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世界はここにある㊾  第三部 

 ポール・ヴュータンはロイ王子のクローン『ヤン』を世間から隔離していた。ヤンは問題なく成長をし、その学習能力は同世代の幼児とは圧倒的な差を見せていた。そのデータは高山教授が精査し、研究していたナオのデータと比較するがその優秀さは勝るとも劣らず、フランツ・シュナイターも同じ意見であった。しかしナオと違ってヤンはロイ王子のクローン。将来、ベラギーの王位を継承するロイのクローンがいることを王家としてどう対処するのか。ヤンの成長をどう見守っていくのか。フランツは悩み続けている。

 彼は決してヤンを疎外するような意思を表さなかったが、ヒスマンの当主はそうではない。ヤンの存在を疎ましく思い、ヤンが将来どのような素晴らしい存在になり得るのかにも興味を示さずにいた。ただクローンの存在を死ぬまで公にしないことを最良と考え、願わくばその時が早く来ればよいと望むことをはばからなかった。

 フランツはそんな当主の考えを常に注意深く捉えていた。ゆえにポールにはヤンに不自由はさせぬよう、自らの資産の一部を分けてその生活や成長を手助けしていた。ヤンは子供のいない夫婦に預けられ一般市民のなかで成長している。ただ違うのは彼の後見としてポールが存在し、ヤンの成長を日本人の科学者が逐一データをとり秘密裡に研究している。その事実は多額の金品がその口止めとして夫婦に与えられた。子供のいない夫婦は不満なくその要求に従った。勿論、彼が将来王位に就くロイ王子のクローンであることなど知る由もない。そうやってヤンはロイと同じように成長していった。それを素直に喜ぶものが少ないとしてもだ。

 高山は当初ヤンを引き取り日本へ連れ帰る考えを持っていた。しかしロセリストの追跡の手が及ぶのと、ナオの存在が気がかりだった。彼女が今、どういう扱いを受けているのかが判らない以上、自分が表立って動くことは危険に思えた。ヤンとナオがロセリストとヒスマンの両家の対立に利用されることは避けたい。ナオに続き、まだ世の中に触れ始めたばかりのヤンをその渦中に連れ込めない。いや、一生引き込んではならない。フランツもそれを慮り、最も信用できるはずだったポールにヤンを預けたのだった。

 そして事件は引き起こされた。

 極秘にブリュスコワから「ロイもしくはヤンの襲撃」の情報を受けていたポール・ヴュータンは情報を精査していた。そしてロセリストが自身の手ではなく金で動く暗殺グループを利用して計画していることを掴む。ロセリストの狙いは正確にヤンだった。

 ポールは周到にこの襲撃計画を利用することを画策する。
ヒスマン公はヤンについてその存在を疎ましく思っている。ゆえにヤンが殺されても喜びこそすれ恨みは抱かない。そして当主はフラクタルについてロセリストほど興味を抱いていない。この先ヤンの存在がヒスマン家に及ぼす影響は負でしかないと考えている。

 一方ロセリストはナオを手中にしていることからフラクタルが生み出す数々の効果を最大限に利用しようとしている。その優位性を独占する為にはヤンの存在、高山の存在は負でしかない。ゆえにヤンは消す。そうすれば高山は自然と堕ちていくだろう、自身が生み出した二人のクローンの人生を台無しにした良心の呵責に耐える力はないと見込んでいるに違いない。東西のバランスを取るために、ヒスマンの意向を考慮し、ロシアなどの第三極へ高山を引き渡せばよい。ポールはそう考え計画を練った。

 ロセリストには計画の成功の歓喜を、ヒスマンへは懸案の清算を…… ポールはその中で両陣営の秘密を握る。それは将来、彼の切り札の中の一つになると考えた。

 暗殺グループにはわざと情報を流した。日本のシンポジウム取材クルーがベラギー皇太子一家の休日を取材するとの情報だ。そしてそこで偽の皇太子夫妻と何も知らない幼いヤンを遊ばせる。暗殺グループは餌につられスランデント森林公園に潜入してきた。ヤンは奴らに『殺させる』そして襲撃グループは一人残さず抹殺する。ロセリスト側は襲撃が成功したのかを知る手段はない。しかし日本の取材クルーが『王子の殺害』を目撃した事実を自分達が大袈裟に動きまわることで、ロセリスト側は諜報によりヤン襲撃自体は成功したことを知るだろう。そして我々は何食わぬ顔でフランツ一家を日本クルーを通じ世界に紹介させる。一家の無事を、いや、何も起きていないことを。そうすれば取材クルーも目撃したことを公表しにくい。あとは実力で抑え込めばよい。何事もなかったように。

 ヤンの死亡は後から何とでも理由をつけて報告すればいい。それもロセリストには後刻伝わるだろう。これで両方の利が成る。そして世界は何事も知らされることなく一つ、力のやり取りを終えるのだ。

 そこまでのポールの計画は完璧だった。ただ誤算も少なからずあった。クルーの一人、立花三佳に証拠写真を持ち出された事。クルーの中に高山の知人がいたこと。そしてそのことから高山が疑念を抱き始めたこと。その知人がナオのペアであったことをその時に把握していなかったこと。そしてそれがきっかけとなり二年の後に強大な敵としてナオと対峙することを。

☆☆☆☆☆

「いい子でいてくれよ、ミス・タチバナ。それでなくともラッキーなんだ君たちは。そうですよねぇ?ドクター」

 ポールは三佳とサツキを乗せた車が走りだしたのを見送り、振り返ると高山がいたのを見つけ、そう言って立ち去ろうとした。

「待ってくれ、彼女らは日本の取材クルーだね。何かあったのか?」
 高山は通り過ぎようとするポールを止め訊ねる。
「いや、たいしたことではありません。取材規定を逸脱した可能性があったので内容を確認させて頂いただけですよ。問題はなかったのでお引き取り頂きました。今朝の皇太子一家の森林公園での取材ですよ。皇太子はプライベートですから直接の取材をお断りしてたんです。遠目からの写真のみと言う約束でね」
「いい子でいろとはどういう意味だ? 相当ひどい違反があったんじゃないか?」
 高山は吹き上がる疑念を抑えられないでいる。立花という女性は面識がない。しかし彼女もいた。堂山サツキだ。見間違えるわけもない。その横顔を少し見ただけですぐに判った。しかしそれを口にすればポールに何かを悟られるかもしれない。この男は何かを隠している。そんな内容の聴き取りならその場で確認できたはず。危険は冒せない。高山は慎重に言葉を選ばねばならなかった。

「いやいや、パパラッチがとったような写真を乗せられると我々外交部も面目丸つぶれでしょう?カメラの他にスマートフォンなども確認させて頂かないとね…… 結局一枚だけ削除させてもらいましたよ。だからいい子でいてねと言ったまで」
「そうなのか…… いや、ご苦労様、同じ日本人だからね、あまり行儀のよくないのは同じ日本人として恥ずかしいからな」
「いえ、特別に取材ができたラッキーを捨ててしまうほど日本人はバカじゃありませんよ。 おっと、これは失礼な言い方をしてしまった。日本人はとても優秀な民族です。尊敬していますよ。高山教授」
 ポールは皮肉めいた口調をはばかる様子もなくその場を去った。高山も何事もなかったかのようにその場をあとにした。

 サツキの身に何かが起き始めている。そう感じた。一体なにがあったのか?

 高山は車を走らせ私邸にむかった。ポールは外交部へ一旦戻るはず、フランツと内密に話ができるのは今しかないかもしれない。

 フランツの私邸の少し前で車を停めて高山は様子を伺った。普段の倍以上の警備がいるように見えた。彼は近づくのをやめ、フランツの個人用携帯を鳴らした。

「フランツだ」
「ナオトだ。プライベートにすまん。少し聞きたいことがある。内密にだ」
「なんだ? どうしたんだ」
「今日は家の警備が多いようだな」
「え? ああ、そのようだな。何かセキュリティ上のトラブルがあったのかもしれんが、何も報告は受けていないよ」
「今日は日本のクルーの取材を受けたんだって?」
「今日? いや、明日だよ、インタビューは。どうしたナオト? 何かあったのか?」
「今日、写真を撮られなかったのか?」
「写真? いつ?」
「午前中、スランデント森林公園で」
「ああ、公園はいつものように3人で釣りに行ったよ。そう言えば、写真を遠くから何枚かという話だったな」
「その時に何かあったか?」
「どうしたんだ、ナオト?」
「いいから! 何もなかったのか?」
 高山はつい口調が強くなった。フランツもその口調に何かを感じたようだった。
「何もなかったよ。それに直接取材の人とは会っていない。そう言う話だったから様子を遠目に控えていて映したのだろうと思っていた。写真は後ほど外交部が確認するし、必要なら私も拝見するという約束だったはずだ」
「挨拶もしなかったのか」
「していない。直接の挨拶は禁止事項だったのかもしれんな」
「どれくらい離れていた? 取材の女性たちとは」
「女性? いや、会っていないから女性か男性かもわからない。その姿さえ私は見ていない。だからどこから写したのかもわからない」
「サラもか?」
「多分、見ていないと思う。もしカメラマンでも見つけたら、私にもう少し笑えとか言うにきまっている」
 フランツはサツキたちとは会っていない、それどころか現場にいたのかどうかも分からないという。変だ。

「フランツ、君らが写真にとられるとき…… 例えばパパラッチなどという輩が君らを狙う時は、姿をかくして隠密に撮るのか?」
「まあ、そういう場合もあるかもしれんが…… 彼らはいい写真が撮りたいのだろう? それなら少々危険を…… 例えばSPに排除される寸前まで粘ってカメラをこちらに向けるのが多いと思うがな」
「そうか…… すまん」
「どうしたんだ? ナオト、何があった?」
「いや、何でもない。何でもないことを祈るよ」
「何があったんだナオト。 言ってくれ」
「今は確かなことが言えない、改めて話すよ。この電話のことは誰にも言わないでいてくれ。それから……」
「それから?」
「ポールには気をつけろ。彼は何かを隠している。それが何か今は判らんがきっと私達に知れてはマズいことだろう。とにかく注意してくれ、勿論、気づかれぬように」
「……わかった。君のいう事だ、根拠のないことではないだろう」

 高山は電話を切り、車をUターンさせようとした。フランツの私邸の方からやってきた一台の車がパッシングをして高山の車の前に入り込んだ。
その車から降りてきたのはSPチームのウォルフ・ヘンドリッヒ。彼は車のプレートで高山の車とわかったのか、さほど警戒はせず近づいてきた。高山はドア・ウィンドウを下げ、彼に手を振り挨拶をした。

「ドクター・タカヤマ? どうされたんです? 皇太子に会いに来られたのではないですか?」
 ウォルフは少し警戒の色を表情に出しながらも穏やかに訊ねてきた。
「そうなんだが、いつもより多くの警備が門の前に並んでいるだろう? これは何かあったのかと思ってね、私がウロウロするのは邪魔なんじゃないかと遠慮して、フランツに今日は帰ると電話をしたところだよ」
 高山はできるだけにこやかに返事をした。

「そうでしたか。それは残念でした。お越しいただければ皇太子にご許可を頂いたのに…… 閉鎖処置をしているわけではないので」
「フランツも理由は言ってなかったから、勝手に勘ぐってしまったようだ。大変だな、君も」
「いえ、仕事ですので」
「何か問題になりそうなことでもあったのかい?」
「それはお知らせできませんが、ご心配なく、安全は保障いたします」
「ありがとう、じゃ、帰るよ」
「はい、それではお気をつけて」
 ウォルフは軽く手をあげて自分の車に戻ろうとした。
「ああ、ウォルフ!」
 高山は彼の背中に声を掛ける。ウォルフは振り返り、何でしょうかと表情で答えた。

「今朝、日本の取材チームが迷惑をかけたようだ。紹介したエージェントから詫びが私のところにも来たよ。君にも迷惑をかけたようだ、すまなかった」
 高山はそれを聞いて一瞬顔色を変えたウォルフを見逃がさなかった。
「ああ、いや、特に迷惑なんてありませんでしたよ」
「でも写真を無断で」
「誰からその話をお聞きに?」
 ウォルフはゆっくりと近づいてくる。先ほどとはうって変わり、その姿はSPとしての役割を果たす隙の無さが素人目にもうかがえる。
「ポールからさっき聞いたんだ、偶然に取材クルーを見送るポールと出くわしてね」
 高山はウォルフの様子を注意深く観察した。

「そうでしたか。それは…… まあご心配はいらないと思いますよ。特段、違反はありませんでしたから」
「そうだったらしいが私も知らない顔はできない。迷惑をかけた」
「いえ、ドクターは関係ありませんから、どうぞお気になさらず」
 そう言ってウォルフは車に戻り、ホーンを一度鳴らして車を走らせた。

 彼は違反はないと言った。しかしポールは一枚写真を削除したと言っていた。些細な食い違いがある。情報の共有ができていないはずはない。

 やはりポールは何かを隠している。その内容によって彼は信用してはならない人物になるかもしれない。高山はヤンのことが頭に浮かび、彼の元へ車を走らせることにした。


 ㊿へ続く


★この作品はフィクションであり登場する人物、団体、国家は実在のものと一切関係がありません。


エンディング曲

A Secret  Tokyo Incidents(東京事変)


世界はここにある①    世界はここにある⑪   
世界はここにある②    世界はここにある⑫
世界はここにある③    世界はここにある⑬
世界はここにある④    世界はここにある⑭
世界はここにある⑤    世界はここにある⑮
世界はここにある⑥    世界はここにある⑯
世界はここにある⑦    世界はここにある⑰
世界はここにある⑧    世界はここにある⑱
世界はここにある➈    世界はここにある⑲
世界はここにある⑩    世界はここにある⑳

世界はここにある㉑    世界はここにある㉛
世界はここにある㉒    世界はここにある㉜
世界はここにある㉓    世界はここにある㉝
世界はここにある㉔    世界はここにある㉞
世界はここにある㉕    世界はここにある㉟
世界はここにある㉖    世界はここにある㊱
世界はここにある㉗    世界はここにある㊲
世界はここにある㉘    世界はここにある㊳
世界はここにある㉙    世界はここにある㊴
世界はここにある㉚    世界はここにある㊵

世界はここにある㊶
世界はここにある㊷
世界はここにある㊸
世界はここにある㊹
世界はここにある㊺
世界はここにある㊻
世界はここにある㊼
世界はここにある㊽


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