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問題児だった私と、幼少期のたまご事件

私は小学校1年生の時、いわゆる「問題児」であった。家では普通に喋るのに、学校でだけ謎の赤ちゃん言葉を喋り、クラスメイトや先生方に迷惑をかけ、おそらく要注意児童として目をつけられていたと思う。同じクラスの同い年のしっかりした子達にまるで妹のように面倒を見られていた。

私が過ごしていた関東の小学校では鶏を飼っており、卵が生まれると朝登校時に校門の前で飼育係の子たちが卵を配っていた。もちろん数に限りはあるが、幸運な事にそれを手に入れた生徒たちは一日中タオルにつつんだり、ポケットの中で温めたりして、ひよこになるのを待つのだ。(もちろんならないけど)
そんなある日、私も運良く卵をゲットできた日があった。私は嬉しくて、授業中も大事に手の中で温めていた。しかし、クラスのお姉さん的存在の女の子に「ねえ、きっとひよこになってるかもよ!割ってみようよ」と言いくるめられ、廊下の手洗い場所に一緒に連れて行かれ、大切に温めていた卵を割られてしまった。黄色の中に赤茶色の血液が混ざったグロテスクなそれが排水溝の方に流れていった。
その女の子は「ほら。ひよこだよ!ほら!!」と赤茶色い液体の部分を卵の殻でかき混ぜながら内心「ひよこじゃなかった、やばい」と思っているのをなんとかごまかそうと言っていたのを覚えている。それを見て私はもう、悲しくて悲しくて、なぜ割ったのか、怒りでいっぱいになって、授業中にもかかわらず教室の床に座り込んで泣きわめいた。先生も困り果て、クラスメイトの皆もどうしていいかわからず、私を見ていた。もう一人のしっかり者の女の子が哀れにおもったのか、えんぴつで薄く自分の名前を書いて大切に持っていた卵を「わたしのあげる」と言って差し出してくれたのだが、そうじゃない、そうじゃないんだ、わたしはあの卵を割られたくなかったのだと、小学校1年生、言葉にどうしてもうまく気持ちを乗せる事ができずにただ泣き散らかしていた。
大人になった今、私はどちらかというと保守的な人間で、思い切った事はなかなかできず、職場でもできれば気配を消したいし、目立った行動を取るのが怖いと思ってしまうタイプなのだが、この小学校1年生という期間だけ、私はどうしてこうも「問題児」でいられたのだろうか、今でも不思議に思う。
そういえばクラスにもう一人、ちょっと私とはタイプが違う「問題児」で有名な女の子がいた。私は正直その子の事が好きではなかった。謎の赤ちゃん言葉を喋りながらもこころの中で「わたしはあの子とは違う、一緒にされたくない」と思っていた事を覚えている。とある水泳の授業の日、先生にも、誰にも頼まれていないけれど先述のクラスに二人いるしっかり者の女の子の一人が「わたし今日は○○ちゃん(例の問題児ちゃん)の面倒見るね!」と言い出した。すると即座にもう一人のしっかり女子が「じゃあ私○○ちゃん(私)の面倒見るー!!」と言い出したのだ。誰も面倒見てくれとは言っていない。それなのに例の問題児ちゃんの名前が出た後すぐに、私の面倒を見る、と同列に語られた事がとてつもなく悲しく、恥ずかしく、嫌悪感でいっぱいの気持ちになったのも思い出した。(どうしようもないな)

ちなみに赤ちゃん言葉から普通の言葉に切り替わった瞬間、はっきりと覚えている。時期は多分小1の終わり頃で、友人3人と校庭で話しながら歩いていた際に自転車の話になった。みんな補助付の自転車からいわゆる鍵のついた普通の自転車に徐々に変わっている時期だった。私もその時鍵付きの自転車に乗り換えたところだったのだ。それを知らなかった友人が「○○ちゃん(私)の自転車は鍵付じゃないでしょ?」と聞いてきた。そこで私は間髪入れず、赤ちゃん風の言葉ではなく、「普通の言葉」で「えー、鍵付きだよ!?」と返したのである。
なぜこのタイミングだったか本当にわからないのだが、結構この「スイッチが切り替わる」瞬間をはっきりと覚えている。そこから私は赤ちゃん言葉を話さなくなり、今まで程の問題児では一応なくなり、徐々に普通の(いじめられていはいたが)小学生になっていった。今でもあの小学校1年生の時代は本当に、謎。自分の事なのに、本当に謎なのである。当時の自分に「あんた一体、どういうつもりやったん!?」と聞いたりたい。

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