
乱暴な表現をすれば、かなり適当!笑

写真のような鮮明さよりも、細部に拘らない筆致。

写真だと誰が見ても事実は明らかですが、あえて細部にこだわらないことで鑑賞者に想像をする余白を持たせていること効果があるなと気づきました。

1つの作品に対して、鑑賞者ごとの解釈をもたらすことができる。
これがアートの楽しみ方だなと。

これをビジネスとアート、と対比して考えてみると実に面白くて、
ビジネスは誰が見ても明らかな数字的売上という唯一無二の答えがあってそれを目標にしてみたり、再現性のあるマニュアルを作ってみたり、画一化されたものを生産するのに適している。

一方アートは、同じ作品でも解釈や見方は、鑑賞者毎に感想が違っても良しとされているし、同じモチーフ(宗教画や静物画)であっても、1つとして同じ物はなくバラバラに存在しているような状態。


そして全く同じ構造が今までの世界と、これからの世界との対比に当てはまるんじゃないかと思えてくるワケです。

というのも、今までの世界はビジネスと同じように、1つの答えを追い求めて画一的な価値基準の中で生きていることを求められるような世の中。

例えば、空気を読めであったり、偏差値至上主義であったり、幸福の生活モデルが存在していた。


一方で、これからの世界は多様化が進んでいき、個々人の自由な想いや行動が「そういうのがあってもいいよね!」という形で肯定されていって、それぞれが自分なりの答えを持っているような状態になっていく。

正にアートのような生き方がこれからの世界に求められる生き方なのではないだろうか!


そんなことを多くの群衆に巻き込まれ疲弊し、
美術館の椅子に座って考えてました。笑


次なる思考は、一体自分なりの答えのある人生、アートのような生き方とはどういうものなのか。
これをアートの思考法を転用しながら、考えてみたいな〜と思いながら、
また作品を眺めていました。


印象派といえども多くのテーマがある。
睡蓮を描いたり、田園風景を描いたり、木漏れ日を描いたり、ダンスをしている男女を描いたり、美しい女性を描いたりと。

そこでふと気がついたのが、何故そのテーマを選んだのだろうか?
描く作品のテーマの選択って面白いなと。

テーマというのはいわば、
思考範囲の枠線を囲う行為だと思うんです。

どういうことかというと、この世界には無限に色々なものがある中で、
あえて1つの時間と場所を切りとって、深く観察していく。

そうすることで、自分の思考する範囲の境界線を引くことができる。
それがテーマの選択になる。

じゃあどういうものテーマを選ぶのかといえば、
そのテーマに対して、感動するかどうか。

美しさ、意味、価値、楽しさ、感動、心震える、問題意識など
心の中に感動が生まれるからそのテーマを選択して表現したいと思う。

じゃないと、わざわざ睡蓮というテーマで、250枚も描こうとは思わない。
睡蓮ジャンキーなんだと思うんです、モネは。笑


ここでアートのような生き方という話に戻ると、

『感動する生き方』
を表現しよう!

ということになるんじゃないかなと。

自分の人生を、
感動するもの、好きなもの、
楽しいもの、美しいもの、心躍るもので、埋め尽くす。

それがアートのような人生。

そこに、正解はない。

自分なりの感動を、真善美を表現すること。


しかし、当然不安もでてくる。
それが周囲や、世間に受け入れられるかどうか。

その思考法もアートは教えてくれる。

それは
「歴史の上に新しさを表現しよう!」

ということだ。

難しくいえば、「伝統という文脈世界に対してのカウンターパート」笑

芸術の世界は伝統の世界という一面もあり、
そこからモチーフや表現技法をズラすと新しくなる。


ゲロニカという絵で有名なピカソも、
ぐちゃぐちゃに描いているようで、16歳の時には、美術の先生だった父親が
「こいつには敵わん」と思ったくらいには、美術の伝統を守っている。

その上で、新しい表現を創出し、有名となっていった。

新しければ進化しているというワケではないが、
進化しているものは例外なく新しい。

そして、またある程度時が経てば、革新が普遍となっていく。
そこでまた普遍の中に、感動が生まれていく。

この循環プロセスの中で時を紡いでいく。

アートのような生き方をまとめれば、
「感動⇨歴史⇨革新」の循環プロセスなのではないか。

自らの感動するものを見つける。
今を見るのだけでなく、歴史を見て変化を感じ取る。

そして今の時代にあった変化をもたらす。
そしてまた新たな感動が生まれる。


しかし!!

この流転する、
感動⇨歴史⇨革新の循環プロセスの
外に出ることこそが、

真にアートのような生き方なのではないか!


それには思考のアップデートが必要となるだろうし、
俯瞰する視点と同時に全体性の歴史や縁起を強烈に体感すること。

これが正しく、アートのような人生なのではないか。
今後このことを人生をもってして、表現できたらいいなと思う、今日この頃です。


表現力&メンタルを劇的に改善する♪
自分7.0コーチ 竜馬


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