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真っ赤なおつむのサンタさん

昨年12月、米フロリダ州マイアミで開かれたクリスマスパーティーでの出来事。
サンタが小さな女の子に、「私の膝の上に座りたいか」たずねる。少女は「ノー」と断った。
するとサンタは「自分自身で決断し、本当の気持ちを表明するのは素晴らしい」と、少女の行動を称賛する。
「たとえサンタクロースであっても、従う必要はありません。サンタに膝の上に座りたいかと聞かれ、座りたくない場合は『ノー』と言いましょう」と続けた。

動画で見る限り、幼女の拒否に対し決めつけの説教をたれる似非えせサンタには、かなりの違和感を覚える。
女の子は「サンタクロース」という概念を否定したわけじゃなく、この気持ち悪いオヤジを不快に(あるいは脅威に)感じ「ノー」と言ったに過ぎない印象だ。彼女のおびえた表情からも、それは一目瞭然いちもくりょうぜんである。
もしかして酒臭い息を、ぎたくなかっただけかもしれない(動画じゃ匂いまでわからんけど)。

似非えせサンタのほうでは拒絶されてあせり、自己正当化のため思い付きの言い逃れを口にした可能性も、なくはない。
逆に「確信犯」から言ってるとすれば、ヤバい奴である。幼児おさなごのまだ形を成していない柔らかな感性を、狂暴な決めつけから蹂躙じゅうりんするような行為は看過かんかできない。

と、思っていたら話は更にヤバく、この子の母親は家族を含め、誰にハグしてキスをするかは、あなたの選択よと常日ごろ娘に言っているそうである。
なんだ、出来レースだったんかい。
この日もサンタに会おうと列に並ぶのに「嫌なら膝の上に座らなくていい」と伝えていた。
会いたいけれど、お膝はいや?子供にそんな複雑な境界線、引けるんかい。
「誰かを快適にするために、自分が不快であることを押し通す必要はありません」とコメントしており、それこそ親の、我が子に対する一方的な理念の押付けになってはいまいか。厳格な教義に支配された新興宗教信者の、妄信もうしんに近い印象だ。

驚くのはこの動画が300万回近く再生され、サンタ・娘・母親それぞれを称賛するコメントであふれていることだ。
これまで欧米で親愛の表明だったはずのボディタッチは、相手によって快不快に分かれる、選別の対象になったという事なのか。
とくにここ10年、アメリカがかつて誇った過去の様々な伝統が、逆に悪しきものとして扱われるようになっている。実に極端な変化であり、アメリカがいかに徹底した個人主義の国家であるかもよくわかる。

我々は一人で生きられない。他者と交われば交わる数だけ、異なる能力や知性、感性などと向き合うことになる。
「誰かを快適にするために、自分が不快であることを押し通す必要」がないのだとしたら、日本人の譲り合いの精神などは決して美徳でなく、弱い個人同士の妥協の産物に過ぎないという帰結だ。

もっと言えば、僕などが強烈な違和感を抱くこの記事に対し、きわめて妥当であると判断する日本人が、増えていきはしまいか。
徹底した個人主義の底流に流れるものは、人生における損得勘定、勝ち負けの論理である。
個と個が常に主張し合い、ぶつかり合う世の中をとしてきた歴史が、日本以外の多くの国で散見される。
確かに大陸などでは、自己を主張しなければ生存自体がおぼつかない時代もあったろう。アメリカのように、移民で成立した人工国家であればなおのことだ。多くの矛盾をはらみ、それが増幅したすえに大きな反作用が生まれる。
これまで善きものとされた伝統や文化が、とつぜん恥ずべきものと否定されてしまう。

特定の宗教を指す「メリークリスマス」はダメだから「ハッピーホリデイ」の挨拶になったり、映画の金字塔『風と共に去りぬ』は黒人奴隷を描いているからと全米で上映禁止になっていたり。
自国の歴史をすべて否定するのは「革命」であり、リセットボタンを押す行為だ。先人への敬意など微塵みじんもなく、今を生きる我々だけが万能ばんのうであると自惚うぬぼれているのでは、あまりに愚かしい。

それは、「和をもっとうとしとなす」我々島国の自然発生的な文化においては、馴染みにくい要素となる。
本来の伝統とは、一朝一夕いっちょういっせきで価値判断の変わる底の浅いものであるはずがなく、時代に合わせ徐々に変化していくものだろう。

行き過ぎた個人主義に違和感を覚えるように、日本の「同調圧力」を極端と感じることも多々ある。これは逆に、島国ならではの特性かも知れない。
それを「和」や調和と呼ぶのは錯誤さくごであり、横並びの実質的な強制である。田舎に住んでいると、この面はよく見えてくる。

いずれにせよ、行き過ぎはよろしくない。長い歴史を持つ日本の美点だけはしっかり継承し、今後も永らえていってほしい。

だいたいサンタのコスチュームなんて、コカ・コーラがコマーシャル用に作った100年にも満たない、浅い歴史のまがいもんだぞ。
あくまで商用ベースで作られた、万人ばんにん受けするCM用サンタでしかない。

戦後の日本は良くも悪くも、アメリカが敷いた3S政策(screen【スクリーン=映像鑑賞】、sport【スポーツ=プロスポーツ観戦】、sex【セックス=性欲】)に支配され続けてきた。

ここらで欧米至上主義(=徹底した個人主義)一辺倒を、一旦いったん見直してみる時期じゃなかろうか。
じょうが軽んじられ、ばかりが支配する社会なんて窮屈きゅうくつで、生きにくくなるばかりだぞ。

イラスト hanami🛸AI魔術師の弟子

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