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家族のジレンマ

現状から逃げ出したくなって脱げることができたとしても 結局は何も変わらない。そうだよね、そこ自分と向き合わあいと同じような状況がやってくる。来る、きっと来る~♪って貞子じゃないけどやってくる。

エヴァンゲリオンのシンジみたいに
「逃げちゃだめだ、逃げちゃだめだ、逃げちゃだめだ」なんて言って なかなか突き進めるものじゃない。向き合う気合いがないから逃げるわけよ。
わかっちゃいるけど仕方がない。

人は皆それぞれだから 他人なら気ががあわなかったりイヤだなと思えば 距離をとるとか付き合わないとかできるけど 家族の場合よほどのことがないとそうはいかない。分かり合えれば頼もしい味方や仲間になるけど 分かり合えなかったり確執があるとそうもいかない。

ドラクエのパーティーみたいに お気に入りだけで馬車に乗ることは まず不可能に近い。スキルや呪文を習得したところで 分かり合えるとは限らない。結果しんどくなったら唱える呪文は ルーラかリレミトで戦線離脱することになる。

RPGに例えるとわかりやすいけど 戦線離脱したところで 結局はそのステージをクリアしないと次のステージには行けない。まあ 戦線離脱してその先に進むのをやめるという選択肢もある。だけどこれじゃあ面白くも何ともない。

特に家族の場合は 小さい頃からの環境の中で 知らず知らず無意識レベルに 不安要素や処理しきれない感情が溜まっていく。それは いいことも悪いことも含めてだ。親が子供のために良かれと思ってやっていることが 必ずしも子供にとっていいこととは限らない。

子供は生まれてから誰かのお世話がないと生きていけない。動物の子供は生まれてすぐに立ち上がり 自らお母さんのおっぱいを探してミルクを飲む。人の子供だけがお世話が必要で お腹がすけば泣いて誰かに訴える。泣けばミルクをもらえてお腹一杯になり安心して眠ることができる。

子どもにとってはこの安心感がとても大事で この安心感が得られないと不安になる。一人では生きていけないから 不安になれば生存本能から無意識に安心を得ようとする。そのために親の気を引いたり機嫌をとったりして安心感を得ることに必死になる。

それがもともと持っている性格と相まって人格が形成されていく。それらの影響によって個人の主観も違ってくる。どれがいいとか悪いとか 何がいいとか悪いとかではなく ただそうなるだけだ。

いい悪いというジャッジの仕方はわかりやすいかもしれないが それはその物事を見る側の個人の主観にすぎない。ある人にとってはいいことでも 他のある人にとっては悪いことかもしれないからだ。

外から見ればあんなにいい家族がなんで?なんて話をよく聞くくらいだから 複雑さを抱えている家族は結構いるのかもしれない。近しいからこそかえって見えない部分もあるだろうし そこに甘えも加われば知らず知らずのうちに複雑になって何か上手くいかないなんてことにもなるんだろう。これも家族の持つジレンマなのかもしれない。


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