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<地政学>詰んでいるように見えて恵まれているモンゴルの地政学

 地政学ではだいたい大国に挟まれた小国というのは悲惨な目に遭うとされている。ポーランドとかウクライナといった国がそうだ。しかし、この法則はそこまで当てはまらない。小国が滅ぼされる運命なら世界こんなに多くの小国は残っていないだろう。小国であっても並みの大国以上に恵まれている国も存在するのだ。今回はそんな話である。

中露に挟まれたモンゴル

 こんなジョークがある。

「モンゴル人が国境を越えて亡命した」
「いったいどこにだい?」

 冷戦時代、共産主義国では亡命する人が多かった。しかし、モンゴルの場合はなかなか難しい。なぜなら国境を接する隣国が中国とソ連しかなかったからだ。この国はユーラシアの二大大陸国家によって挟まれているのである。いずれも専制国家として悪名高く、毛沢東とスターリンの時代には大量の犠牲者を出していた。そんな国に挟まれたモンゴルは世にも悲惨な運命が待ち受けていたようにも思える。

 ドイツとソ連に挟まれたポーランドのように、陸軍大国に挟まれたモンゴルは悲惨なのだろうか。実際、モンゴルを見て地政学的に詰んでいると考える人は多いようだ。しかし、モンゴルが悲惨な目に遭ったことはあまりないし、少なくとも現時点ではかなり恵まれた立場にある。

モンゴルの継承国としてのロシア

 近代以前、ユーラシア内陸部は遊牧民の根城だった。彼らがユーラシアの歴史に多大なる影響を与えたことは良く知られている。その中でも筆頭はモンゴルだった。モンゴル帝国は東は朝鮮半島から西はポーランドまでユーラシアの大半を征服した史上最強の帝国だった。

 そんな遊牧民だが、近代になると火器の普及などで勢力を弱めていき、日陰の存在になる。遊牧民が衰退した空白地帯に進出したのはロシアだ。ロシアはモスクワ付近のスラブ人が遊牧民の衰退に乗じて東に進出してできた帝国である。もともとモンゴルの臣下だった諸侯が形成逆転したことになる。

 ロシアはヨーロッパの一部というよりも、むしろ遊牧民の後継者としての地政学的性質を持つ。位置が同じだから当然のことだ。旧ソ連はそれ自体が一つの地域を形成している。それは近代以前は遊牧民の、近代以降はロシアの支配を受けた共通の歴史を持つのだ。しばしばモンゴルは東アジアと、中央アジアは中東と、ロシアはヨーロッパと結びつけて考えられるが、実際はお互いとの結びつきの方が遥かに強い。ユーラシア内陸部とはチンギスハンの地であり、ティムールの地であり、スターリンの地だ。この三人はいずれも名前が「鉄」に由来している。彼らは地域の三大英雄(あるいは殺戮王)と言えるだろう。

 要するに、筆者の言いたいことはモンゴルが東アジアの国ではなく、旧ソ連の国だということである。モンゴル人の東アジア風の容姿を見ればなかなかそう思えないかもしれない。しかし、カザフスタンやキルギスといった共和国、さらにはシベリアには東アジア風の民族は沢山いる。バイカル湖周辺の民族はモンゴル系が多い。実はかつての遊牧民の子孫の多くは旧ソ連圏におり、ロシア語を話している。容姿は決め手にならない。そもそもロシア人にはモンゴル系遊牧民の血を引く人間が多く、両者は近い存在なのだ。

モンゴルの近代史

 モンゴルは近代が始まった当初は清朝の支配下だった。満州族の国だった清朝はモンゴル高原の遊牧民を服属させ、共同で中国に侵攻していた。モンゴルは清朝の自治領という形で緩やかな支配が行われていた。

 清朝が崩壊するとこの様子は一変する。清朝は皇帝を頂点とし、中国本土・モンゴル・チベットなどがそれぞれ同君連合のような形で服属するという形態の国家だった。モンゴルとしては満州人の皇帝に従ったことはあっても、漢民族の中国に従ったことはない。中華民国が建国されるとモンゴルを領土に組み込もうとしたが、モンゴル人は反発する。中華民国とモンゴルは何も関係が無いではないかという話だ。モンゴルでは独立運動が盛り上がり、チベットと連帯した。

 そこに隣国ロシアで内戦が勃発する。白軍の一部がモンゴルに逃亡したことをきっかけに赤軍がモンゴルに進軍し、現地の共産主義者と関係を結んだ。モンゴルのうち、赤軍が進出した地域は分離され、独立を果たした。世界で二番目の社会主義国、モンゴル人民共和国としてである。漢民族が過半数を占めていたことから中華民国に留まった地域は内モンゴルと呼ばれた。

 モンゴルは事実上ソ連の16番目の共和国として存在していた。ノモンハン事件でも当たり前のごとくモンゴル領でソ連の軍隊が日本軍と戦闘していた。1937年より始まる大粛清でモンゴルでも殺戮の嵐が吹き荒れ、数万人が処刑された。これはモンゴルの近代史で唯一ともいえる大量殺戮である。モンゴルは独ソ戦への従軍は行わなかった。ソ連対日参戦にほんの少し参加した程度である。

 戦後の中ソ対立でモンゴルは当然のごとくソ連側に付いた。この時代はモンゴルは中ソの緩衝地帯ともみなされるようになる。やがてペレストロイカが始まるとモンゴルでも自由化が始まり、ソ連崩壊と同時に民主化が達成される。

 これらの歴史を振り返ってもわかるように、モンゴルはソ連とのつながりが非常に深かった。モンゴルはソ連が作った国家であるし、文字もキリル文字を使っている。人的交流も盛んだ。モンゴルという国はソ連の友好国という域を超えており、むしろソ連の自治領といった気配すら感じられた。モンゴルは中央アジアの旧ソ連諸国と同じく、いつの時代もロシアに近かった。中国とロシアの二択を迫られた時はいつでもロシアを選んだ。

モンゴルの地政学

 モンゴルは非常に小さい国だ。あれほどの面積を持ちながら人口は200万人ほどで、国連加盟国で最も人口密度が低い。そのほとんどが首都のウランバートルに集中している。他に都市らしきものはない。モンゴルはキルギスやタジキスタンといった国と比べても過疎地帯であり、政治的・経済的・軍事的な自立は不可能である。

 このような小国の場合、むしろ割り切りやすい。どのみち自国だけでは生きていけないと分かっているので、大国のパトロンが前提になる。モンゴルの場合はロシアだった。モンゴルをロシアの一部と考えるのなら、むしろ広範な独立性が認められており、非常に恵まれた立場にいる。これが小国にとって最も賢い生き方だ。中途半端に国力があった方が、割り切ることができずに困った事態になることが多い、

 モンゴルと中国には因縁が存在する。モンゴルを含めた遊牧民系の民族は、どうにも中露の二択でロシアを選ぶことが多いようだ。内モンゴルの反中傾向は強かったが、モンゴルやロシア領内のモンゴル系民族はそれほどロシアに敵対的ではなかった。トルコ系の民族や中央アジア諸国などもロシアの方に忠誠心が強い。中国の経済的な豊かさがロシアを上回るようになれば少し変わるかもしれないが、現時点ではモンゴル人は中国に支配されることを非常に嫌がっている。そして、中国に飲み込まれない一番良い方法はロシアとの関係を強化することだ。

 ロシアの傘下に入ったことでモンゴルは安全になった。中ソ対立の時もモンゴルは中国に攻められる心配は無かった。それはすなわちソ連との開戦を意味するからだ。モンゴルはロシアの力によって中国から抜け出せた国であり、ロシアに恩義を感じるのは当然だ。ロシアは一貫してモンゴルを保護した。ロシアにとっては中国との緩衝地帯のモンゴルはただ存在するだけで利益になるからだ。あまりに小さいので軍備拡張を押し付けられることもなかった。モンゴルもそれを不満に感じることは無かった。ロシアを断ち切れば中国に支配されるだけだからだ。

 モンゴルの恵まれているところは、いい意味で政治的な自立性を保っていることである。ソ連崩壊後は民主化を果たし、中露のような専制体制にはなっていない。西側との交流も盛んだ。ウクライナ侵攻には冷淡だが、それは中央アジアの共和国だって同じだ。かなりの自律性を確保しているようだ。

現状が続く限りモンゴルは安泰

 モンゴルは今のところ安泰だ。中露は今後も冷え切った友好関係を続けるだろう。それは中国とロシアの間に広大なシベリアという緩衝地帯が存在するからだ。この緩衝地帯の一部をなしているのがモンゴルということになる。モンゴルが存在することはロシアはもちろん、中国にとっても利益になる。

 モンゴルの安全保障にとって最大の目標は中国に飲み込まれる事態を避けることだ。そしてその可能性は今のところ低い。第一にモンゴルの人口は少なく、中国の脅威にならない。第二に中国のライバル国は日米になるので、北方には目が向かない。第三にモンゴルを侵略した場合、ロシアが激怒し、自ら対中包囲網を強化してしまう。

 モンゴルは内政面でも恵まれている。モンゴルの経済は成長が続いており、中国の周辺部くらいの水準はある。この点だけはモンゴルは旧ソ連よりも東アジア的だった。それにモンゴルの特殊合計出生率はかなり高く、この点は中央アジア的だ。モンゴルは人口が首都に集中していることや、ソ連時代に国家基盤が整備されたことが原因で、第三世界にありがちな政情不安に陥るリスクも低い。政府は民主的で開かれている。鉱産資源も豊富であるため、食うに困ることは無い。

モンゴルのリスク

 唯一の不確定要素はロシアがあまりにも衰退してしまうことだ。中国は人口減少が始まったが、まだまだ経済成長が続いており、国力は右肩上がりだ。一方のロシアは人口減少と経済停滞で広大な国土を維持できるのかも怪しくなっている。特に東アジアと接するシベリアや沿海州の衰退が激しい。これらの地域からはものすごい勢いで人口が流出してしまっている。ロシアが東方の領土を維持できなくなると、中国がシベリアに進出し、地域を支配してしまう可能性はないだろうか?

 実際、ウクライナ侵攻でロシアが泥沼にはまった結果、中国の北進を危惧する人も出てきた。シベリアには大量の石油資源があり、中国がこの地域を手に入れれば東アジアの大陸側がほぼ統一されることになる。この展開になった場合、モンゴルは中国に飲み込まれる可能性が高くなる。

 このシナリオでロシアがすんなりと衰退を受け入れるとは考えにくい。まずロシアには大量の核兵器があるため、中国が北進してもそれを食い止めるだけの抑止力がある。西側は東アジア大陸部の統一という悪夢を避けるため、ロシアに何らかの形で肩入れするだろう。このシナリオでモンゴルは地政学的争点になってしまう可能性が高い。中国がバイカル湖方面に進出する上でモンゴルは通過点になるからだ。

 ソ連崩壊でモスクワが数世紀の間つなぎとめていた辺境地域は次々と独立した。ウクライナも中央アジアもコーカサスもモスクワの支配を離れていった。しかし、交通の便が悪いにもかかわらず、シベリアはロシアの下に残った。ロシア民族が多いという理由が大きいが、それだけではない。シベリアは独立しても自立できる可能性が低いのが明白だったため、独立を望まなかったのだ。中国や日本の格下の衛星国になるくらいならロシアでいた方が良い。モンゴルもおそらく同様にロシアへ依存し続けた。このロシア依存の構造が解体された場合、どのような現象が起きるのかは全くの未知数だ。このシナリオでは中央アジアもおそらくは中国によって制覇されていくだろう。

 小国は意外にしぶとい。それは小国が誰の脅威にもならないからであり、大国が守ってくれるからでもある。どっちつかずになったり、国内が不安定だった場合は周辺国の食い物にされるが、幸いモンゴルはどちらでもない。小国の生き残りに重要なのは特定の大国のパトロンを決めることだと思われる。モンゴルが危機にさらされるとしたら、それはパトロンのロシアが崩壊することであり、そうなればシベリアや中央アジアと同様に中国やその他の争奪戦に巻き込まれるだろう。




 


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