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世界はここにある㊺  第三部 

 高山尚人がベラギー王国に保護されてから1年が過ぎようとしていた。彼はナオの行方をフランツの協力を得ながら調べるも、ようとしてその行方は分からなかった。チャールズの手に彼女があるのは間違いのないことだろう。彼らがナオを利用し何かを研究している。そしてこれも間違いなくロセリスト家が世界の富と権力を得るために重要なことであるはずだ。

 フランツの第一子、ロイは生後一年を待たずして重い疾患を患っていることが判明する。その原因は遺伝子異常によるものであることはわかっていた。高山と同じ研究者であるフランツは息子の命を助けるためにその全能力を捧げるがその結果は芳しくない。

 高山は苦悩するフランツのそばにいて、自身もまた葛藤を抱えていた。それは過去に自分が行った堂山ミサキへの臨床実験だ。高山は知っていた。あの技術を使えばロイは救える。しかしそれにはまた一人『ナオ』を作り出さねばならない。そしてその為に息子の英人をも再度、利用せねばならなかった。だがナオは今、彼のもとにはいない。英人もまた遠い日本。

 過去のサンプルは凍結保存しここにある。ポールが彼を助けた時、車にあった彼の荷物を全て保管してくれたのは幸いだった。チャールズにしてみれば必要なものとデータ結果は研究所にすべてあり、彼が持ち出したかもしれない少量のものを探し出す必要などなかったであろう。
 それでも彼が知らず見落としていた事実もある。それはナオが完全ではないこと。そしてその対処をできるアイディアと技術は高山の頭の中にしかないことだった。ただ、チャールズはナオの生存に固執していない。ナオが生きている間利用し、それを自分の為に応用してくれる科学者が別にいればいい。もっと自分を喜ばせる結果を出す科学者が。

 チャールズ・D・ロセリストはナオをどのように扱っているのか。高山が彼女に守ると約束したその言葉と思いは強大な力の前になすすべもない。そんな自分がまた一人『ナオ』を作り出すなどできるはずがなかった。だがロイの運命を決めるのは神ではなく自分だ。悪魔との契約を一度結んだ自分は、その苦悩から逃げ出すことなどできないのだ。

「この方法もだめだ」
 シミュレーションによる変化値を確認しながらフランツは頭を垂れた。もう時間がない。公務と研究、そして父親としての狭間で彼の精神は限界を迎えようとしていた。そんな姿を間近で見ている高山は決心をする。
「フランツ、アイディアがあるんだ……」
 高山は過去のいきさつを全てフランツに話し、ロイへの治療を提案した。フランツはその申し出にすがった。フランツもまた悪魔の契約を結ぶ。

 フラクタルの鍵は完全な生体の複写の連鎖だ。生命、成長に影響がないと判断できるまでペアを成長させなければならない。持っていたサンプルの設計をもとに『ロイ』=『サツキ』、『ナオ』=『ロイのクローンとして生まれた、ヤン(慈悲深い神の意)』そして欠を補完する『英人』が必要だ。

 フランツと高山は昼夜を問わず作業を行った。そして再び奇跡が起こり、ロイはその未来を手にすることができた。そしてその陰で生まれたロイのクローン『ヤン』は密かに育てられることになる。そのもう一人のロイに人生を与える役目にポール・ヴュータンが選ばれた。献身的にフランツを支え、国への忠誠を誓う彼は誰よりも適任である筈だった。

「ナオト、ロイのデータは完璧だ。もう心配はないのではないか?」
 フランツはすっかり健康を取り戻したロイが母に甘える様子を見ながら言った。
「前回の治験の被験者は彼よりも年上だった。偶然にも助けられているが彼はナオと違いごく普通に成長を遂げている。日本人と西洋人の違いもある。男女の違いも…… だが観察は続けてくれ。いつ、英人が必要になるかもわからないからな」
「ヒデト君のフラクタルはそんなに万能なのか?」
「いや、そうではない。彼のもつ一部がそれに適していたというだけなんだ。万能と言う意味ではナオだ。いわば彼女はマスターキーを持っているのと同じ。ゆえにどんな鍵も開けられ応用ができる…… それが心配なんだ。そして彼女こそ、何時、彼女の元のペアであるサツキや英人の助けがいるようになるか分からない……」
「ではロイにも『ヤン』は大切だということだな、生涯……」
 フランツはポールに預けたロイのクローンに想いを寄せる。表向きには何もしてやれないが、兄弟ともいえるあの子の将来も支えてやらねばならない。フランツはそう考えていた。

「そう、ヤンはとても大切。しかしロイのことを考えれば、今はひっそりと暮らさなければならないのはかわいそうだが」
 高山は直接には暫く様子をみていない。が、データは毎日、ポールから送られ、定期的に医師の健康チェックもなされている。
「今のところヤンも何の心配もない。彼がどのように育つのかが楽しみな面もあるんだ」
 フランツは本当の自分の子がもう一人いるように笑顔でそう言った。高山は彼なら自分のようにナオを奪われるような失態はおかさないだろう。そう信じた。


☆☆☆☆


 ポール・ヴュータンは車を走らせ、ポーランド郊外にある広大な屋敷の門をくぐった。警備の私兵があちらこちらに見える庭園を抜け屋敷を目指す。ここに来るのは半年ぶりである。普段は直接に指示を受けることはない主に謁見する。彼の前では常に自身の忠誠を示さねばならなかった。それは自身の命を長らえるに必要最低限の所作だったからだ。

 屋敷に入ったポールを執事が案内し、重厚なチークの扉の一つをノックした。
「ポール・ヴュータン様がお越しになりました」
「入れ」声を確認し、扉横にいる男が扉を開ける。

「ヒスマン公、久しく謁見のご許可を賜れませんでしたが、本日はご尊顔を拝し恐悦至極に存じます」
 ポールは深々と頭を下げた。
「そんな世辞はいらん、ヴュータン。フランツの息子のクローンはまだ生きとるのか」
 紅茶を一口味わったヒスマンの当主は、面倒な話題をせざるを得ないことに少々いら立っている様子でポールに言い放った。視線は窓にむかったままでポールに正対することはない。深く椅子に持たれたままポールの返答を待つ。
「今のところ問題はありません。クローン……『ヤン』は健康に育っています。もう這うようになりましたよ」
「ふん、その名も気に入らん 赤子の様子を伝え、わしの慈悲をもらおうというのか?」
「いえ、そうではありません。ロイ王子になんの問題もないことが確認されませんと…… それにクローンとはいえ、彼にもヒスマンの血が流れて……」「ふざけるな!」
 ヒスマン公は持っていた紅茶のカップをポールに向かって投げつけた。
カップはポールに当たったあと床へ落ち砕ける。扉横に立つ護衛の男が無線で「心配ない」とでも伝えたようだった。

 ポールは紅茶を浴びたまま弁明する。
「お怒りはごもっともです。しかし、彼は、もしロイ王子に何か…… いや、危険が及びそうな時にです……対外的に影武者として利用ができる価値があります。飼っておくのは無意味ではないかと……」
「貴様の頭を鉛玉が突き抜けるのはそう遠くではないぞ、ヴュータン」
 冷たい視線をヒスマンはポールに投げかけた。
「どうか、ご慈悲を。私はヒスマン家の為に命を捧げたく願っています」
 ポールは懇願する。

「よいか、あれはただの人形だ。フランツの息子はロイだけだ。そして正当なヒスマンの血を継ぐのはベラギーにおいてフランツとロイのみ。それが叶わぬ時はまた、わが一族から出せばよいのだ。薄気味の悪いクローンなど早く始末をしろ」
「ですが……」
「本当に死にたいか、ヴュータン」
 ヒスマン公は護衛に向け目くばせをする。護衛がポールを近づく。
「ヒスマン公、違います。どうか! 話をお聞きください! 私は世界に冠たるヒスマン家の為のアイディアがあることをお聞きいただきたいのです!」 ポールは思わず跪き、当主へ慈悲を乞う。

「なんだ?」

「クローンについては、米国でロセリストが応用研究をさせていた中心人物のタカヤマがロセリストと袂を分けたことで、陣営に引き込んだヒスマン公の千里眼のごとき素晴らしいお知恵には感服いたしております」
 当主は護衛に下がるよう合図をした。護衛が下がったがポールは跪いたまま続けた。
「ロセリストの手にはクローンの『ナオ』と呼ばれる少女がいます。タカヤマはナオを作った技術で王子のクローン『ヤン』を作った。ヒスマン公がご存じのようにロセリストはこのナオから軍事的研究を進めています。生物化学兵器の開発も情報として入っている。これに対抗するサンプルがヤンです。そしてそれは将来莫大な利益を当家にもたらします。中国を使ってください。ロセリストに一歩抜きん出るのです」

「しかしタカヤマはその方面の協力しないだろう? それに正直その方面の知識と技術は持ち得ていない」
 そんなことはわかっていると当主は吐き捨てる。

「私はその手を持っています」
「ほう? 貴様は何を持っているというのだ」
「ロシア出身の、現在は米国籍である科学者を引き抜きます。しかも米国での研究は続けながらに」
「二重スパイのように使うというのか」
 ヒスマンの当主は身を乗り出し、今日初めてポールに正対した。
「はい、全ての情報、データ、そしてサンプル。ヒスマン公はお持ちになれます」
「もう用意は出来ているのか? 誰だそれは」
 そろりとポールは立ち上がった。

「ドクター・ブリュスコワ。すでに彼は私が契約をすませております」
「いいだろう、金を使う事を許す。貴様が指揮を取れ、ポール。ただしめどが付いたらあのクローンは処分しろ。有効にな……」

「仰せの通りに」


 ㊻へ続く


★この作品はフィクションであり登場する人物、団体、国家は実在のものと一切関係がありません。


エンディング曲

That's life Frank Sinatra  (Joker)


世界はここにある①    世界はここにある⑪   
世界はここにある②    世界はここにある⑫
世界はここにある③    世界はここにある⑬
世界はここにある④    世界はここにある⑭
世界はここにある⑤    世界はここにある⑮
世界はここにある⑥    世界はここにある⑯
世界はここにある⑦    世界はここにある⑰
世界はここにある⑧    世界はここにある⑱
世界はここにある➈    世界はここにある⑲
世界はここにある⑩    世界はここにある⑳

世界はここにある㉑    世界はここにある㉛
世界はここにある㉒    世界はここにある㉜
世界はここにある㉓    世界はここにある㉝
世界はここにある㉔    世界はここにある㉞
世界はここにある㉕    世界はここにある㉟
世界はここにある㉖    世界はここにある㊱
世界はここにある㉗    世界はここにある㊲
世界はここにある㉘    世界はここにある㊳
世界はここにある㉙    世界はここにある㊴
世界はここにある㉚    世界はここにある㊵

世界はここにある㊶
世界はここにある㊷
世界はここにある㊸
世界はここにある㊹


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