青波

48歳、妻と二人、陽だまりの六畳でほのぼの生きている会社員。20代より書き溜めたエッセ…

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48歳、妻と二人、陽だまりの六畳でほのぼの生きている会社員。20代より書き溜めたエッセイが円熟味を増してきましたので少しずつお味見していただきたく存じます。書家でもあります。よろしくお願いいたします。

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吾書くゆえに吾あり

気づくと書いていた。 階下からは家族の声が聞こえる。 寒い部屋でねんねこを着た私は、左に置いたペーパーナイフの刃先を見つめ、また書き始める。13歳の冬だった。 シャーペンで紙を刻むように書かれた日記は十冊を超えた。 書くことは息をするのと同じくらい、生理的なものだった、私には。 赤いワインの底に沈む澱のようにたまったもの。それを少しずつ、掬い、丁寧に伸ばし、刻むように書きつけた。誰に見せるでもなく、シャープペンシルのとがった先から、吐き出すように文字が現れ、紙に焼きつ

    • 波、というものがある。  誰の人生にも波があって奈落に落ちるようなこともあれば、人生の頂点にいる、と感じるようなときもある。 奈落に落ちた時は将来が見えず、どうしようもなく落ち込む。  体調を崩して2回ほど休職したことがあるが、今までの努力がすべて泡になったような気がして、部屋の天井を絶望的な気持ちでただ眺めていた。しかし振り返ってみると、あの病気があったから今の自分がある、と思えるようになる。それまでの自分と180度違った自分に生まれ変わったような気がする。それま

      • 長い間、桜が好きではなかった。 子供のころ作文を褒められて以来、マスコミ志望だった私にとってそれ以外の人生がある、ということについて考えたこともなかった。 2月から始まった就職活動。その界隈の空気にザラついたものを感じ始めた時から、もう気づいていたのかもしれない。セミナーや面接会場で出会う人種と自分はどこか違う、何かがおかしい。 OBと会ってもそこに自分の未来がみえなかった。 こんなはずではなかった。 麗らかな陽射しの中で桜が咲き始めようとしていた。 私は言葉が出なく

        • 1995年1月17日朝、サークルの仲間と雑魚寝した部屋で、震度4の地震に起こされた。テレビをつけて驚いた。高速道路が倒れていた。 その春、私は自転車をかついで台湾一周の旅に出ていた。ある台北の日本人宿に泊まった時、彼女と出会った。北京語を丁寧に話す彼女は、明るく楽しく、同世代ということもあって、すぐに打ち解け、屋台めぐりのデートに誘う。ある屋台に設けられたカウンターに座って飲みながら話していた時だった。 彼女はぽつりと言った。 「あたしね、逃げてきたんだ」 友達が6人

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          甲辰の歳

           小学生の頃から、冬休みは年賀状に刷るための、版画を彫るのが一大イベントだった。父親にならって彫刻刀を持ち、炬燵で兄とひたすら版画を彫る時間。一番楽しいのは、干支にちなんだデザインを考えている時。  36年前の辰年にどんな版画を彫ったか、あいまいな記憶なのだが、確か、「龍」の字が書かれた凧の絵を彫ったような・・・  干支(えと)は、甲・乙・丙ではじまる十干(じっかん)と子・丑・寅ではじまる十二支(じゅうにし)の組み合わせ。60通りある。一巡するのに60年というわけだ。  

          甲辰の歳

          樹氷

           青森県の八甲田で遭難事件が起こったのは、明治35年1月。日本陸軍第8師団の歩兵第5連隊が雪中行軍の途中で遭難。210名中199名が死亡した。  その、冬の八甲田を5人の仲間と1週間分の食糧を担ぎ、山スキーで縦走した。21歳の時である。  3日目、折しも天候は悪化に向かいこのままだと完全縦走を諦め下山しなければいけない、決断の時だった。  リーダーと悩みに悩んで、「行く」と決めた。  猛吹雪の中、ルート上に打たれた竹竿を頼りに避難小屋を目指す。ひどい時は1メートル先が見

          朝霧

           季節の変わり目になると無理をしてでも帰省し、実家の近くにある神社に参拝する。一昨年、母が急な心臓の病になってから始めたことだがそれ以上に美しい季節の変化、故郷の自然の心地よさに私自身が励まされる気がしている。  まだ日も昇らぬ間から深く立ち込めた朝霧の中、落ち葉を踏み分け山道を登ると小さな祠がある。賽銭をそっと入れ、両親の健康を願う。しばらくすると山からやわらかい風が降りてきて私を包む。深く息を吸い込むと秋の匂いが肺に広がる。 「朝霧、それは私自身のやうにも。」  ( 

          過去生

          遅いシフトの帰り、4番線から1番線に乗り継ごうと重い足取りでエスカレーターに足をかけた。 横を急ぎの乗客たちが次々、追い抜いていく。 と、大きなカバンの端が私の腕に当たった。 刹那、黒縁の厚いメガネをかけ、髪を後ろに束ねた小柄な高校生らしき女の子がこちらを振り向いて、その顔の前で左手を綺麗に揃えて一瞬、私に詫び、くるりとまた前を向き直して颯爽と昇って行った。 彼女は一言も発さなかったが私にはきこえた。 ごめんなすって と。 いや、これはもう「ごめんなすって」、しか

          名月

          秋の月は美しい。 秋の空気は、春や夏に比べて乾燥している。そのため、澄んだ空気が月をくっきりと夜空に映し出す。 月の高さも冬ほど高くはない。見上げればちょうど良い高さに月がある。秋だけ、月が美しいと感じるのはそのような理由がある。 「夜に入り、明月蒼然」 (藤原定家『明月記』) 定家は、平安時代末期から鏡倉時代初期という激動期を生きた歌人である。 日本の代表的な歌道の宗匠として永く仰がれてきた。明月記は定家が19歳から74歳まで書き続けた日記である。その日記の中に、それ

          匂い

          防護服に身を包んだ看護師が案内してくれたのは、窓から大きな橋とその下を流れる海峡が見える個室だった。 それから約一ヶ月。陽性と陰性を繰り返すだけの終わりの見えないpcr検査の日々。 結果をまつ時間だけが、橋の見える風景に毎日、重なった。 ジリジリとした焦燥感と共に。 薬を処方してもらっても、少しも眠れなかった。 朝の決まった時間に近くの犬が吠えた。 朝食のパンを無理やり口に押し込んだ。 週末になると近くのホームセンターが入りきらないくらいの車でいっぱいになった。 義

          野分

           立春(2月4日頃)から数えて 210 日目の日を「二百十日」(にひゃくとおか)という。9月1日がその日にあたる。台風が多い時期として農家にとって二百十日は忌日である。  9月1日といえば稲が開花する時期。せっかくここまで背丈をのばした稲が台風の風で倒れてしまっては、ということでこの時期、風を鎮める「風祭り」が各地で行われる。  最も有名なのが越中富山「おわら風の盆」だろう。毎年9月1日から3日にかけて行われる。越中おわら節の、哀切ある歌と三味線の響きがどこからともなく聞こえ

          まつむし

          遠い記憶にある夜。網戸の向こうから聞こえるのは夏草が秋風に揺れる音。あれはコオロギ、これはウマオイ、今のは、マツムシ。祖父に教えてもらった虫の声を聴き分けていく。両親はバレーボールの練習でいない。 いつまでも一人、夜の和室で虫の声を聴いていた。 秋の虫が鳴きはじめる頃。 〽あれ松虫が鳴いている  ちんちろちんちろ  ちんちろりん 驚いたことに欧米の人は虫の声を雑音ととらえる。このように虫の声に情緒を見出し、さらにそれを チンチロリン といった言葉に表現する、という

          まつむし

          桃が大好きな義父だった。 70の老体で夜中のタクシーを走らせていた。 いつも「桃の天然水」、という清涼飲料水を横に置いて、お腹が空くと、コンビニに立ち寄り、唐揚げと一緒にそれを飲むのがささやかな夜の飯となっていた。 それを聞いてから、毎年、夏になると白桃を贈ることにした。 こちらが恐縮するほど喜んでいただき、娘である私の妻に「おねえちゃぁん、桃、美味しかったよお!おねえちゃんも食べにくるー?」と笑いながら最後は「こうちゃん(私)によろしゅう言うといてなあ、ほんまありがとう

          父のこと

          私の故郷でゴルフ場建設の計画が市によってもたらされたのはバブルの末期の頃だった。 美しい里山を守り、ゴルフ場の農薬被害から田畑を守るための父の闘争がはじまる。 反対者は父一人。各村々の全員が賛成に回り、私たちは村八分にあう。 入会地だったため、父一人が頑張って印鑑を押さなかったことで、ゴルフ場建設は頓挫。裁判闘争で勝利した。 村の仲間に入れてもらえず、いつもいじめられていた私は、父の行動の意味がわかる年齢でもあったので、辛かったけれど我慢した。 秋祭り、恒例の子供相撲大会

          父のこと

          散歩の話

          近くに武庫川がある。 そこに旧、武庫川線の廃線跡があり、毎朝、そこを歩くのが日課である。 廃線跡の始点と終点にそれぞれ2本の木がある。 始点の木は開けた草地に堂々とそびえ、雨上がりには、苔むす幹が朝日に照らされ神々しい。私は、その明るく大きな姿から「陽の木」と名付け、その幹にそっと手を触れ目をつぶる。 空いっぱいに広がる枝葉の隅々まで感じることができたら、そっと手を放す。 しばらく歩き、終点になると暗い木陰の中にひっそりとそびえる黒い木がある。私はその木を「陰の木」と名

          散歩の話

          風の時代

          風 というと宮崎駿監督作品を思い浮かべる。風の谷のナウシカ、魔女の宅急便、ラピュタ、もののけ姫、紅の豚、、、いずれも風が大きな役割を果たし、主人公たちは風に乗って敵と戦い、風の力を借りて人々を救い、慰め、風と共に人々と生きる。 もののけ姫では風が命を奪いまた、命を与える。 長らく土の時代が続いた。国は領土を争い、奪い、拡張を続けた。人は土地に夢を託し、そして泣いた。 宮崎駿作品は、それを予言していたかのように、風の時代を描いた。もう土の時代は終わりだと言わんばかりに。 私

          風の時代