サッカーとの出会い(小学生)

僕は1996年生まれ。


サッカーと出会ったのは2005~2006年ごろであっただろうか。

2006年のドイツW杯のグループリーグは鮮明に覚えている。
第1戦に右サイドから中村俊輔のクロスボールが混戦のペナルティーエリアの選手たちを抜けてゆっくりとゴールに吸い込まれる。
まさかのW杯の大舞台で我ら日本代表が先制したのだ。
当時は夏っぽい気温だっただろうか。うちのベランダに向かう窓は空いていた。外から恐らくサッカーを観ていた世代の大歓声が聞こえたのを記憶している。TVの視聴率も半端なかったと思う。

第2戦はクロアチア戦。この試合が本当にサッカーで心が動いた初めての日だと思う。GK川口能活がPKでなかなか難しいコースをファインセーブしたのを鮮明に覚えている。多分このときに決めていた。サッカーするならGKをすると。
今思えばあの大会もモドリッチがいたんだ。長期間代表で活躍続けるのえぐい。

第3戦は豪快な玉田のミドルシュート!気を抜いているブラジル代表にスイッチを入れる一発だった。

僕がサッカーと出会ったのはそんな時代。


その頃からか、小学校の昼休みでサッカーをするときは常にGKをしていた。
あのときの川口能活選手を観ていたからよく影響を受けていた。 
横っ飛びが得意で得意で。よくゴールストップしていました。笑

放課後は仲良くなった友達の家でプレステ2の「フットボールキングダム」を使って一緒に遊んだり、公園でサッカーしたり。今振り返ればとにかくサッカーをしていた。サッカーに触れない日はほぼなかった。


ある日、その仲良かった友達から地域のサッカークラブに入らないかと誘われた。

他の小学校の子たちが集まるので怖かったけど、僕があのときの「川口能活」のように活躍できる場があるならと思って、入団した。
月額2000円のお財布にも優しいクラブだったから親にもお願いしやすかった。(てか、その頃から家のお財布事情気にしてたんかい。)
入って3.4ヶ月くらい、同学年のメンバーからいじめにあった。2.3人で地面に手足押さえ込まれて顔にめちゃくちゃ砂をかけられた。いじめのきっかけはなんだったか覚えていない。けどいじめの内容は鮮明に覚えている。
それからしばらくサッカークラブの練習に行かなく、行けなくなってしまった。エスパニョールのコーチがくるよ〜とか、FC東京のコーチがくるよ〜とかイベントあったみたいだけど、またいじめられるのが怖くて行けなかった。もちろん親は僕が練習に行かなかくなった理由を知らない。だから親は僕に言う。「月会費払ってるんだから」「高いもの揃えたでしょ〜」とか。僕から親に本当のことは言えなかった。ただただ自分一人で抱え込んでいた。


小3の後半くらいはほぼ行かないで終わった。


小4になり、僕をサッカークラブに誘った友達が「練習に一緒に行こうよ」と誘ってきた。それからかな?毎週練習に参加できるようになったのは。いじめをした当本人たちは事を忘れているようだった。


その辺からかな。僕のGK劇場は。笑


僕が入団する前にGKを務めていた子はGKが嫌で他のポジションに移った。そのため僕の学年のGKは僕が務めることになった。

僕にはあのときの川口能活が憑依していた。
(昔から好きな選手を憑依させる癖がある。笑)


練習試合や公式戦で、僕がファインセーブするごとに監督、コーチ、保護者の歓声が沸く。

こりゃ〜たまらない経験だった。

ゴールストップすれば歓声は沸くし、監督、コーチにも褒められる。

僕はGKとしてどんどん上手くなっていった。

大会で優秀選手賞2回いただいた。そのくらい評価されていた。
もうこれは僕の自慢だ。FK,PKどっちも止めるの得意。笑

小4の後半から。一つ上の学年の試合に呼ばれるようになり、スタメンを張った。この経験はさらにGKとして成長させてもらった。監督、コーチ、保護者だけではなく、1つ上のお兄ちゃんたちからも褒めてもらえるんだもん。
それから1つ上の先輩が卒業するまで正GKを務めた。


小5.6と自分の代でも正GKを務め、大忙しだった。
小学生時代のハイライトは小学校の卒業大会とも言われた「千葉杯」
うちのチームは毎年だいたい1.2回戦負け。1つ上の先輩たちの代でも当たりが悪く1回線負けだった。(相手はFC85のB)

僕らの代の1回戦はコンドルス。
過去の戦績ははっきり覚えていないが、勝っていなかったらしい。けどここを勝つと次は杉の子か臨海小。よく練習試合していたチームだった。コンドルスに勝てば、次が見えてまたその次が見える。そう思えた。


試合は僕のファインセーブ連発もあり、(←笑)延長線を経てPK戦へ。


ここで僕のGK劇場開演だ。
まさにあのときの川口能活が憑依していた。監督からは「半歩どっちか広く空けて、広く空けた方に飛べ。」この指示が川口能活が憑依していた僕と合わさってこれがまんまとハマった。
PKストップ3本。うちのチームの鬼門であった1回戦突破に繋がったのだ。
勝負が決まった瞬間僕はゴールラインからセンターサークルにいるチームメイトのいるところまで走り、喜びを分かち合った。


2回戦は杉の子が上がってくると思われたが、エースを温存しまさかの臨海小に負け。ベスト8以上にいく力があった杉の子がまさかの1回戦負けだった。

この結果は僕たちには朗報。臨海小には圧勝しかしたことがなかった。

vs臨海小の2回戦は苦勝だったが、勝ち切った。

もうこの時点でベスト8。

次はベスト4をかけた試合。
相手は優勝候補のバロール。僕と同じ小学校の知り合いがいた。結果は0-4くらいの完敗。

けど悔いはなかった。やり切った感が強かった。
大会終わってみれば僕らも負けたバロールが優勝。
結果を見ても納得できた。



後日、


自チームに戻り通称6年生の追い出し会(送別会)がおこなわれた。



しっかりサッカー選手として評価していただいた。

サッカーが好きになり、選手としてキャリアが始まった小学生。

サッカークラブに入るもいじめにあい、なかなかチームに馴染めず最初はほとんど練習にいけなかった。

しかし小4で再度僕をチームに誘い入れた友達に練習に一緒に行こうと誘われ、毎週行けるようになった。

そこから選手としての立場を築き始め、最終的には「クラブ史上最高のゴールキーパー」という称号をいただいた。

あのとき川口能活の活躍を観ていなければ、小学校でサッカークラブに入ろう、GKやろうなんて考えなかったと思う。

「あのときの川口能活」が僕をサッカーの世界へ導いた。

こんな感じで僕の短いサッカー選手としてのキャリアが始まった。

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