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自己紹介(学生時代) ~あだ名は「ぼろビル王子」~

簡単ですが自己紹介させていただきます。

私は、千葉県千葉市で生まれました。
当時は、ビル経営をメインに行い、地元でビルを10個ほど持つ一族の長男として生まれ、所謂プチ御曹司でした。

あだ名は「ビル王子」。
良い気分でした。

しかしながら、我が家の実態は借金まみれ。
地元のターミナル駅にて、貸しビル業に徹していればよかったものを
一族で複数の事業を経営し、これがことごとく環境適応できずに衰退していきました。

もともと千葉市は川崎製鉄のおひざ元で鉄鋼の街として、
たくさんの労働者の方が活躍していた街でした。

そこで、麻雀事業、サウナ、カプセルホテル、整体院を自社で経営しつつ
ラーメン屋、スナックなどをテナントでいれており、一時は相当バブリーでした。

祖父は、株で財を成した人で、とにかく鉄鋼一択。
株に事業に、ととにかく鉄鋼に賭けた方でした。

しかしながら、鉄鋼会社の衰退とともに、我が家も衰退していきました。

鉄鋼所は、縮小し、ショッピングモールやサッカー場に。
労働者にむけたスナック街やパチンコ店はマンションに。
街並みも大きく変わっていきました。

「労働者向けの商売」から脱却できない我が一族はジリ貧でした。

環境適応できないまま、売上利益が毎年右肩下がりになっていく中、
一族には新しい戦略が必要でした。

しかし、祖父は、病気で亡くなり、祖母が一族を牽引も既に高齢。

我が家一族の長男で盟主であるはずの父は、社会性が著しく低く、
一族での話し合いを恫喝で止めることも多く、嫌われていました。

父は自衛隊出身で、スポーツ抜群。
が、アイデンティティがそこにあり、「俺は自衛隊で一番力が強かった」が口癖で、酒を飲んで暴れるタイプ。
自己愛が強く、絶対サラリーマンに慣れないタイプでした。

父はおそらく、広域性発達障害というか、たとえば歴史上の人物でいうと
織田信長などのように、バランスをとるタイプではなく、とことん好きなことに集中するタイプでした。
そのため、現在父が取り組んでいる独自の整体メソッドは、40年以上ご愛顧客もいらっしゃり素晴らしい実力もある反面、いわゆる人間関係の調整力やビジネスマンとしての知見は皆無でした。

今でこそ、父のことを尊敬できるようになりましたが、
当時は超嫌いでした。

創業者である祖父をなくし、承継者の経営者としての資質も乏しい中、
ある理由で駅前の好立地での貸しビル業という競争優位性も徐々に失われていきました。

サウナの入口の横に、私の自転車が置いてあったり、飼い犬が糞をしていたり、麻雀の入口が祖母の入口であったり、ビルの作り自体が、公私混同感満載でした。

そんなビルでしたので、まともなテナントも入らず、いびつな作りから他に転用もできず、ビルもぼろくなり、ジリ貧となっていきました。

中学校に入るころには、私のあだ名はぼろビル王子に変わっていました。
空き店舗ばかりで、修繕もしておらず、ボロボロとなっていく中、この家に生まれなければ良かった、普通のサラリーマンの家で生まれたかったと強く願う日々でした。

私が孫正義さんくらい、主体性あふれる人物であれば、物語は変わっていたかもしれませんが、私はとにかく被害者面で、悲劇の主人公を演じる事に必死でした。ビルがぼろいから彼女ができないとすら思っていました笑 (絶対に関係ないですね)

そんな中、父が祖父の背中をみていたためか、祖父から相続した現金資産をすべて、アメリカ株に突っ込むというファインプレー(?)

一時は、ゲノム株が盛り上がり、毎日父が上機嫌でしたが、バブルは泡のごとく崩壊。
自信の塊だった父が魂の抜け殻になっていました。
10億くらいは吹っ飛んだと聞きました。

今ならば、10億の現金資産が有価証券になり評価損を起こしたあとの
資金繰りがどれだけ厳しいかわかります。

その後、わが一族が保有していた株式会社は消滅することになります。
幸いな事に駅前の広大な土地は自社保有だったので更地にして、
その土地が売却できましたが借金は消し切れず、父は自己破産しました。

今になって思うと、必然性をもって倒産に進んでいったとはっきりとわかりますが当時はなぜこんなに真剣に頑張っているのに、どんどん経営が傾くのかわからず、ビルが跡形もなくなったときに、寂しい気持ちでいっぱいでした。

余談ですが、ビルの後地に大きなマンションが建ちましたが、
建設現場には、「爺さんの霊が出る」と、建設会社で問題になっていると祖母から聞きました。
本当かはわかりませんが、もし霊が実際にいたのならば、祖父だったと思います。

きっと無念だったのだと思います。
子供たちに、ビルと家を建ててあげてても、すぐにビルがなくなって、
一族まで離散したことは、きっと耐えられず、解体現場に現れたのだと想像します。

「霊は家にまでついて行く」という話まで聞こえてきました。
本来は怖い話なのかもしれませが、私は「じいちゃんはガッツがあるな」くらいに思い、むしろ感心していました。笑

一方、そんな執念をもって経営に臨んでも、環境適応できなければ
会社はなくなってしまうのかと、中小企業経営のはなかなさを感じた学生時代でした。

私は、当時、小学校の先生にあこがれており教員免許を取得する道を歩んでいましたが、家業の倒産があってから、中小企業経営に興味を持ち、企業コンサルタントを志すことにしました。

続く

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