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<歴史IF>もしユダヤ人とアラブ人がパレスチナで共存していたら?

 歴史にIFは無いという。たしかにそうかも知れない。しかし、それでも歴史IFを考えたいのが歴史オタクというものだ。今回はもしパレスチナでユダヤ人とアラブ人が共存し、第一次中東戦争やイスラエルの建国が無かったら?という歴史IFについて論じたいと思う。

 議論のスタートは1948年に遡る必要があるだろう。それまでパレスチナの地はイギリス委任統治領だった。ここに次第にユダヤ人の移住者が増えていき、現地のアラブ人との衝突が増していった。両者の闘争は次第にエスカレートしていき、ついには内戦状態となった。国連は分割を提案するが、アラブ側は拒否し、周辺諸国が参戦して第一次中東戦争となった。

 ここが歴史の分岐点とする。イギリスの委任統治領になったあとにユダヤ人とアラブ人はなんとか殺し合いを収束させ、全面内戦は避けられた。ユダヤ人国家の建設は禁止され、イギリスの撤退と同時に統一国家の独立が達成される。この時、「パレスチナ」という国名は聖書のペリシテが由来で、ユダヤ人に差別的なネーミングだという批判が出るだろう。仮に新国家の名前をエルサレム国とする。

 このエルサレム国、どのような国制になるのだろうか。参考になるのは隣国のレバノンである。レバノンは無数の宗派に分立した社会で、お互いに仲は良くない。それでも棲み分けを行いながら何とか国として成立している。エルサレム国もレバノンのような宗派社会になることは確実で、アラブ人とユダヤ人の間に議席の配分が行われる、モザイク国家となるだろう。レバノンは中東の金融センターとして繁栄を謳歌していたが、パレスチナはユダヤ人入植者によって平均所得が引き上げられるため、レバノンを上回り、地域で最も豊かな国となるだろう。アラブ人の平均所得もエジプトやヨルダンを大幅にに上回っているはずだ。

 このエルサレム国は史実と違い平和で住みよい国になるのだろうか。結論から言うとその可能性は極めて低い。エルサレム国は世界最悪の紛争地帯である肥沃な三日月地帯に位置しており、周辺は不安定な国ばかりだ。東西冷戦の存在もある。エルサレム国が無傷とは到底思えない。例として挙げたレバノンも1975年から1991年にかけて凄惨な内戦を経験した。その残虐さはパレスチナ紛争を上回るものだった。

 特に危険因子となるのがエジプトのナセル政権である。ナセルはアラブ統一を目論んでおり、あらゆるアラブ国家に介入していた。例えば1958年にレバノンでナセル主義者のムスリムが反乱を起こし、米軍が介入したという事件が発生している。ナセルがアラブ統一を志す上で地域のど真ん中のエルサレム国を無視するとは思えないし、聖地だって欲しいだろう。ナセルはパレスチナにシンパを作り、何らかの政治工作を行うことは確実だと思われる。シリアのようにナセル主義者がエジプトとの合邦を目指すかもしれない。

アラブ世界の中央に突き刺さるイスラエル
アラブ統一国家を目指すエジプトにとっては死ぬほど邪魔である
エジプトが地域覇権を目指す上でこの地域に関与しないとは考えられない

  しばしばアラブ人が東側志向なのはアメリカがイスラエルを支援するからだという言説が聞かれるが、これは間違いだ。ナセルは反植民地闘争を掲げており、英仏とは必ず衝突する運命だったと思う。エジプトの王政が倒れたのは第一次中東戦争が原因なので、ナセル政権が誕生しなかった可能性も考えられるが、リビアやイラクの王政があっけなく倒れた様を考えると、エジプト革命が起こった可能性は充分に考えられると思う。

 細かい経緯は予測できないとしても、アラブのリーダー国だったエジプトには左派思想が蔓延していたし、いずれ東側路線に向かうことは避けられなかっただろう。ソ連は中東地域に関心を持っていたし、あの手この手でアラブ諸国の関心を引くことにやぶさかではなかった。エジプトはライバルのイラクやサウジアラビアを出し抜くためにソ連の援助と思想を動員し、史実通りに東側寄りになっていただろう。

 史実通りナセル政権が誕生した場合、ユダヤ人が反発することは確実だと思われる。エルサレム国は東西冷戦下で西側と東側のどちらに付くかで確実に揉めるだろう。エジプトとシリアはエルサレム国に影響力を及ぼしたがるが、ヨルダンやサウジアラビアは緩衝地帯として西側に引き止めたい。ユダヤ人のアメリカとの結びつきの強さを考えると、ユダヤ人は西側志向になる可能性が強く、アラブ人はナセルに影響されて東側志向になるだろう。こうなると、東西冷戦の最前線としてエルサレム国は内戦に見舞われる可能性が高い。レバノンをシリアが虎視眈々と狙っていたように、エルサレム国はエジプトに虎視眈々と狙われるはずだ。

 エルサレム国は高確率で内戦に襲われる。ナセル主義者はエジプトから流入した武器で武装勢力を結成し、その名前は史実と同じく「ファタハ」や「PFLP」かもしれない。元々民族ごとに分裂していた国軍は無力だ。1940年代にイギリスの説得で何とか抑えられていた両民族の敵意がついに爆発する可能性は充分に考えられる。ナセルはアルジェリア戦争に触発されてパレスチナの政情不安を煽るだろうし、フランスはユダヤ人と友好関係を結ぶだろう。こうして1950年代から60年代の間にエルサレム国では深刻な内戦が勃発する。

 パレスチナ問題が他の民族紛争と決定的に違う点が1つある。それはユダヤ人が欧州から入植してきた外来者であり、現地のアラブ人とは大きな格差があるということだ。現在のイスラエルとパレスチナの経済格差は10倍だが、これは民族紛争のどの当事者よりも格差が大きい。コーカサスやバルカン半島といった悪名高い紛争地帯でもせいぜい2倍や3倍だ。ユダヤ人入植者たちは自分たちの故郷を開拓するというフロンティアスピリットに燃えているため、残念ながらアラブ人と共生しようという機運にはなりにくい。レバノンの場合はお互い混じり合わなくても昔から同じ土地に住んでいる以上仲良くしようという国家統合の理念が作れるが、エルサレム国のナラティブに両者を同時に取り込むのはほとんど不可能だ。「現地のアラブ人と宗教的に高揚したユダヤ人入植者の造る国」といってもしっくりこない。パレスチナ問題は宗教戦争であると同時に入植者問題であり、南アフリカやアルジェリアとの共通点が多い。したがって両者は他の多民族国家と比べても馴染みにくいだろう。

 この世界線のユダヤ人は史実よりもやや不利だ。イスラエルが建国されなかったため、この地に移住してくるユダヤ人は史実よりも少なく、アラブ人は難民として流出しないので史実より人口が多い。ユダヤ人の人口比は30%ほどだと推定される。エルサレム国の内戦はアルジェリア戦争を彷彿とさせるものになる。ただし、アルジェリアの入植者の割合は10%ほどだった。ユダヤ人の場合はこれより数が多いから、おそらくは内戦に完全勝利する可能性が高い。レバノン内戦の時にキリスト教マロン派によって武装組織が作られたように、ユダヤ人の間でも武装組織が作られ、アメリカの支援でナセル主義者を断固として壊滅させるだろう。名前は史実と同じく「シュテルン」や「レヒ」かもしれない。発生した大量のアラブ人難民は周辺に流入する。難民キャンプではファタハの工作員が扇動を行い、イスラエルへのゲリラ攻撃を仕掛ける。エジプトはアラブ系住民の保護という名目でエルサレム国への軍事介入を目論む。ヨルダンは口先ではアラブ人を応援するが、内心ではエジプトの勢力拡大を恐れる。シリアはドサクサに紛れてレバノンを狙う。なんだか史実と変わらなくなってきたぞ・・・

 ただし、この世界ではエルサレム国は単一の国家とみなされているため、国際社会はとにかく国境線を守ることを優先するだろう。宗教的にデリケートの地帯となれば尚更だ。したがってユダヤ人の分離独立は許されず、連邦制などアラブ人との何らかの合意をおこなうことを強いられる。同時にエジプトの介入もアメリカによって阻止されるだろう。キプロスのような分裂状態になるかもしれないが、それでも史実よりはトラブルは起きにくい。ユダヤ人はどれだけアラブ人と隔絶していても、双方は中立国家のエルサレム国の住民であり、シオニズム国家イスラエルとしてアラブ人を排除できるわけではない。ガザや西岸のような占領統治は起こり得ないだろう。アラブ諸国の側も特定の宗教がエルサレムを占拠することのヤバさを心得ているため、無理にユダヤ人を排除することはない。

 エルサレム国の地理的条件を考えると、平和なまま終わるとは考えにくい。エルサレム国は中東地域の地域の中心に位置し、しかもユダヤ人とアラブ人の対立という一触即発の火種を抱える。イラク・シリア・レバノンと同様に、凄惨な紛争が発生することは避けられないだろう。南アフリカは地理的に孤立していたため、こうした紛争を避けることができた。パレスチナ紛争は入植者問題・宗教問題・地政学問題の3つが合わさった究極の紛争であり、だからこそ解決が難しい。これはイスラエルが建国されなくても十分に発生しうるだろう。

 ただし、イスラエルの建国がトラブルを悪化させたことは間違いない。ユダヤ人至上主義国家のイスラエルはアラブ人を包摂するのが難しいので、必然的に排除の論理が横行する。現状を考えても、イスラエルの人口の20%はアラブ人だし、西岸の人口の20%はユダヤ人入植者だ。両者は同じ地域の住民であり、もとから分離は不可能にも思える。レバノンやシリアといった多数の宗派が混在している国はこうした宗派主義国家の建設が深刻なトラブルを引き起こすのを知っているので、宗派のバランスにはなにかと慎重だ。ユダヤ人はヨーロッパの出身なので良くわかっていなかったのかもしれない。

 エルサレム国の紛争は史実のパレスチナ問題よりも大規模になることはあり得るが、それでも問題の深刻度ではマシだろう。レバノンやシリアの内戦と比べて国際社会の関心は強いだろうが、そのことが史実のように問題を悪化させるわけではない。エルサレム国は中東の紛争国として認識され、常に国連の平和維持部隊の監視下に置かれる。エルサレム国の軍隊は機能せず、ユダヤ人武装勢力は武装解除に応じないだろうから、史実のヒズボラのような組織が出来上がるだろう。

 この地域はやっぱり複雑極まりなく、世界の火薬庫なのだ。

追記

 史実にはない展開を1つ忘れていた。エルサレム国にとって1つ有利になる条件がある。それはエルサレム国のアラブ人の平均所得が史実よりも遥かに高いと思われることだ。おそらくレバノンと同等だろう。この場合、エルサレム国のアラブ人はエジプトやヨルダンの人間に同胞意識を持ちつつ、若干見下している状態になる。そのため、ナセル主義者の浸透はすこし難しくなるかもしれない。史実のガザは悲惨な生活条件に追いやられているため、エジプトの指導やアジを喜んで受け入れたが、エルサレム国のアラブ人はあまりエジプト人の話にありがたみを感じないだろう。自国よりも貧しい国に併呑されたい人はあまりいないからだ。従ってシリアのレバノン介入のようにエジプトの介入はエルサレム国のアラブ人にとっても苦々しいものになるだろう。

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