紫式部の血縁関係

今、大河ドラマで「光る君へ」という紫式部の生涯を描いた内容のものが放送されている。ちなみに僕自身は大河ドラマを見ないため、
今回の「光る君へ」も見ていません。ただ、紫式部の血縁関係には興味があるため書いてみようと思います。

紫式部は藤原為時の娘として生まれ、後に時の権力者である藤原道長の娘彰子に仕えました。紫式部は藤原氏の人です。

最初、系図を見たときに驚きました。まさか紫式部が中臣鎌足(藤原鎌足)の子孫だとは思っていなかったからです。2人とも小学校の教科書にも載るほどの有名人でありますが、生きた時代は350年ほど違うため無関係だろうと勝手に思っていました。それが先祖と子孫の関係だったことは衝撃的でした。

話を戻すと、紫式部も藤原道長も両方藤原氏であるためどういった血縁関係だろうと考えていました。調べてみたところ2人とも藤原北家である
藤原冬嗣の子孫であることがわかりました。

そもそも藤原北家とは何かというと、藤原不比等の次男である房前を祖とする4家のうちの1つです。後の3つは、不比等の長男である武智麻呂を祖とする南家、不比等の三男である宇合を祖とする式家、不比等の四男である麻呂を祖とする京家があります。


藤原道長より200年ほど前に活躍した人物です。藤原冬嗣は嵯峨天皇(桓武天皇の息子)から信頼を得ており、810年におきた薬子の変の少し前の時期にできた蔵人頭という天皇の秘書のような仕事をする立場に選ばれました。このときから藤原北家は力をつけていきました。

藤原冬嗣の息子の中で今回話をするのは、長良と良房と良門の3人です。
まず紫式部は良門の子孫です。
次がややこしいのですが、藤原道長は基経の子孫です。基経の実の父親は長良なのですが、基経は自分の叔父にあたる良房の養子に入っています。
藤原道長は長良の子孫ということになります。血のつながりだけを考えると良房の子孫とは言えません。

          系図はこんな感じです
<紫式部の系図><藤原道長の系図>           

  藤原冬嗣     藤原冬嗣
    ↓        ↓
   良門       長良
    ↓        ↓
   利基    基経(良房の養子に入る)
    ↓        ↓
   兼輔       忠平
    ↓        ↓
   雅正       師輔
    ↓        ↓
   為時       兼家
    ↓        ↓
   紫式部      藤原道長
          

藤原氏は特に出てくる人物が多く、この藤原◯◯とあの藤原〇〇はどういった親戚関係なのかといつも疑問に思っています。

今回テーマにした紫式部も藤原為時の娘という情報は簡単に出てくるのですが、ほかの藤原氏とどういったつながりなのかは、自分で系図を見ないと分からなかったので本当に勉強になりました。これからも定期的に歴史人物の血縁について語りたいと思います。
参考文献 倉本一宏「藤原氏」ー権力中枢の一族ー
      第一学習社「新訂総合国語便覧」
       


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