「男の子は資格を取れ」の時代が来る?(特に発達障害傾向の人)

 平成の30年は失われた30年とも言われる。この30年もの間、物価は全く動かなかったし、日本企業の働き方もほとんど変わらなかった。しかし、この30年間で劇的に変化したものが二つある。一つはIT技術の浸透、もう一つは女性の社会的地位の変貌である。後者は本当にヒシヒシと感じられる。今の30代以下で専業主婦は見かけないし、就職活動でも女性を採用するのは当たり前になってきた。管理職への女性登用をめぐって企業は神経をとがらせている。この動きは日本社会にも着実に変化をもたらしており、人生の最適戦略も変わりつつあるだろう。女子大の凋落もその一環に思える。

総合職と専門職

 私の祖母と曾祖母は学校の先生だった。理由は「大卒の女性は企業で採ってくれないから」だ。実際、祖母が就職活動をしていた1960年代初頭は有名大卒女性はある意味で異形の存在であり、日本社会の通常のルートから外れた存在だと考えられてきた。昭和の時代は今より女性の社会進出が進んでいなかったが、その時代から優秀な女性はたくさんいた。彼女らの多くは学校の先生や医者など、専門職に進んでいた。今の50代より上のJTC社員に女性総合職はほとんどいないが、医師や教師は容易に想像がつくのではないかと思う。他にも社会的に名を上げる女性は沢山いたが、JTC総合職のような社会の「真ん中」の生き方からは排除されていたのである。

 ある程度優秀な人が就く仕事は大きく分けて専門職と総合職に分類される。前者はわかりやすい。医者とか弁護士とか教師とかエンジニアとか、自分の専門性を生かして働く生き方だ。後者は主に大組織の一員として従事する仕事だ。総合職の場合は業務内容よりも組織名がアイデンティティになることが多い。「三菱商事」とか「電通」といったものだ。いわゆるサラリーマンである。

 昔の日本人女性はキャリアを追求する場合は決まって専門職を選んだ。女性は長時間労働や全国転勤といった大企業の文化に適応しにくいし、子育て離職するリスクが高かったからだ。大企業の側もそれを望んでいなかったという事情もある。総合職という生き方は周囲と足並みを揃え、集団主義的な行動が求められる。したがって均質性を妨げるような人材はあまり歓迎されない。

 これは女性のみならず、民族的少数派やハンディキャップを抱える人にも言える。筆者は全国模試や進学校にたくさんいたはずの中国や韓国にルーツを持つ人が旧態依然としたJTCには一人もいないことに驚いたことがある。また、これは日本だけの現象ではなく、多かれ少なかれあらゆる文化圏に見える特長だ。アメリカでアジア系はかなりの成功を収めているが、エンジニアなどの専門職が多く、大組織の幹部と言えば白人男性と決まっていた。昔のヨーロッパではユダヤ人は将校や官僚にはなれないので、医師や弁護士として社会的成功を収めていた。やはり本質的に総合職という生き方はマイノリティに不向きなのだろう。

アファーマティブアクションの時代

 こうした動きは最近、急速に是正されている。2010年代に安倍政権下で女性活用が進められ、大企業の女性登用は急速に進んだ。JTCというのはお上に従順なので、変化が進むのは早かった。もちろん少子化という背景もあるだろう。

 男女雇用機会均等法が施行されたバブル世代はまだ女性の社会進出はそこまで進まなかった。大企業の側も女性の登用の準備が全くできていなかったようだ。例えば私の母と叔母は有名大卒から有名企業の総合職に進んだが、子育てで離職してキャリアを失っている。この年代にはよくある話だ。特に医師や薬剤師のような資格業と違い、大企業の総合職には何の保証もないため、離職した時点でキャリアが消滅してしまうことが多い。育児休暇に対する理解度も極めて低かった。

 その下の氷河期世代はというと、この年代は女性の社会進出どころではなかった。ロスジェネにまつわる問題はあまりに多く、今回の趣旨には収まらないので深入りはしない。現在登用されている女性の上級管理職はバブル世代か氷河期世代でまだ会社に残っていた人物をかき集めて軒並み昇格させている感じである。

 女性のキャリア志向が目立つのはその下の「キレる17歳」世代だ(物騒な名前だが、ほかに都合のいいネーミングがない)。今の30代後半から40代前半当たりの世代である。この年代は2010年代の女性登用の恩恵をモロに受けた世代であり、女性が総合職として働くのが当たり前になっている。本当にこの年代は就労率が高い。専業主婦という生き方はあまりメジャーではないようだ。その下のゆとり世代ともなると、もはや女性総合職は当たり前であり、婚活の基準すら変わってきているらしい。

 さて、女性が総合職になるのが当たり前になれば、「女性は資格を取れ」といった通説は通用しなくなる。ではその代わりに割を食うのはどういう存在になるか。それは男性、特に発達障害傾向の人物である。彼らは女性と入れ替わりに専門職を志向したほうが賢明に思える。その理由について考えていこう。

発達障害傾向の人物に厳しい時代背景

 発達障害とは作られた病気であるという言説がある。筆者はこの意見に全面的に賛同したいと思う。病気というのは社会的な背景によって定義が変わることがある。例えば石器時代において識字障害は問題になることはなかっただろう。一方で近視は深刻な身体障碍とみなされた可能性が高い。発達障害も同様で、近代以前の社会では問題がなかった特徴が、最近の社会の変化によって不適応を起こしているものと思われる。

 性差を強調するのは避けたいし、科学的な話となればなおさらなのだが、あえて言ってしまいたいと思う。発達障害とは基本的に男性的な特徴と関連が強い。発達障害は男性の方が多いのに、発達障害を公表している人物は女性が多い。女性の方が自分の弱みを晒しやすいというのもあるかもしれないが、それだけではないだろう。伝統的に女性が求められてきた役割と発達障害の相性は非常に悪いと思われる。逆に中高一貫の男子校は非常に発達障害傾向の人物に優しい環境だ。共学校ではスクールカーストの最底辺に置かれる人物が、数学で天才的な才能を発揮して楽しそうに学校生活を送っていることは珍しくない。

 女性の総合職登用が進む理由の一つは総合職の仕事がそこまで女性に難しくないことが認知されたというのもあるだろう。実際に登用してみると、別にそこまで問題はなかったのである。むしろ、総合職的な仕事と女性の相性は良いと思う。総合職はバランスよく周囲とコミュニケーションを取れる「丸っこい人材」が求められるからだ。女性の方が能力のバランスが悪い人は少ないし、周囲と足並みを揃えるのも得意だと思う。ワークライフバランスの拡充で体力という弱みもなくなって来たので、女性にはますます有利な時代だ。男性がこれまで持っていた総合職としての強みはかなり揺らいでいると考えてよいだろう。特に女性と真逆の特徴を持つ発達障害傾向の人物は総合職としてやっていくうえでますます困難を抱えると思われる。

女性登用の巻き添え

 政府の女性活用政策によって、大企業は全てダイバーシティなどを売りにしており、女性が活躍しやすい環境が生まれている。一方で男性はその割を食っているはずだ。

 まず就活段階だ。私の時代にも顕著だったのだが、最近はどこの企業も女性の採用を増やしたがっている。一方の難関大学の女性割合は低い。したがって、難関大の女性は男性に比べて圧倒的に有利だ。転職市場に関しては何とも言えないが、少なくとも新卒就活の段階では女性の方が有利なはずである。一方で枠が削減されたのは男性であり、現在の大企業の文系総合職に男性が進む難易度は上昇している。

 次に入ってからの出世だが、企業は女性登用をアピールしたいため、女性をかなり大事に扱っていることが多い。一方で割を食うのは男性だ。長時間労働や全国転勤に耐え続けたのにもかかわらず、女性の方が出世が早いということがあり得るわけである。これはやはり専門職よりも総合職の方が問題となる。なぜなら総合職は組織内での出世が唯一の成功ルートだからだ。専門職であればあえて現場に立つとか、スキルを磨いて独立するという生き方も可能だが、総合職にとってはポスト争奪戦こそがやりがいなのである。

 女性登用を進めた結果、JTCでは会社に長年忠誠を尽くしてきた男性社員よりも普通の女性社員の方が出世するという事態が起きている。これは会社頼みのキャリア設計の不安定さを示すものと思われる。今までは理不尽な理由で女性が排除されていたのだが、現在は理不尽なまでに女性が登用されているのだ。総合職という存在はどこまでも曖昧で不確定な存在と言えるかもしれない。

ポリコレ・コンプラの強化

 発達障害傾向の人物にとって、最近の総合職は生きにくいのではないかと思う。昭和のサラリーマンは今よりも泥臭い世界だったが、発達障害にはもっと寛容だったと思われる。昭和の有名人のエピソードを見ても、明らかにADHD傾向がみられる人物は多い。当時は大して問題にならなかったのだ。最近はコンプラなどが厳しくなり、発達障害傾向の人物が引っかかるポイントは増加傾向にある。空前の発達障害ブームもこうした事情が絡んでいるのではないかと思う。

 たとえばADHD傾向の人物は普通の男性よりも(たぶん)ポリコレ関係でやらかす可能性が高い。例えば財務省次官の福田氏は女性記者に下ネタを連呼したことで解任された。昭和であればこうした人物であってもなんとか穏便に済まされたことが多い。それはJTCの中心人物が森喜朗のような人物だったからだ。森氏のような古臭い人物は保守頑迷で男尊女卑傾向が強いかもしれないが、一方で仲間内には懐が広く、失敗にも寛容なところがある。現代のポリコレ社会では森氏や福田氏は一発アウトである。

 もちろんセクハラ行為を許容する気は一切ないが、なにかと失敗に関して不寛容な社会になっていることは確かだろう。

男性は専門職向き?

 これらの事情を踏まえると、伝統的な総合職で男性が持っていた強みは消滅しつつあり、相対的に専門職の方が男性には合っているのではないか、という気がしてくる。特に発達障害傾向の人物にとっては重要な問題だ。

 まず専門職は特定方向に特化していることが求められる。これはまさに男性の方が得意とする行為だろう。女性はマルチタスク・ジェネラリスト的なのに対し、男性はとがったタイプが多いからだ。総合職は秘書的な業務の要素が強く、男性にはもともとあまり向いていなかったのかもしれない。特に発達障害傾向のある男性の場合、一つのことに特化すれば飯が食える専門職はかなり適性が高い。総合職と比べて実力があれば活躍することが可能なので、女性登用などの負の影響を食らいにくいだろう。

 もう一つの理由はドロップアウト耐性だ。これは主に発達障害傾向の人間に当てはまる。先ほども述べたように、社会の潮流は発達障害傾向の人物に不利な方向に向かっており、彼らは人生のどこかで困難に直面する可能性が高い。この時、手に職があった場合は再スタートが切りやすいだろう。

これからの日本社会

 男性総合職のメリットは減少しており、逆に専門職の方が男性との相性が良くなっている可能性が十分に考えられる。これは大学入試動向とも関連付けられるかもしれない。

 最近、東大理一の難化が著しい。時代は完全に理系優位だ。東大理一のレベルは阪大医学部をも上回っている。一方で凋落が激しいのは東大文一である。前者は理系専門職がイメージされるのに対し、後者は伝統的な大企業の文系総合職がイメージされるだろう。このあたりからも男性の専門職志向が読み取れるかもしれない。一方で女性が東大文一に進学することはおススメである。

 医学部の女性比率は年々上昇している。これは女性は手に職を付けるべきという考えが影響しているだろう。しかし、最近の潮流を見ていると、女性は大企業に入っても十分に活躍できるので、そこまで医師にこだわる必要はなさそうだ。代わりに医学部に進学すべきなのは発達障害傾向の人物である。彼らはますます社会で困難を抱える可能性が高いため、資格を取るに越したものはないからだ。

 今後の総合職はアファーマティブアクションで男性に不利になる可能性が高く、しかも業務自体も女性向きという可能性は十分に考えられる。この場合、男性は専門職に進んだ方が実力を発揮できるだろう。難しい理系技術職などは男性の方が有利だし、理不尽なアファーマティブアクションは行いにくい。転職や独立すれば実力社会だ。特に発達障害傾向の人物にとってはますます専門職に進む必要性は大きくなりそうである。


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