熱を出して孤独とみじめさを思い知る。
LRです、こんにちは~!
数日前からなんですが
熱が出てます。
症状としては
・微熱(37度5分ぐらいまで)
・ノドの痛み
・頭痛
・吐き気
・寒気
って感じで、咳がないからコロナではないと思うんですけど、耳の下のリンパがちょっと腫れてるので雑菌か何か入ったのかもしれません。
一応今はお薬で症状が和らいでいる状態で、パソコン前に座る体力もあるので、note書いてみることにしました。
それで、熱が出てだるい中、めちゃくちゃ感じてしまったんですが、
孤独でみじめな気持ちがすごい
です。
Youtubeでもその辺りを少し話したんですが、
一人暮らしだと家事も療養も全部自分でやらなきゃいけないし、友達も少ないから「熱が辛い」って相談する相手もごくわずかだし、無職なので仕事関係で心配されることもないし。
そんな中で体力が弱ってしまうと、しみじみと「自分って孤独なんだなあ」「なんでこんな風になっちゃったのかなあ」ってダメージを受けます。
(ちょっとですが泣いちゃいました……)
今までお仕事とか音楽などの活動とか、いろんなことを自分なりに頑張ってきて、でも生きる中でたくさんの間違いを犯したりもして。
「その行く末が今の孤独かあ」
って思うと、なんとも言えない気持ちになるというか。
「あの時、あの人はすごく愛情をくれてたんだなあ」とか「あの時にああしてたら人生どうなってたかなあ」とか、そんなことばかり考えてしまいます。
(考えても仕方のないことなんですけどね)
なんか老後に考えるようなことを考えてるような気もしますが、現在地は現在地で、受け入れてあげなきゃいけないのかもしれません。
今はとにかく体を治すことに専念して、先のことはあまり考えないようにしてますが、
一度99%のものを捨ててシンプルになりたい
ってのも思いました。
『99%の物を捨ててミニマリストになる』って話では無くて、
・人生の途中途中で目指してきたもの
・今まで手にした知識
・様々な興味関心
こういったものの大半を捨てて、本当に子どもの時から好きだったものだけを残したいというイメージです。
純粋な自分自身に戻りたいみたいな感じかも。
たぶんですが、
元気な自分って武装している
んですよね。
いろんなスキル知識経験とか、人付き合いとか、社会常識に合わせた鎧をいっぱい着込んでて、生きるのが長くなればなるほどその鎧が分厚くなっていって。
でも熱を出したりして体が弱まると、その鎧が重くなっちゃうから脱ぎ捨てて、一人の人間、生き物として病気と闘うことになります。
その時に自分自身を見つめると、そこにいるのは鎧を脱いだ純粋に近い自分だから、孤独のダメージもそのまま受けるし、逆に本当に欲するものも見えやすくなるのかなと思います。
それで今僕は(大病でないにせよ)鎧を脱ぎ去っているので、元気になっても鎧を着ないまま、素の自分で生きていきたいと感じているのかもしれません。
純粋な自分へのあこがれ
と言っても良いのかも。
なんとなく『何を捨てるべきか』は見えているんですが、今弱っているうちにはっきりと見極めて、元気になった後の生き方に活かしていけたらと思っています。
最後までお読みいただきありがとうございます。
LRでした、みんなまたね~!
いつも応援ありがとうございます!