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母親の記憶がなくとも【越前竹人形・雁の寺】

『雁の寺』の慈念、『越前竹人形』の氏家喜助ともに母親の記憶がありません。

今年の1月に読んだ『土喰う日々』を読みました。

メロディアスライブラリーで、著者の他の本が取り上げられていないか調べたら出てきました。

そしたら『越前竹人形』が出てきました。
ずっと気になりつつも読む機会がなく、今更ながら読みました。

同時に収録されてい『雁の寺』も読んでみました。

『雁の寺』の慈念は、生まれてすぐ別の人にもらわれました。
『越前竹人形』に出てくる喜助は、3歳の頃に母親を亡くしています。
2人とも母親の記憶がありません。
何か似たような感覚を2人から感じました。

メロディアスライブラリー2013.9.8放送。


・雁の寺

「え、そうなったの!?」と驚きました。

住職の名前は慈海。
慈念はそのお寺に小坊主としていました。

慈念の母親は乞食女で、食べ物を求めて寺に来ました。父親は不明。
出産後は別の人にもらわれ、そこで育てられました。その後お寺へ。

もらわれていた家でも、寺でも、通ってた学校でも居場所のなさを感じました。

ある日、慈海がいなくなりました。
檀家からのお葬式の依頼があったものの、慈海が戻らないため、慈念が取り仕切っていました。
彼に対して、成長を感じました。

慈海がいなくなった後、慈念が「慈海を探しに行きます」と言い残して去り、同居してた里子も実家に帰りました。
結果的に、このお寺からみんないなくなってしまいました。

ネタバレになるので詳しくは言いませんが、慈海の行方については種明かしされてました。
それを見て「え!?」と戸惑いました。

『雁の寺』と鳥の名前が入ってるのはなぜかと疑問でした。
慈海の檀家である岸本南獄が鳥獣の画を描いてました。ふすまの絵に雁の親子が描かれていました。

「タイトルの由来はこれ?」と納得しました。

・越前竹人形

こちらは越前(福井県)武生市の小さな村のお話です。竹の名所で竹細工の村でもあります。

大正の始め、氏家喜左衛門が竹細工を始めました。
息子の喜助もそのうちやるようになりました。
村では次第に竹細工始める人が増えました。

父の死後、玉枝という女性が訪ねてきました。
この女性が喜助の支えになります。

最後は玉枝は病に倒れました。
彼女の死後、喜助は竹人形を作らなくなりました。

・感想

『雁の寺』の慈念は、居場所がないだけでなく、何かが欠けているような感じがしました。
母親の記憶がないのもありますが、自分を認めてくれる存在がいない印象です。
寺で一緒に住んでた里子が気にかけていたくらいです。

『越前竹人形』は、喜助と玉枝はお互い想い合っています。
しかし、自分を妻と見てほしいと思う玉枝と、母親のように慕う喜助のすれ違った様子を感じました。

玉枝が死んでから喜助が竹人形を作らなくなったのを見て、どれだけ心の支えにしていたかと伝わりました。

慈念と喜助の違いは、母親のような存在がいるかどうかです。
記憶にないくらい幼いときに亡くなっても、どこかで母親を感じるものかと考えさせられました。

余談ですが、越前竹人形をこのタイトルから初めて知りました。

以上、ちえでした。
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