水星子

23歳。私は人間ではなく、好きな音楽の全ての混成

水星子

23歳。私は人間ではなく、好きな音楽の全ての混成

最近の記事

【音楽】ソダ・ステレオ、南米シューゲイザー以上

今日はもう他のストーリーを語りたいと思う。今回は外人として日本音楽現象を解析しないが、外人として全然別の所の音楽の話をしたい。だって、2年前はこのバンドとの出会いを無視したのだが、結局大きな扉を開けて、広い世界を見せたものだ。 個人的な話今日はもう他のストーリーを語りたいと思う。今回は外人として日本音楽現象を解析しないが、外人として全然別の所の音楽の話をしたい。だって、2年前はこのバンドとの出会いを無視したのだが、結局大きな扉を開けて、広い世界を見せたものだ。 2021年。

    • 部屋の中の空

      眠れなくなる夜は増えている、なぜかは知らない。あなたの寝顔を見て、貴方に言いたいことは多すぎるということに気付いた。 眠る貴方の身体はそばに横になっている。穏やかな呼吸の音は真っ暗で深々たる部屋に聞こえる。やっぱり誰かとこれになるのは夢だった。いや、誰かじゃない。あなたとだけ。 たとえ年を取っても、一緒にいるからちっとも困らない。あなたとなら何もかまわない。だからこそ今、丑三つ時に、あなたのことしか考えられない。今、初めて巡り合った時のように。何年前だったのかな? 恋って、

      • 【音楽】大日本異端芸者を忘れられない理由

        あいにく、この文章も個人的な話で始めようと思います。 私はガゼットを11歳の春に初めて知って、衝撃を受けました。最初に聞いた曲は「DIM」という心を打ったアルバムの「THE INVISIBLE WALL」だったけど、もっと興味をそそったのはインディーズ時代なのです。みすぼらしい見た目、汚いサウンド、ドンドンのリズム、バリバリな声、意味不明な言葉。 インディーズ時代のガゼットはあの頃の青春の悲鳴の純粋な表現だと思います。 なぜそんなに惹かれたかというと、ガゼットがこの私の政治

        • Misstopia: パラレルワールドと喪失感

          訳あって「Misstopia」が流れている間冬の日々、冬の雰囲気を思い起こしてしまう。 初めて聴いたときをまだ覚えている、17歳だった。その上、12月31日だった。私は近くの町に住んでいる友達と会いに行っているところだった。バス停のベンチで座っていて、十二月の寒い空気が日差しの温もりに和らいでいて気持ちよかった。ノーベンバーズを聴き始めた頃より遅いね、わかっている。あたら、ノーベンバーズの作品がSpotifyのイタリア版で公開されていなかっただけでなく、その存在さえあずかり知

        【音楽】ソダ・ステレオ、南米シューゲイザー以上

          程々にヒステリック

          今日も目が覚めた。もう飽きた。晴れだけど、何のため?日差しを体感できないもん。 毎朝同じベッド、同じ天井、同じ老婦を見て起きている。気障りな匂いがする、何が起こったかわかるのが大嫌い。この鼻持ちならない生活に慣れてきた、最低だね。北向きの部屋から雑音が続いているから、あの女が何もしていないのを確かめなくちゃいけない。立ち上がって。歩いて。 気持ち悪い。果て無いループ。終わらない地獄。 で、何を待っているの?朝起きて笑顔のふりをして、コーヒーを淹れて、調理をして、ちゃんとジャ

          程々にヒステリック

          【小説】 Days of being wild

          「最近あなたの暮らしはどう?」 もしあなたにまた会えるとしたら、この言葉さえ忘れてしまうかもしれない。声も出られないだろう。でも結局、そんなに知りたくない。あなたに逢いもしたくない。 十一月ねぇ先生、私のこと、思い出すの? あの冬、穏やかに運河に流れていた水は私達の囁いた告白を目にしたね。 始まりの夜、覚えているの? 私は鮮やかに覚えている、昨日だったかのように。十一月だった、新しくロックダウンが宣言されたし、また家の中に締め込まれてしまった。私は泣いてばかりいた、あの日々

          【小説】 Days of being wild

          色々を語る

          今日は少し時間があるのでこの日々を語れるようになった。意味なんてない、ただの意識の流れだけだ。冒頭はない、結末もない。この最近の気持ちを記したい。 やっと卒業した。実は十月十日卒業論文を送ったのだけど、十一月十八日だけ卒業式があった。論文を書いている期間は辛かった、誰かもう知っているはずだけど、この短い人生の最も辛い期間だった。なぜかというと、論文と最後の大学試験以外に、家族の責任すら全て私の肩にかかっていたから。 大学の町から地元に帰ってきたときからメンタルヘルスが低下

          色々を語る

          「Paraphilia」と桃源の幻

          誰かに「愛って何?」と聞かれたら、気兼ねなくノーベンバーズの「Mer」という曲を考えて答える。ノーベンバーズは本当に特別なバンドというのをもう知っているはずだけど、ノーベンバーズのように愛を書いているバンドは決していない。ノーベンバーズより綺麗に愛を語るバンドは決していない。恐らくノーベンバーズが「愛を愛するバンド」とさえ言えるかもしれない。ノーベンバーズを聴くにつれて、作品の中に宿る精神がだんだん理解できるようになっただけでなく、その底にある心情を感じられるようになった。と

          「Paraphilia」と桃源の幻

          Rhapsody in beautyと美しさへの愛

          この文章を書き始めたとき11時11分だった。サインだと言えるかもしれない?とうとうかけがえのない存在のノーベンバーズについて話せるようになった気がする。しかし、正直言って、私はどんな時でもノーベンバーズなら十分な準備はできない感じもある。 やはり何かが身近ければ身近なほどそれに関する話をするのは難しいじゃないだろうか? 初めてノーベンバーズを聴いたとき五年前の9月23日であった。「Hallelujah」というアルバムは発売されたばかりで、Dir en greyの京さんは短い

          Rhapsody in beautyと美しさへの愛

          ヴィジュアル系の時代精神【エッセイ】

          イタリア人として、何が私を日本に近づけたかというと、音楽である。十年前の四月に、ロックに惹かれた十一歳の私は不思議で魅力的な世界に歓迎された。ヴィジュアル系というものを初めて知ったという理由は日本のロックは「ただのロックではない」と言ってばかりいた。当時から、その環境で行き来するバンドをたくさん見てきたので、今年10周年を祝うために、ヴィジュアル系について書きたいと思った。 最近、いくつか現在のヴィジュアル系バンドの活動を目にして、それを90年代とか00年代のV系に比べると

          ヴィジュアル系の時代精神【エッセイ】

          愛と希望の町

          「この町、もう飽きた。」という言葉を思ったたびに、現在だけに集中していた。その一瞬の苦しみを超えて見られなかった。または見たくなかった。今は、去らなければならないのだから、おかげさまでどれだけこの純真な田園の少女が変わったか考えるしかない。また変わったらずっと忘れられない、この町の私。これはなんか愛している人達と愛している町へのラブレター。 2018年10月1日、初めてここに着いた。まだ大学や未来に信頼があった私は自分で歩き始めた、田舎の町と人から遠く。親友と家族からも遠く

          愛と希望の町

          修羅の花

          憎しみはどこまで行けるかな? これは、夢ではない。 五月が嫌いになった。毎朝の味は病弱、嘔吐みたい。朝起きて、脈に流れる血が何かに欠けている気がする。必要なものはよく知っているが、何かをじっと待っている。 待っている。 待っている。 誰が弱者の私にこういうことを期待していたのか?誰もいない。今朝起きて、鏡の中の化け物を見た。「ねぇ、時間になったね。」と言う私は、ちゃんと髪をとかす。「もう少し待とうね。」と返す。 でもあの鬼はときめく、心が躍りそうに私を見つめる。鬼は待って

          修羅の花

          諸々の夢 #1

          パラダイス チューリップ畑にいた。白いドレスを着てる私は眩しい光に溢れられた。空は地球から見える空ではなかった感覚があった。なぜかというと、空は浅いピンク色に染めていたから。突然、そのチューリップ畑で小林祐介に歓迎された。彼も白い服を着ていた。リネンの服のような気がした。彼はただ笑顔をして、手を出してくれた。いくら歩いても、疲れなかったかのように歩き続けていた。チューリップの中で歩いたにもかかわらず、花びらは散らないだけでなく、足に踏まれた後茎が曲がらなかった。 音楽が流れ出

          諸々の夢 #1

          ずっと目を閉じていい?

          変わらない天井。変わらない壁。変わらない私とこの身体。変わらないこの身体への嫌悪感を。時間が止まっている。時計の針が動いても、時間は止まっている。時間はもう存在しない。私がこのベッドで占める空間を意識するようにしている。意識しすぎるかもしれない。その空間が広すぎて嫌になる。嫌になって吐き気がする。深呼吸をして。 目を閉じたまま、起きているようにしている。「何が起こっても、目を覚まさないで。」 何が起こっても、目を覚ますな。 まず、自分の身体に触る。ずっと目を閉じたまま。身体

          ずっと目を閉じていい?

          ロケット、トラック、地獄と炎

          二人はじっくり準備したセロハンに寝転んでいる。窓から町が見える。赤い空でケムトレイルが現れている。いつからかな。そういえば、何時だろうかな。 プラスチックとの接触で背中に沿って汗が滴る。もう嫌だなあ。立ち始めるとき、あなたの声が響く。「もう起きるかい?」 「うん、眠れない。」 「もうちょっとここにいて。」あなたの声ほぼ訴えに聞こえる。あなたの顔はまだ眠そうなので、何とかかわいいと思う。 笑顔しかできない。 町の底はどこだろうかな。前回出かけたときは、いつか覚えられない。この

          ロケット、トラック、地獄と炎

          Mellon Collie and the Infinite Sadness

          今朝、図書館に行っているところ、ある曲を聞きたくなった。イタリアの住んでいる町は少し寒いけれども、天気がいい日々が続いている。気持ちがいい、心も落ち着いた。​​ 1979年にはまだ生まれていなかったけど、「1979」がリリースされた1995年にも。この文章は若い女子の観点から現在生きている状況を語るつもり。全員に代わって話せなくて、話したくない。でも、言いたいことがたくさんあって(もしかして、上手じゃないので全部言えないかも)、この言葉での旅を伝ってくれたら嬉しい。 一年

          Mellon Collie and the Infinite Sadness