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『北極探検隊の謎を追って 人類で初めて気球で北極点を目指した探検隊はなぜ生還できなかったのか』を読んで

アグルーカの行方』を読み、「やはり探検もの、特に極地探検はおもしろい!」と極地探検熱が蘇り、題名だけで選んだ『北極探検隊の謎を追って』。たいへんな衝撃を受け、メモ帳に思いついた事を書き殴り、後で感想文をまとめてブログにアップしようと思っていたのだが、忙しさにかまけてそのままになっていた。

今回のお題を見て、「そういえば……」と取り出して見たら、読んだのは2022年の11月だった。いやー、歳を取ると月日が経つのは早いなぁ……じゃなくて! どんだけ熟成してんだ!!

この機会を逃せばウイスキー並みの熟成度になりかねないので、感想をまとめておくとしよう。

気球で北極点を目ざしたアンドレー探検隊

 アンドレー探検隊は、1897年に気球で北極点を通過することを目指したスウェーデンの探検隊だ。21世紀の後知恵で言ってしまえば、気球の作りが素人目にも甘い。おそらく、素材に対する経験不足で、アンドレーだけの問題ではなさそうだが、ふと、日本の風船おじさんを思い出し、「あ、これは……」と、酷い結末しか思い浮かばなかった。

 しかし、想像に反し、風船おじさんと違い、アンドレー探検隊は、気球が氷上に着水してから三か月も歩いて極北の島・クヴィト島にたどり着いている。これにまず驚愕した。

 発案者で隊長のアンドレーをはじめ、隊員のストリンドベリとフレンケルの全員が、ストックホルム在住で、別に探検家等ではない。ストリンドベリは学生だ。極地探検の経験なんて全くないにもかかわらず、夏とはいっても、北極の海に何度も落ちてるのに、「そんなの平常運転」とばかりに淡々と、何か月も重いそりを引いて歩き続けるってある? 元々北国の人なんで、寒さに耐性があるんだろうか?? でも、肉体労働してた人たちじゃないのに、信じられないんだけど!

現場百遍どころか万遍の著者の執念

 もう一つの驚愕のしどころは、著者の執念だ。

 アンドレー探検隊の三人は、そのようにして氷上を歩いてとにもかくにも、下が氷でないところにたどり着いたにもかかわらず、そこに着いた直後に三人が三人とも死亡している。そして死因は不明だ。

 一体何が起こったのか? その謎を解くために調べて調べて調べまくる著者・ベア・ウースマの執念がすごい。

 アンドレー探検隊の事故は、もう百年も前のことだから、今更証拠探しもないもんだ、と普通なら思ってしまうところだ。しかし、著者は先人がもう全てを点検し終わっており、あとは先人の記録を丹念に当たるだけ、と思わずに執念深く……まさしく執念深く調べまわり嗅ぎまわっているのだ。

 不成功に終わったとはいえ、フロンティアスピリットあふれるヴァイキングの子孫たちの国・スウェーデンでは、アンドレー探検隊は英雄だ。彼らについて書かれた本、論文、記録その他は数多く出版されている。著者は既に出版された本を読むだけでなく、博物館に残された遺品を徹底的に洗い直し、遺族の子孫を訪ね、三人に少しでも関連のある場所全てに行こうとする。

 果ては霊媒師に霊視してもらったり、クヴィト島へ行く途中の海の色を毎日カメラに収めて記録したり(その写真が巻末口絵に使われているが、中を読まないと意味不明)、暴走とも思えるほどの粘着ぶりに、ストーカーにも似た狂気さえ感じた。

 しかし、その執念があったからこそ、今まで誰も注意を払わず、従って一度も文献に出て来なかったストリンドベリのズボン下を見つける事ができたのだろう。

 それは、クヴィト島から回収された遺品で、そのまま博物館に収蔵されていた。博物館収蔵品は決して断捨離してはならないものだ、としみじみ思った。

現場保存が真実を解明する鍵となる

 そして、何と言っても圧巻なのは、筆者がアンドレー探検隊の終焉の地・クヴィト島を訪れた時のことだ。

 著者がアンドレーの遺体の座っていた所に自分でも座ってみる。そこで、無駄だったかも知れない事も含め、著者が執念で掘り出した事どもが次々とつながってくる。

 著者もそこに行くことにたいへん苦労した訳だが、人が上陸するはおろか、近づくことさえ難しい極北のロケーションが、クヴィト島に百年前の状態を保つことを可能にしたわけだ。

 こういう「幸運」はなかなかある訳ではないけれども、もはや歴史上の事件になってしまったような古い事件であっても、その場を訪れてみる、自分目で見る重要さを改めて確信させてくれた。

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