つぶやき物語【闘病1~30】のまとめ(冒頭に中書き③追記)

【闘病31】は、4/22(月)スタート(o^-^)b ※物語の最初fからお読みの方は【中書き③】を、途中から読まれた方はまとめも、ご一読頂けると大変嬉しいです。
【中書き③】
術後の経過は順調で、複数の管も抜かれて身軽になり、私は解放感に包まれていました。
ステージ2~4の判別をする病理検査の結果はまだ出ていないものの、癌の患部は取り除かれて、まずは一安心。
しかし、隣の患者を発端とする新型コロナ問題に事態は一変し、緊張を強いられる状況に陥ります。
そして大晦日の数日前には退院する筈が、穏やかな年末年始の訪れさえ、雲行きが怪しくなって来るのでした。
~・~・~
【前書き】
この物語は2022年12月の手術を挟み、その前後の模様を綴った実話です。
まだ闘病生活は終わっていませんが、今日もこうして命を繋いで頂いています。
そして、つぶやき物語を毎日投稿させて頂く事が、知らぬ間に私の生きる励みとなっていました。
本当に、有り難くも勿体無い限りです。

闘病1【体調の異変】
以前に比べ目眩や立ち眩みが多いと、異変に気付いたのは3年前の夏で、その頃は体重が直近1年で12キロ以上減っていたので、その性かなと思っていた。
それは,、持病による2ヶ月毎の内科受診や毎年春の人間ドックの際にも指摘が無かったからで、私は深刻には捉えずにいた。

闘病2【異変の顕在化】
異変から2年が経過した夏の受診時、主治医が採血結果を見て、血液の濃度がかなり薄くなっている事に気付き、『酷い貧血状態』と診断。
次の診察までの検便を指示されたが、数ヵ月前の人間ドックでも異常が見つからなかった為、私は油断した。
しかし、結果は『潜血有り』。

闘病3【まだ気付かない呑気さ】
主治医は循環器内科が専門だが、貧血症状~検便指示の流れは、私の状況をある程度は予測していた筈。
彼は「一度、大腸カメラの検査をしましょう」 と指示し、私は検査の説明を受けるも、下剤を大量に飲む煩わしさに気を取られ、その危険性をまだ想像出来ずにいた。

闘病4【大腸カメラ初体験】
前夜に続き、朝6時から下剤服用開始で、「仕事なんて出来ませんよ」、看護士の言葉通り、トイレに入り浸り。
「心配なら紙パンツ用意して下さい」の言葉に悩むも購入はせずに何とか病院へ向かい、検査開始。
検査自体は胃カメラに比べても楽だったので、少し拍子抜け。

闘病5【突然の着信】
「検査結果は週末の診察の時に」と言われた検査翌日、仕事中に携帯へ着信が有るもすぐには取れず、改めて確認すると病院から。
嫌な予感の中、掛け直すと出て来た主治医からは、「大腸に癌が出来ています」。
「やはり、そうか」と呟いた後、外科診察の予約を取る手続きへ。

闘病6【外科主治医を初受診】
新たに主治医となった外科医は快活な方で好印象、私の大腸癌について説明を開始。
直径5センチ程の腫瘍は盲腸近くに有り、「大腸の上の方だから大丈夫」とのコメントが頼もしい。
なお、ここまで育つには約5年経過との事で、痛みの自覚が無かったのは幸か不幸か?

闘病7【ステージに関する認識】
気になっていた癌のステージについて尋ねると、「病理検査の結果、腫瘍は悪性と判明したのでステージ1が確定」と話し、後は手術で摘出した患部を検査しないと不明との事。
同じ臓器内での転移有りがステージ2~3、他臓器転移有りでステージ4、私は改めて認識。

闘病8【手術についての説明】
「患部を含め前後10センチを腹腔鏡手術で摘出」と説明し、「開腹しないので入院も10日間で済む」と続けた。
「全身麻酔による腹腔鏡手術なので痛みは無い」と説明されたが、私は別の不安を抱く。
それは麻酔が切れた後の採尿管を抜く際の痛みで、男性特有のもの。

闘病9【不安の火種を消し去る祈り】
診察後、取り急ぎ妻へ診察内容を報告し、入院・手術になる旨を伝えた。
「体の悪い物が見つかり、取り払ってもらえるのは有り難いね」と妻は軽く微笑み、私を励まそうとする。
妻の強さと優しさに、これまで幾度救われたのだろうかと、私の心は締め付けられた。

闘病10【以前には無き悲哀】
妻への連絡後に入院手続きの説明を受けると、コロナの関係で入院中は面会不可との事。
手術日が決定したら前日の朝に来院し、入院手続き前に保証金5万円入金を説明される。
踏み倒し防止なのだろうが以前には無かった制度に、何か世知辛さを感じつつ病院を後にした。

闘病11【友人から心強いエール】
医療関係者の友人に病状を話すと「上行結腸の癌ですね」から詳しい説明の後、「医師に聞き逃しが有れば連絡下さい」と続き、主治医の名を知ると「県内でも有数の名医」と太鼓判。
改めて彼のメールを読み返すと『大丈夫』が何度も現れ、強く励まされた記憶が甦る。

闘病12【色々有った一年だけど】
思えば昨年の大晦日は退院翌日で、何とか家に戻れてホッとした事が思い出される。
その反面、手術後の主治医診察を年明けに控え、穏やかな心境での年越しでは無かった記憶も脳裏を過る。
ともあれ今日、この様に振り返り出来るのは、有難い一年だったと感じます。

闘病13【会社の手厚い対応】
上司へ診察結果と腹腔鏡手術で10日間の入院予定を報告すると、「休職しても1ヶ月は給料が出るから、安心して養生して下さい」との優しい言葉。
入院中は経過連絡をし易い様にとスマホが貸与される等、障害者枠で採用してくれたこの会社、本当に有り難い限りです。

闘病14【入院の前に立ちはだかる障壁】
パジャマ等の買い物をしなながら入院への準備を進めていると、病院から入院日を伝える電話が入る。
入院前日にPCR検査を受け、陽性反応が出ると入院延期との事。
後1週間、新型コロナに感染出来ない状況に追い込まれ、私は手術以外の緊張も強いられた。

闘病15【元同僚から感謝溢るる体験談】
彼女へ私の状況を伝えると、ご主人が直腸願を患い、長時間の手術やリンパ節転移が有るも、2年経過して再発が無いと教えてくれた。
彼女自身も大手術を経験しているが、メールに綴られた言葉は医師と看護師への感謝ばかり。
お陰で私の恐怖心は姿を消した。

闘病16【妻から看護師への引き渡し】
PCR検査で陰性が確認された事て入院が決定し、当日は妻が付き添い。
手術の際に必要だと、持参を指示された大人用紙パンツを、病院売店で人生初購入。
その後、『熱き別れの抱擁』をしてくれる筈も無く、見送る妻に別れを告げ、看護師に連れられて行く私。

闘病17【入院医療費の支払い限度】
手術入院となれば医療費が高額になるが、『限度額適用認定』や『高額療養費』制度の利用で、月額は上限までで足りる。
ただ1ヶ月の医療費は1日~末日で区切られる事が注意点で、月初入院~月末退院が理想的。
なので師走に入院した私は年内中の退院を願った。

闘病18【入院前に給付金の書類手配】
手術入院の場合、医療保険に加入していると生保会社に給付金の請求が出来る。
入手~病院へ依頼・受領~申請の流れとなるが、病院は書類の発行を即日にはせず、郵送も認めない為、退院時に依頼するのが効率的。
だから私は事前入手し、鞄の中に忍ばせていた。

闘病19【高まる閉塞感】 
案内されたのは4人部屋で、カーテンでベッドは仕切られ、新入りの私は同部屋の方へ挨拶出来ず。
新型コロナ全盛で、マスク着用必須の時期なので仕方無いと、私は黙々と着替える。
看護師に夕食から絶食と言われ落胆する中、後で手術前説明が有ると更に追い討ちの一撃。

闘病20【怖くて訊けず】
看護師に呼ばれ、別室で翌日執刀する医師から手術の説明を受けた。
腹腔鏡手術はおへそと周囲4箇所に穴を開けて行う事を、ここで初めて知る。
「患部を含む前後20センチと一緒に盲腸も取ります」と告げられ、「おへそから引っ張り出すの?」と驚いたが、平静を装う私。

【中書き①】
大腸癌が発見され、妻や友人、そして会社への報告と、入院・手術までが慌ただしく進みました。
手術入院は数多く経験していますので慣れてはいますが、当然ながら楽しいものでは有りません。
まして今回の結果によっては、余命が決まるかもしれない状態なので、なおさらでした。
さて、いよいよ入院が出来て、翌日には手術となりますが、大変なのはこれからなんですね。

闘病21【痛みよりも羞恥心】
病院の朝は早いと言うけれど、私は普段から朝は5時には起きる為、看護師の到着を待ち構えていた。
体温や血圧等の測定を順にこなし、問題無しとの結果から、予定通りに手術が決定。
そして私の嫌いな採尿管の装着へと進むが、いつもながら恥ずかしくて泣きたくなる。

闘病22【刺され繋がれ】
昨日から絶食ではあったが、夜は栄養補助ドリンクを与えられ、私は空腹を感じずに居た。
「手術なんて慣れっこ」と嘯いてはいたものの、振り返れば手術への緊張感も相まっていたのだろう。
やがて点滴針が突き立てられ、筋肉注射の追撃に、まるで針山の如き哀れ我が身。

闘病23【暫しの別れ】
手術の時間となり、ベッドのまま病室を出て手術室へ移動する途中、詰所にその姿を見付けた。
心配そうな表情の妻は、手術に向かう私の姿を何度も見送って来たが、今回は癌なのだ。
流石に愛の言葉は囁けないが、少し言葉を交わした後、私は人生の岐路へと歩を進めて行った。

闘病24【一生上げられぬ】
手術か始まると間もなく麻酔が効き始め、いつの間にか眠りの中へと誘われて行く。
意識が戻った時は手術室を出ていて、詰所の前まで戻って来ると、ずっと待っていたのだろう、妻の姿を認めた。
私は感謝の言葉を声に出す力も無く、心の中で頭を垂れるしか術が無かった。

闘病25【何と無体な仕打ち】
後から聞いたのだが、私が病室に戻った頃、妻は執刀医に呼ばれていたらしい。
切除した私の大腸の一部を見せられて、気持ち悪かったと悲し気な表情を見せた。
30年連れ添ったとは言え、私の臓物にまで思いを寄せる優しさを、求めるなんて逆立ちしても出来る訳無い。

【中書き②】
私は結婚後に、目の手術5回、心臓の手術3回の他、レーザー手術や尿管結石の破砕手術を入れると枚挙に暇が有りません。
そのいずれも私は自身の事で精一杯、妻の心配や悲しみを慮る気遣いの無い酷い夫でした。
その為にある事を契機に、『自分の事は後回し(お先にどうぞ)』の生き方を基本に、私は改まりの稽古に励む様になるのです。
そうして迎えた今回の手術、妻の痛みや苦しみを想像すると、私は辛いとさえ言う資格が無いと気付くのでした。

闘病26【迫り来る恐怖】
病室へは戻ったけれど、麻酔は切れたものの、点滴や採尿管は繋がれたままで、お腹からは何か管が出ている。
勿論、食事なぞ有る筈も無く、口に出来たのは眠れる様にと睡眠薬のみ。
実はこの夜、一番不安に感じていたのは、癌のステージの結果では無く、あの抜く時の痛み。

闘病27【天使の来訪】
朝になると、「本日、担当させて頂く○○です」と、若い看護師さんが病室に現れた。
彼女は体温や血圧等を計る為、管だらけの私の体を手際良く、丁寧に扱ってくれる。
「自分の娘だったら、こんなに優しくないだろうな」と感じつつ、『可愛い患者』になりたいと強く願った。

闘病28【待ち侘びた福音】
術後3日目、遂に例の管が抜かれる瞬間が訪れ、私は激痛の余り声を漏らした。
続けてお腹に差し込まれていた管が抜かれ身軽になるも、やはりその正体は訊けず仕舞い。
それでも縫合された大腸が開通した様で、その報せは普段とは違う希望の祝砲として、密やかに鳴った。

闘病29【ぼっちを支えし絆】
管からの解放で堪え切れず、談話室から電話したのは、私の世代は声が聞きたい話したい。
この2時間に及ぶ相手を務めてくれたのは、困っている人の為に最近、サービス介助士の資格を取った友人の獣医さん。
彼は移動時のみならず、冷え切った私の心をも温めてくれた。

闘病30【不穏な空気の充満】
退院予定まで残り数日となった夜、隣の方がベッドごと、慌ただしく部屋を連れ出される。
その後、「部屋からは出ないで下さい」と現れた看護師さんは防護服姿。
隣の方が新型コロナ発症との事態発生に、部屋は完全に封鎖され、私たちは要注意人物に仕立て上げられた。

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