『宝石の国』の物語展開の問題から見える部分的な重要構造

『宝石の国』を読んでみたが、SFマンガであり世界観が雄大で面白かった。人類滅とその後始末だけでなく、終盤にはその先の新生命体の世界が描写されており実によかった。登場人物の見分けをつけずに読んでも問題無いのも楽でいい。もっと言えば、この作品は主人公が異世界転生する過程を壮大かつ詳細に初めから最終話直前までかけて延々描き続けた作品とも言える。
しかし、そんな作品でも探せば粗はある。今回はそれらを取り上げ、その背後にある構造に思いを馳せたい。一見絶望的にみえるこの作中世界も、粗という隙に付け込めばより幸福な世界になるだろう。

まず、賢者が一人救済されていないという粗だ。
この作品は基本的には人類の残滓である後代人類(作中の「三族」)を救済する作品なのだが、それは幸福な暮らしを長期的に体験させることによって行われる。ほとんどの後代人類は天上(月)の高度な文明で一万年幸福に過ごすことによって生に飽きて死を受け入れる。作中の敵陣営(月人)は既に生に飽きているが死のうとしても死ねなくなっているので早急に主人公達を巻き込んで死のうとしていたが、そのための高度な機械に故障と言う形で主人公たちの巻き込みを拒否されて不可能になっている。よって、本質的には救済は長期の幸福経験によって行われると言っていい。
主人公だけはこのほとんどの後代人類のための生贄として一万年の幸福から排除され孤独地獄に落とされたが、その後は人類の悪業が無い楽園で新生命体と至福を満喫しているので主人公も長期幸福の救済を受けている。だから一見すると問題無いように思える。
しかしながら、主人公の知的能力を高めるための材料にされた賢者(作中のラピスラズリ)が一人犠牲になっている。頭を奪われた主人公の仮死体を復活させるために賢者の頭を移植するという直截な方法で犠牲になったこの賢者は、そのせいで天上の文明技術でも復活できず一万年の幸福を体験できなかった。この賢者がこの後どうなったかは作中で描写されていないが、作中の機構から考えると仮死状態からそのまま他の後代人類と同時に死んだと考えるのが妥当である。つまり、ラピスラズリは復活できずにそのまま祈りに巻き込まれて死んだのだ。ラピスラズリがかわいそうだ。とはいえ宝石達は月で性格が利己的に豹変しておりこれに失望してしまった読者が多いおかげで、仮死状態のまま豹変しなかったラピスラズリの評価が高くなっているので悪いとは言い切れないのだが。
この賢者は、人類を完全に救済するというこの物語の主題から考えれば救済するべきだった。作中世界に没入して考えても、後代人類を殺す高度な機械は全ての後代人類を殺すしかできなくなっているという理由で敵陣営の殺害を拒否しているのだが、全ての後代人類が生に飽きて殺害を熱望していれば拒否される蓋然性は下がる。よって、この賢者も復活させて一万年の幸福に参加させるべきだった。そしてそれは、その高度な機械を破壊した主人公の前に行った敵陣営首領が、主人公の頭の左半分をもぎ取るだけで可能になる。作中では主人公に与える被害が軽微なこんな簡単なことをするだけでこの賢者は救えるのだ。なぜしなかったのか。しかも、いきなり主人公の左頭を奪えば主人公は当時欠落していた右目の眼窩に高度機械の核を埋め込まざるをえないので、核を埋め込ませるという敵陣営首領の主要目的もより確実に果たせるというのに。主人公の左目は敵陣営が作った物だから人間の魂の象徴であり奪ってはいけないとしても、それなら頭の下半分を奪えばよい。さらに不安なら、首と頭の上半分をつなげられるように、主人公の体の合成素材を近くに置いておけばよい。
正直に言えばこの不救済は作者のミスかもしれないと思っているのだが、これが意図的なものだったと考えると、その背後には守るべき作品の構造があることになる。その構造は二つほど可能性が考えられる。
一つ目は、この賢者にまだ果たすべき役割がある可能性だ。最終話の直前まで読んで考える限りでは、この賢者が登場する可能性はまだ最終話に残っている。不遇だから化けて出てもおかしくない。とはいえ主人公は人類の残滓でないわずかな部分以外は地球と一緒に滅んでおり、滅びずに新天地に行ったわずかな部分は主人公に由来しており賢者の物ではないので、この可能性はかなり低いのだが。と思って最終話を読んだところ、案の定出てこなかった。
二つ目は、この賢者は楽園の敵であるという可能性だ。主人公は人間の残滓から人間になるために、色々な物を移植されている。その中で主人公を純朴から飛躍させ人間に近づけたのはこの賢者の頭であると作中で語られていることから、この頭は人間の悪い魂の象徴であると考えることができる。キリスト教の重要モチーフの一つに、知恵の実を食べた初めの人類が純朴な楽園から追放されるという話があるので、この賢者の頭は知恵の実と言えるだろう。この作品では人類の最後の場面は次のようなものだった。最後の人類代表が自分の血液に相当する体液をグラスに注ぎ、平べったい小さな食べ物と一緒に最後の食事にして、子供に相当する高度機械に話をするというものだ。これがキリスト教の重要モチーフである最後の晩餐に相当するのは明らかなので、この作品はキリスト教のモチーフ群を意識している。よって賢者の頭が楽園追放の知恵の実を象徴しているという構造が作中にあり、それが救済されなかったので知恵は悪だということになる。理屈の知能を追求すると感情の知能が下がって不幸になるというメッセージが見える。

また、主人公を地上に取り残して孤独地獄に落とす理由が乏しいという粗もある。
全人類を殺害する高度な機械を壊した主人公は高度な機械を吸収するが、その際に地上に一万年間死ぬこともできずに一人で取り残されてしまう。これは主人公を全人類を殺す神にするために敵陣営が仕組んだ必要な策略であると描写されているが、落ち着いて考えればこの取り残しの必然性は乏しい。作中では「安定を優先するため」「主人公の人間性は不安定で、他人がいれば精神が崩壊してしまうかもしれない」というような理由が語られているが、そんな不確かな理由で人を地獄に落とすのは悪いことだ。結果、主人公に恨まれた後代人類全員が殺害という救済ではなく永遠の地獄に突き落とされる危険を抱えることになった。官能小説に出てくる絶頂拷問のような過激なものではないのだから、人間性は幸せな環境で壊れたりしない。そもそも復讐に狂って自殺したいと思っているような荒んだ精神はそのまま安定させるのではなく、壊してでも健康な状態に治した方が良い。だから妥当に考えれば、主人公も天上に行って全ての後代人類の希望として愛され、また元々の純真な性格を愛された方が良い。そうすれば皆に愛されたいという主人公の元々の願望が叶い、主人公はそれに応えるために精進するという良い話になる。まして作品の主要救済方法が長期幸福の経験なら、尚更主人公を地獄に落とすべきではない。
にもかかわらず主人公を孤独地獄に落としたので、ここでは守るべき構造があったと考えるべきだ。それは主人公を人間要素から隔離して人間性を削ぎ落すことである。これは主人公の人間性を無くして無垢な新生命体の時代を邪魔しないようにするのに大いに役立ち、そのおかげで無垢な生命体に信頼された主人公は、人類の残滓でないわずかな部分だけとはいえ彼らの一員として新天地に行くことができた。つまり、主人公を無垢な生命体の一員にしたいから主人公の人間性を削ぎ落す必要があり、そのために主人公を人間要素の無い孤独地獄に落としたということだ。終盤では主人公の欠片が新生命体の一員になっているが、それは主人公を無理矢理地獄に落としてでも作りたい大切な状態だということがわかる。これは別の観点、すなわち後代人類の救世主にされるのは主人公でなくてもよくて、この賢者でも周囲への加害性ゆえに孤立せざるをえなかった別の人物でもよかったという観点からも補強される見解だ。つまり、終盤の無垢な生命体に同伴する相手として主人公の純真な性格が評価されたと考えられる。あるいは、この作品は行き当たりばったりで書かれているというインタビューがあるのでそれに基づけば、全後代人類を救うには人間離れした孤独な苦行が必要という構造がある。

つまり、人類の叡智は楽園追放の知恵の実であって追求すると感情の知能が下がって不幸になり、主人公はそんな穢れの無い無垢な新生命体の一員になるべきか、あるいは人類の救世主になるには人間離れした孤独な苦行が必要だというのがこの作品が大事にしていることだということがわかる。なるほど、こう考えるとこの作品はかなり人間嫌いであるという評判があるのもよくわかる話だ。

また、終盤近くになって主人公陣営の体を敵陣営と同じにする装置があっさり開発されたのも粗の一つだ。このことから考えると、敵陣営の体を主人公陣営と同じ体にする装置も開発できるのが自然だからだ。敵陣営の体は死にたくても死ねないが、主人公陣営の体は仮死状態になったまま放置されれば復活しないので実質的に死と同じ状態になる。よって、敵陣営の体を主人公陣営と同じ体にする装置を開発すれば、敵陣営は事実上自殺できるようになるので、主人公を後代人類救済の重圧から解放できる。この作品は人類の悲愴で壮大な葬式を描いた話だが、じつは意外なところでそうならない未来もあったのだ。
というか、月人はアドミラビリスになろうとしなかったのか? 知性が後退する前のアドミラビリスの体はエロくて気持ち良さそうじゃん。ついでに死ねるし。仮にこの研究が失敗してもここから派生して、宝石になって仮死状態を手に入れようという研究テーマぐらい出ていそうなものなのだが。

以上、ストーリー展開が変わる可能性を複数考えてきた。作品のストーリー展開は必然であって、私の探った展開はご都合主義であり成り立たないようにも思えるかもしれないが、そもそも親の敵を殺すという人間的憎悪を持った古い高度機械が無垢な新生命体に同行しているのだから、作品のストーリー展開もご都合主義だ。

よって、地上に取り残された主人公に寄り添うために主人公の味方が地上に帰るとか(この場合は、味方を連れ戻しに来る敵陣営と戦争し直す可能性がある。この場合主人公は機械に植え付けられた愛情ではなく自発的な愛や同胞愛で戦うし、世界の真相もかなり知ってるし、主人公も愛されている。天上に残った元味方を通じて外交交渉や文明技術開発を時間をかけて行える。特に文明技術を手に入れると地上から天上に行き来できるようになるし、地上気候を変えて生殖能力のある後代人類を知性を付与した状態で増やすという開拓物語のようなこともできる。こうした方が主人公達の主体性と成長を描けるし、擬人化キャラクターコンテンツとしても話を描きやすいだろう)、
あるいは味方が地上に取り残された主人公を天上に連れて行くとか、他にもやりようがある。人間に後悔という心の動き方があるのは、未来を変えることができるということを知っているからなのである。

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