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91歳のおじいさんとの出会い。

岩手県は一関市東山町。
ここには、ラーメン屋がない。

そんな町にも、3軒の居酒屋があった。

旅先では、夜はローカルな酒場のカウンターに座る、をモットーにしているので、かなり入りづらかったが、勇気を出して一軒に足を踏み入れてみることにした。

「営業中」の看板を確かめて勇気を出して扉を開ける。こんばんは!と言うと、奥からお母さんが出てきた。店内には誰もいない。私はカウンターに腰を下ろし、地酒があるかと尋ねた。旅先では、その地のお酒を飲むのがお決まり。おすすめの岩手の日本酒をオーダーした。とってもおいしい。お米がおいしいところだけある。

お腹を空かせていることを伝えると、すぐに3つお通しが出てきた。もやしナムル、なめこおろしにふき味噌。なんてことないラインナップのようだが、味は感動する美味しさ。すぐに食べ切っておかわりしたいことを告げると、2皿目を出してくれた。レシピもちゃっかり聞く。豆もやしは最初に茹でてあとは麺つゆとしょうゆとみりんだけ。単純なレシピだけど、いくらでもいける味。

銘酒と絶品おつまみに舌鼓を打っていると、常連さんがひとり、ふらりと入ってきた。一席空けて隣に座ったおじいさん。「野球を見にきたんだよ」とリモコンを牛耳るも、その日は野球の試合は放映されていないよう。

仕方なくお酒に目を向けるおじいさんのことを指差し、お店のお母さんは私にきいた。

「この人、何歳とおもう?」

おそらく、かなりご年配。でも、一杯目から焼酎をロックでいっている。それから、お洒落なシャツにスーツ、ハット姿で、背筋はしゃんと伸び、ハキハキと話している。

「80はいってますかね?」失礼のないように...私が答えると、おじいさんは「自称91だよ」と言った。

もう数えきれなくなったのか?わざわざ自称と付けているワケはわからないが、そのおじいさんは野球を観るという用事がなくなり、急に快活に話始めた。おじいさんの昔話。

中学を出てすぐに働き始めたこと。いわきの炭鉱で過酷な環境で働いていたこと。粉塵が入って衛生的に良くないからふんどしはNGだったこと。戦後、18歳以下は就労禁止になったこと。いろいろなことが禁止になったこと。

そんなおじいさんが、「人生面白いこといっぱい」というから、何が一番面白いですか?とすかさずきいた。すると、返ってきたのは、「んー苦労したことかな」という言葉だった。その真意はわからないが、私の3倍以上の人生を歩んできたおじいさんの言葉だということはたしか。深い言葉だった。

高校や大学に行かずに必死に働き続け、社長にまでなったその人は、相当な努力と忍耐を貫いてきたに違いない。震災があって、異常気象があって、予期せぬことが起こる世の中で、おじいさんは、「いろんなことがあっていのちが繋がれている」とも言った。いろんなことや、いろんな人の命があって今がある。今を生きているのだった。

同じ東山町という地で、石灰石の採掘に携わってきた宮沢賢治は、『グスコーブドリの伝記』という物語をかいた。そこに描かれているのは、冷害の影響で作物が育たなくなった時に、たった一人、自分を犠牲にして飢饉から人々を救った少年の姿だった。そんな彼の命は、「ほかの人にも受け継がれている」と記されていた。

いろんなものがつながり合う。それは、今この瞬間に一緒に存在していないいのちといのちもそうなんだろう。つながれてきた、バトンを渡されたわたしたちは、どう生きるのかー。

それはきっと、私たち皆が考えないといけないことなんだとおもった。

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