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<地政学>なぜイギリスは海洋覇権をアメリカに譲り渡したのか?

 地政学や世界史で当たり前のように言われることがある。それは「二度の世界大戦をきっかけに世界の海洋覇権国がイギリスからアメリカにシフトした」という話だ。海洋覇権国は定期的に交代しており、交代期になると新興国と在来国による戦争が行われるという予測もある。いわゆる「トゥキディデスの罠」だ。しかし、イギリスからアメリカへの海洋覇権国のシフトにそのような現象は起きなかった。両国はライバルどころか、仲良しこよしだ。地政学では潜在的なライバル国を封じ込めたり叩いたりするのではなかったのか。英米間の関係は果たして地政学的にどう説明すればいいのだろうか。今回は海洋覇権が成立する条件と両国の辿った歴史について考察してみたい。 

イギリスの覇権の構造

 一般的に言われる世界覇権は筆者の言うところの海洋覇権のことを差すことが多い。圧倒的な海軍力を持ち、世界の海上貿易を保護または支配する力のことだ。筆者の使う世界覇権は世界征服の方が意味が近い。アメリカが海洋覇権を手に入れた第二次世界大戦よりも前に海洋覇権を握っていたと考えられる国はイギリスである。

 イギリスとアメリカの海洋覇権には重大な違いがある。アメリカは地域覇権を獲得してから海洋覇権を手に入れたが、イギリスは一度たりともヨーロッパの地域覇権国になったことはない。イギリスは大陸に根拠地を持たず、大陸の強国同士を争わせて力を打ち消すことによって安寧を得ていた。現在のアメリカのユーラシア政策とよく似ている。イギリスは地域覇権なき海洋覇権を誇っていたということになる。

 イギリスが地域覇権を持たずに海洋覇権を持つことができた理由は19世紀まで強力な海軍を持っている国家がヨーロッパにしか存在しなかったことが挙げられる。イギリスの海洋覇権のライバルとなった海軍は当初はスペインやオランダ、のちにフランス、近代になってからはドイツだ。イギリスは島国という優位を生かしてこれらの海軍を全て組み伏せることに成功している。二度の世界大戦でもドイツ海軍を北海に封じ込め、制海権は一貫して保持していた。ヨーロッパという文脈においてイギリス海軍の優位が揺らぐことは一度も無かった。

 アジアにせよ、新大陸にせよ、それ以外の地域にヨーロッパ人に対抗できるような強力な海軍はほとんど存在しなかった。したがって、ヨーロッパで最強の海軍国でさえいれば、自動的に世界最強の海軍国ということになる。あとはアヘン戦争にせよ、やりたい放題だった。19世紀までイギリスが遠く離れたアジアや新大陸で我が物顔で振舞えたのは、ヨーロッパ以外があまりにも弱すぎたからだ。

イギリスの海洋覇権が崩れたわけ

 しかし、20世紀になるとヨーロッパ以外の地域でも強国が台頭し始める。この段階になると、イギリスが地域覇権国でないことはこの国の海洋支配にとって足かせになりはじめた。ヨーロッパ内部の抗争に気を取られ、アメリカや日本の海軍力の増大を防ぐことができなかったのだ。イギリスは遠隔地への戦力投射を行う能力に限界があったと言える。

 イギリスは北米大陸でアメリカが地域覇権国になるのを止められなかった。地域覇権国が誕生すれば心置きなく海軍に集中できるので、アメリカが将来イギリスの海洋覇権を脅かす存在になることは分かっていたはずだ。それにもかかわらず、イギリスはアメリカの勢力拡大をほとんど妨害できなかったし、対立すら避けていたそぶりがある。ヨーロッパ大陸に対する執着と比べてあまりにもいい加減だ。その理由はイギリスが北米から遠く離れており、ヨーロッパ大陸の情勢を優先していたため、北米に十分なエネルギーを投下できなかったからなのである。例えば1812年の米英戦争でイギリスはワシントンを陥落させているが、ナポレオン戦争に集中するために実質的に戦争から引き揚げている。1861年の南北戦争はアメリカの地域覇権を止める最後の機会であり、イギリスは南部連合を支援していたものの、本格的な介入はしなかった。

 地政学的に遠隔地への戦力投入は困難を極める。まだヨーロッパ以外に強国が存在しなかった19世紀であればイギリスは世界の海を支配できた。ところがアメリカや日本が国力を伸ばした20世紀になると、イギリスは遠隔地の海を支配できなくなった。それはイギリスが地域覇権国ではないため、国力がそこまで大きくないからであり、地域内部の脅威にエネルギーを割かれるからでもある。イギリスにとってアメリカの海洋覇権よりもドイツの地域覇権の方が遥かに恐ろしかった。イギリスはヨーロッパの戦争に気を取られ、アメリカと海洋覇権をかけて戦うことすらできなかった。恐らくは日本の勢力拡大を止める力も無かったと思われる。

 一方でアメリカは地域覇権国だったため、イギリスよりもはるかにパワフルだった。アメリカはヨーロッパと東アジアに大量の軍事力を投入することができた。イギリスはヨーロッパのバランサーではあったが、大西洋を越えて北米のバランサーとなる力を持たなかった。恐らく東アジアにも本格的な介入は難しかっただろう。ところがアメリカは大西洋を越えてヨーロッパのバランサーとなり、同時に東アジアのバランサーにもなる力を持っていたのである。

海洋覇権の交代

 深読みすると、イギリスが海洋覇権を失うことが確定したのは1865年に南北戦争が決着してアメリカが北米の地域覇権国になった時だった。イギリスは海を越えて北米の戦争に介入する力が無かった。南部連合はイギリスと友好関係にあったが、イギリスは艦隊を派遣して南部連合の海上封鎖を解除することはなかった。アメリカは地域内部の脅威が全くなくなるので、あとは海軍を建設していくらでも海外に遠征できる。それでもアメリカは地政学的に安泰な立場のおかげで軍事力にほとんど関心を払わなかったため、イギリスはその後もしばらく海洋覇権国を続けることができた。

 20世紀に入り、イギリスがドイツとの対立状態に陥ると、イギリスは一切アメリカに張り合うことはできなくなった。この時点で既に海洋覇権はだいぶ怪しくなっている。それでもイギリス海軍はドイツ海軍に対して一貫して優位にあったので、表面上はメンツは保たれていた。イギリスが南北戦争に介入できなかったのに対し、アメリカは第一次世界大戦に介入して戦争の決着を付けている。イギリスがヨーロッパの戦争を優先してアメリカに譲歩し続けている点は米英戦争の時と何ら変わらない。

 第二次世界大戦が近づくと、もはやイギリスは海洋覇権国とは言えなくなっている。日米が軍拡を行っている一方で、大戦で疲弊したイギリスは軍事力を削減している。ロンドン海軍軍縮条約では英米日の戦力比が5:5:3と決められた。日米の海軍力を合計するとイギリスを大幅に上回っている。この時点でイギリスの海洋覇権国としての座は消失していると言えるだろう。

 そして決定打となったのは第二次世界大戦だろう。イギリスはナチスドイツによる地域覇権を認めるくらいなら、アメリカに海洋覇権を譲り渡した方がマシだと考えた。イギリスは軍事援助と引き換えに西半球の海軍基地をアメリカに引渡し、地域から撤退した。東洋では日本海軍の攻撃により東洋艦隊が壊滅し、シンガポールの根拠地は陥落していた。この時点でイギリスは世界的な海軍大国ではなくなったと言えるだろう。その日本海軍は太平洋戦争でアメリカとの総力戦に敗れ壊滅した。ここにアメリカの海洋覇権は完成したと言えるだろう。

 ソ連海軍は取るに足らない存在であり、他の大国の海軍は全てアメリカ海軍に従属していたので、戦後のアメリカは世界で唯一の海軍大国となった。世界の原子力空母は一隻を除いてすべてアメリカ海軍である。アメリカの海軍力は隔絶しており、ライバルは全く存在しない。

海洋覇権の条件

 第二次世界大戦後の世界において、海洋覇権を目指す上で地域覇権国であることは必須である。地域覇権国でない国の場合はどうしてもエネルギーが不十分であるため、遠隔地への戦力投射に制約がかかる。これは海軍国家が分散した現代の世界においては重要な障壁だ。ヨーロッパの問題に気を取られてアメリカや日本の海軍軍拡を阻止できなかったイギリスが良い例だろう。

 また、地域覇権国でない場合、アメリカに対抗できない。地域覇権国でない国は国力でアメリカに劣るだろうし、アメリカの勢力均衡政策によってエネルギーを吸い取られてしまう。例えば中国海軍の急速な拡大が懸念されているが、中国は地域覇権国ではないため、日本をはじめとするアジアの同盟国に配備された無数の米軍基地によって動きを封じられ、海洋覇権は難しいだろう。

 21世紀の世界において、海洋覇権を目指す国は遠隔の海軍大国と張り合うだけ戦力投射能力を持ち、なおかつアメリカに対抗できる力を持たなければならい。例えば中国が世界の海洋覇権国になる場合は日本を征服して東アジアを統一する必要がある。こうなると、中国の国力はアメリカを上回るし、自国の周辺から一切の脅威がなくなるため、思う存分世界中に戦力を投射することができるだろう。メキシコと同盟を組んでアメリカを攻撃したり、ヨーロッパに進出して勝手に集団安全保障システムを作ったりという芸当も可能だろう。ただ、アメリカが海洋覇権を失って自国が脅かされる可能性を座視するとは思えない。したがって、アメリカは日本やその他の国との同盟を利用して中国による東アジアの地域覇権をなんとしても阻止するだろう。

まとめ

 複雑な説明になってしまったが、簡潔にまとめよう。イギリスの弱点は地域覇権国でなかったことだ。19世紀においてはヨーロッパ以外に海軍大国が存在しなかったためにヨーロッパで最強でありさえすれば自動的に海洋覇権が手に入った。しかし、アメリカや日本が強国化を果たすと地域覇権国でないイギリスは遠隔に位置するこれらの国へ対抗する余裕がなくなった。一方で、アメリカは地域覇権国だったため、自国から遠く離れたヨーロッパや東アジアにも介入する力を持つようになった。

 イギリスは1941年に日本に敗れ、海洋覇権を失った。その日本海軍も太平洋戦争でアメリカに敗北し、世界にはアメリカ以外の海軍は存在しないも同然になった。現在の世界では海洋覇権を目指す上で地域覇権は必須項目だが、実際は海洋覇権を失うことを恐れるアメリカがオフショアバランサーとして妨害してくるので、地域覇権国になるのは極めて難しいだろう。

 見方を変えるとアメリカが地域覇権を達成したことで海洋覇権に関するハードルは上がってしまっている。アメリカに対抗するためには同様に地域覇権国にならねばならない。ところがアメリカはその圧倒的な優位を生かして遠隔地に介入し、地域覇権国の誕生を阻止する。そのため地域覇権国になる難易度も以前よりも格段に上昇している。イギリスはこのようなパワーインフレに全くついていけなかったので、必然的に海洋覇権を失ってしまった。

 アメリカの海洋覇権に挑戦できる国は当分現れそうにない。日本と中国はお互いを征服できないため、東アジアの地域覇権国になることはない。あっという間にアメリカに封じ込められて終わりである。

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