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はじめまして。(1回で無理だぁ)

何を書こうか迷ったのですが、結局、最初は僕がだれなのか?を簡単にお話ししたいなと思いました。いろいろ書いていきたいことは、このはじめましてシリーズ(少なくとも数回に及びそう)の後で書くので、このシリーズはパスしてください。

その前に、そもそもなぜnoteを書いてみようかと思ったかというと、僕はいわゆるマーケティングをやっています。普段様々な情報を発信したり、ブランドを考えたり、クリエイティブのディレクションをしたり、広告設計をしたり、他にも、もう、「うぉ!っ」てなるあんなことこんなことをしているわけですが、「圧倒的に言葉にチカラが足りない」という事を感じていたことと、LINEやTwitterとかいわゆる「デジタルコミュニケーション」が全盛の今、以前(といっても昔)のように、会ったり電話で話す「リアルコミュニケーション」よりも、書いて伝えるチカラの必要性が(すれ違い、ミスコミュニケーションおおい)高く、仕事だけじゃなく大切だとリアルに思うようになったから。コミュニケーションスキルは、マーケティングをやる人にとって、またそれ以外の方にも、絶対あって損しないチカラだと思っているし、これは高めていけると思っています。

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じゃあ、ちょっと照れ臭いけど、僕の話を少ししましょう。感情が高ぶっているときは、「」という時もたまにありますが、「」というのもなんかかしこまっている気がするし、基本僕は「」という表現が好きです。

記憶を遡っていくと、今の人格が形成され始めた最初のルーツは、高校時代の部活にあるように思います。どこにでもある、頑張ったら青春な中学の「野球部」を卒業し、市立高校に進学。当然「野球」をやろうと思っていた。そこで事件が起きます。

ハンドボール部」しかも「全国高校総体出場経験5回あり」。なんだ?全国大会出場経験あり?何の疑いももたず、その後を考えることもなく、「全国大会」という言葉に惹かれ入部しました。今思うと当時の僕は既に「強くなりたい」とか「目立ちたい」とか、「(女子に)モテたい」とか10代半ばの思春期真っただ中の男子に宿るわけのわからない(けど、なんか甘酸っぱい)、もやもやした気持ちを抱えていたように思います。

既に、ハンドボールってなんだ?という方もいるかもしれないけど💦こんなです👇

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1年生から3年生まで部員は30人ぐらいだったと思います。3年と2年で13人。最初、疑問はなかったのですが、その後すぐに洗礼を浴びます。とにかく練習半端ない。休みない。水飲めない。ぼろ雑巾のように扱われる。一緒に入ったやつらやめていくなどなど、俺は「なんやねんこれ!」と思う反面、先輩のプレーは美しく、強く、かっこよかった。3か月たたないうちにハンドボールに魅了されました。それを指揮していたのが、大同特殊鋼業でオリンピックを経験され教員に転職された、工藤昭彦監督です。今でも尊敬しています(工藤ちゃん元気?)。

始めて数か月したとき、「谷、お前補欠で入れ」と言われ、ベンチ入りすることに。上級生の人数足りなかったから数合わせだったんですが、先輩と一緒に立つ兵庫県予選のコート。もう完全にそこで一回目の勘違いしてましたね。「俺、最高」みたいな。15歳のド素人の青年(少年?)が、全国大会出場経験ありのチームメンバーとしてコートに立つってすごいことですよ。試合に出ることは一回もなかったけど、しかも遠征費の問題でその後勝ち取った「全国総体」へは行けなかったけど舞い上がりながら、なんかすごいことをしている(と感じた)自分がなんかカッコよかった。

当たり前のように練習をこなし、当たり前のように準備して、当たり前のように勝っていくチームの中にいて「しんどい」とかそういう気持ちよりも、「次へ、次へ」。監督の教えである「勝たなくても、負けないチーム」=「結局、勝ち続けるチーム」を短期間だけど、目の当たりにしたわけです。青春?恋愛?はぁ?という、超硬派な僕の自覚をもった人生が始まった時期だったのかな。

ここまで書いて、もうしんどいので、1回目はこれでおしまいにしたいと思います。僕が誰なのか?の一番最初のルーツのさわりだけ書きました。続きはまた今度。読んでいただいてありがとうございました。

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