100年ずつ時を戻してみる

100年という言葉はよく使われています。例えば、人生100年時代というフレーズや100年後の未来はどうなっているかといったようなものです。今回は、100年後の未来の逆である100年前について取り上げます。さらにその100年前というような感じで今から300年前までのことについて話していきたいと思います。

今年は2024年なのでその100年前は1924年です。

           

1924年(大正13年) 

天皇は123代大正天皇、総理大臣は22代第2次山本権兵衛内閣(1月7日まで)→23代清浦奎吾内閣(6月11日まで)→24代加藤高明内閣の3人がこの年に総理大臣となりました。
○この年、シャモニー・モンブラン(フランスの地名)オリンピックという初の冬季オリンピックが開かれました。1月25日から2月5日まで行われました。また同じ年にパリオリンピックという夏季オリンピックも開かれています。5月4日から7月27日まで行われました。両方ともフランスで開催されました。
○1月26日には当時皇太子であった裕仁親王(のちの昭和天皇)と良子女王(のちの香淳皇后)が結婚しました。
○3月3日には後に81代総理大臣となった村山富市が誕生しています。村山富市は大正時代に生まれた総理の中で唯一存命している人です。



1824年(文政7年)

天皇は120代仁孝天皇、将軍は江戸幕府11代将軍徳川家斉です。
○大津浜事件と宝島事件というイギリス人が関わった事件が起こりました。この結果、翌年に幕府は異国船打ち払い令を出すことになります。
○家斉の孫で後に江戸幕府13代将軍となる徳川家定が誕生しました。
○幕末に活躍することになる大村益次郎が誕生しました




1724年(享保9年)

天皇は114代中御門天皇、将軍は江戸幕府8代将軍徳川吉宗です。
○この時代には吉宗による享保の改革が行われていました。この頃は米の生産量が増えたことで新たな問題が起きました。米の価格は下がるのに対して、他の作物の物価は下がらなかったため、米を売って生活する武士に大きなダメージを与えました。そこでこの年、吉宗は物価引き下げ令を発令しました。
○伊藤東涯が制度通という書物を完成させました。これは、古代中国の制度沿革とそれに対応した日本の制度に関係する所を項目別に書いたものです。しかし世間一般に出したのは、それよりはるか後の1797年に東涯の息子である伊藤東所が発表しました。


江戸時代の100年間というのは比較的変化が少ないと思います。しかし、大正から今の100年間は驚くほど変わりました。今より100年前は当然スマホもなく、また選挙権も一部の男性の人にしか与えられていませんでした。文明の発達に本当に驚かされます。





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