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新選組クリスチャン

結城無二三(ゆうき むにぞう)
彼は、幕末の頃新撰組に加わって活躍し、敗れて挫折。
ただ、新選組の名簿に名前はなく、専門家からは疑問視されている。しかし、彼の手記には、「私が正式に新撰組に入りましたのは慶応3年のことですが、関係は随分古くからあり、ことに近藤とは京都におりました間、始終別懇にしておりました。私は一体京都では見廻組の厄介になったものですが、見廻組の方は旗本の集まり、新撰組の方は浪人の集まりだったので、当時浪人の私は、自然新撰組の方へばかり行っていたのです」新撰組として京都見廻組の二足のワラジを履いていたのではないか。つまり新撰組は今流のアルバイトではなかったかと思うのです。

維新後は、実業家を試みてこれも挫折、しばらく山の中で隠遁生活を送っていました。
そんな暮らしの三年目。
妻が高熱を出して倒れました。医者の子である無二三は煎じ薬などで手当をしたのですが、一向に良くなりません。
その内に、自分も高熱で苦しくなり身動きがむずかしくなりました。長男は泣き続けるという、どうにもならない状況になってしまいました。
その時、聖書のみことばを思い出しました。
手記に詳しくどの箇所かは書かれていませんが、詩篇と言うことなので、私が勝手に選びました。

‭‭詩編‬ ‭116:4‭-‬6‬ ‭新共同訳‬‬
主の御名をわたしは呼ぶ。 「どうか主よ、わたしの魂をお救いください。」 主は憐れみ深く、正義を行われる。 わたしたちの神は情け深い。 哀れな人を守ってくださる主は 弱り果てたわたしを救ってくださる。

無二三は、祈り方など知りませんでしたが、一心に、神にすがりするつもりで祈ったのです。
すると、熱が下がったのです。赤子も泣き止みました。妻も正気になりました。思いがけないことが連続しておきました。無二三は、聖書を仏壇に供えて合掌し、聖書の神にお礼を申し上げました。

全快後、すぐにカナダの宣教師イビーを尋ねました。聖書と聖書の神のことを、正しく、深く知りたいと思ったからです。イビーは、無二三からの話を全部聞くと言いました。
「あなたが私の所へ来たのは奇蹟です。日本に神さまのことを知らせるために、結城無二三を用意されていたのです。あなたが死生の間をくぐったのも、山の中に入ったのも、病気になったのも、みんな神さまの計画です。ですから、あなたは、これからの人生を神さまに捧げなさい。今日からですよ。明日からではありません。私と一緒です。」イビーは言った。

1879年(明治12)彼はキリスト教を伝える人として活躍します。キリスト教の牧師となって生涯を全うしました。

この人も、戊辰戦争で敗れてから挫折の連続の人生。
晩年、イエス・キリストと出会えて平安なる人生を送った一人です。

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