國分功一郎「傷と運命」よりサリエンシーについての要約
サリエンシーという概念がある。精神医学において、「新しく強い刺激、すなわち、興奮状態をもたらす、未だ慣れていない刺激」のことを指す。
人間は生きている限り、無意識のうちにあらゆることに予測を立てる。それは、サリエンシーに慣れ、自分の身を守るためのものである。サリエントな現象を繰り返し体験することで、その現象の反復構造を見出し、予測モデルを形成する。そうすることで、サリエンシーだらけの世界を生き抜く。
しかし、予測モデルの通りにことが運ぶことは絶対にない。高い精度で再現性のある予測もあれば、大きく裏切られる予測もある。この「予測誤差」を國分は「トラウマ」「傷」と例える。あらゆる経験がサリエントであり、トラウマ的で、その記憶は「傷跡」である。
生命は生き抜くために痛みを和らげようとする(=再現性の高い予測モデルを立てて予測誤差を縮めようとつとめ、サリエンシーに慣れようとする)。このメカニズムによって、私たちは無数の傷を自覚しないで穏やかに生きることができる。逆に予測を大幅に裏切るようなサリエンシーに出会うと、自動的に傷を修復できず(トラウマ)、PTSDやフラッシュバックのような症状に苛まれてしまうというわけだ。
ここで國分は、「疼痛研究」に着目する。痛みには、いわゆる私たちが痛みと呼ぶ、原因が明確な「急性疼痛」と、原因もなくおさまらない「慢性疼痛」がある。慢性疼痛のメカニズムは未だすべて解明されていないが、最近の研究では、その慢性疼痛は記憶と関係しているということが分かりつつある。つまり、慢性疼痛とは、痛みの原因が治癒したあとも、その痛みの記憶が残ってしまう状態だと考えられるのだ。國分はこれについて「記憶もまた痛みの原因たりうることを意味している」と述べている。
ここで興味深いのが、アプリカンによる実験である。慢性疼痛を感じている患者は、急性疼痛による刺激を与えると「快」と感じるというのだ。これはけっこう多くの人も想像できることだろう。ある痛みに対して、別の痛みを与えることで、もとの痛みを紛らわすというようなことが、慢性疼痛の研究の中でも明らかになってきているのだ。
さらに、脳のネットワークが、痛みの慢性化においてある反応を起こしていることも判明している。3つのネットワークとは、①デフォルト・モード・ネットワーク(安静時に作動し、自己や過去の参照を司どる)、②前頭頭頂コントロール・ネットワーク(予測誤差に対する調整を行う)、③サリエンス・ネットワーク(大きな予測誤差に出会ったときに作動する)である。痛みが慢性化している場合、次のような事態がこれらネットワークに起こっているという。③の異常、①と③が連動することによる反省作用の激化、②と③の結合が低下することによる自動的に物事を処理することの困難、である。
これらの考察と、本稿である「暇と退屈の倫理学」を踏まえて、國分功一郎は以下のような仮説を立てた。
人は退屈に耐えられないがゆえに、よろこんで苦境に身を置くことがある。なぜかというと、この苦境が、記憶という傷跡の参照に歯止めをかける可能性があるからだ。人は退屈になると、記憶の蓋が開いて、痛みがフラッシュバックしてしまう。それをサリエンシーで説明すると、サリエンシーが少ない状態に身を置いた場合、覚醒の度合いが低下して①デフォルト・モード・ネットワークが起動し、記憶の参照が始まる。つまり、「心の中に沈澱していた痛む記憶がサリエンシーとして内側から人を苦しめることになる」(國分)。人間には、サリエンシーを避けたいという欲求と、サリエンシーがなければ退屈してしまうが故にサリエンシーを求めに行ってしまう矛盾した機能が備わっているのである。
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