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未来の仕事はAIに奪われるのか

どうか、どんな職業が残っていくのかなどの話題で、昨日友達とおしゃべりしていました。そしてお気に入りのVtuber「ぽんぽこちゃんねる」に『AIが自動で生み出す存在しないアニメキャラで大喜利が楽しすぎたwww』という動画がアップされていたのを見た時……

 どうも、ストゼロを愛する私です。

 発端は安宅和人さん著「シン・ニホン AI×データ時代における日本の再生と人材育成」という本がすごい、読むべきという話からでした。内容は要約すれば、日本の現状はどうなのか、企業はどうあるべきか、これからどう生き残ればいいか、どんな教育にシフトしていけばいいか、AI時代の人材育成とは、ということなどで、読んでみるとなるほどとうなずけるものばかりです。そしてちまたでは、将来AIに奪われる仕事10選や100選などが選ばれ、雇用が失われる、いやイノベーションのチャンスだなどという意見が飛び交っています。
 でも、正直なところを言うと、まだ私は半信半疑というか、どこか対岸の火事のような気持ちでいました。身近に実感できなかったからです。

 あの動画を見るまでは。

this anime does not exist

 というサイトで公開されている、AIが自動生成したアニメ絵なんですけれども、一見かわいらしい萌え絵や、かっこいい系の絵が描画されています。しかしよく見てみると不自然なところがあり、それがまたなんとも形容しづらいんです。じっと見ていると叫びだしたくなる、わけもなく不安になる、そんな感じの絵が生成されるんですね。そう……不安、嫌悪、恐怖といった感情がないまぜになったものと言えば近いでしょうか。まるで人工知能が、アニメ絵という人間に親しみのあるものを真似して、人間のふりをして握手を求めてきているような、でもこっちはそれが理解の外にある何かだと確信している、そんな感覚です。
 これは私には、私のような生まれてから今にいたるまでオタクと呼ばれるていどにはアニメ漬けの人間には衝撃でした。(これに人間の仕事を代替させていいの?ほんとうに?)という漠然としたマイナスイメージが頭の中を支配していました。ですがこうも思いました。漠然と、だと。

 今まで対岸の火事状態だった私には、AIに何ができて(強くて)なにができない(弱い)のか、うすらぼんやりとしかわかりません。いつか人工知能が人間を上回り、世界征服して人類を滅ぼすのかも、なんてディストピアSFみたいな想像をするのがせいぜいでした。
 そう、知らないから不安なのです。未知のものに対する恐怖、自分と違うものに対する嫌悪は、人類が共通して持つ防衛本能なのでしょう、故に人工知能/AIという得体のしれないものの進出にそこはかとない戦慄をおぼえるのではないでしょうか。こうなれば調べて調べて、知識で武装するしかありません!

・AIにできること(強いこと)

AIにできることは、大別すると5つに分かれるようです。 
1.文章理解
2.音声認識 
3.画像認識 
4.機械制御 
5.推論

 1の文章理解は、翻訳ソフトに使われているものを想像するとわかりやすいかもです。膨大な量のデータから、最適解を導き出します。むずかしい文や、あまり使わない表現などを入力すると珍妙な答えが返ってくるのもそのためですね。

 2の音声認識はスマート家電やスマホにしゃべりかけるあれを思い起こしてもらえれば想像がつくと思います。音声を単なる「音」とせず、意味のある「言葉」として認識し、それにもとづく動作を起こします。

 3の画像認識は顔認証システムで使われているのが最も身近でしょうか。そのほか近年では、巨匠の失われた名画を画像認識の応用で本来のあるべき(と思われる)姿に復元したりもしています。

 4の機械制御は主に工場のロボット、車の自動運転、航空機のオートパイロットなどに使われている技術です。この分野ではすでにAIが人間にとって変わりつつあると言えるでしょうね。

 5の推論で最も有名なのはチェスや囲碁、将棋といった分野においてではないでしょうか。先々のあらゆる可能性を視野に入れて演算するその速度は人間のそれをはるかにしのぎます。

・AIにできないこと(弱いこと)

 1.人の気持ちをくむこと、空気を読むこと
 2.クリエイティヴなこと

1については、これはどこまで行ってもAIには「そのようにふるまう」ことしかできないと思われます。なぜなら、これらの思考や行動は相手への共感が必須になるからです。発達障害の中には相手の気持ちがわからない、空気が読めない、といった特性を持つものもありますが、それはまたいつかふれることにしましょう。

2はよく言われることだと思いますけれど、私はすこし懐疑的です。今はまだ苦手なだけで、そのうち伸びてくるかもしれないからです。特定の画家のタッチや癖をデータとして読み込ませたAIならある程度はオリジナルに近づけるように、クリエイティヴな行為は限定的ながらそこそこの成果を上げるのではないでしょうか。

 では、自動生成されたアニメ絵から受けた衝撃はなんだったのか。何がマイナスイメージの根源なのか。
 自然界の中に黄金比が当たり前に組み込まれているように、私たちを取り巻く環境には、あらゆるところで「当たり前の」法則や構造、ルールなどがあります。環境は当たり前のことで成り立っている、と言い換えてもいいでしょう。その「当たり前=基準」が形作るのが人間らしさですね。だから犯罪やハラスメントなどを目のあたりにした時……当たり前の基準が通用しなくなった時、人間は危険を感じ取ります。ではAIの提示する当たり前とは? AI由来の人間らしさとは?
 それは、人間のつくったものと見比べていろんな意味での足し算や引き算をしなければ見えてこないのかもしれませんね。AIが「人間はこのようなものを作る、このようなものを好む」としている思考と、私たちが実際に好きだと考えているものの間にある差異は、これだ!と明言できるようになれば、それがすなわち人間性であると思います。その人間性が、機械に奪われない仕事の中心をなすものではないでしょうか。それは自然と教育にも、経済活動にも、ひいては国のあり方にも影響を及ぼしてゆきます。
 

 友達との話の最後に、私はこんなことを言いました。『AIがデザインした遺伝子をもった、コーディネイテッドベビーが生まれる未来もありえるかもね』と。果たしてその赤ちゃんは、どういう存在になるのでしょう。
 限りなく人間に近いAIを前にしたとき、人間の人間たる理由を、みずから問う時代が来るのかもしれませんね。


 しかしあの絵で大喜利できるとか……
 やっぱピーナッツくんやばいな!

 

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