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ルームメイトは野球がお好き

【短編小説#6】

桜の開花予想が話題になり始めるとルームメイトの美和ちゃんが浮かれ始める。大切にしまっていた推し球団のユニフォームとタオルを部屋中に飾りつけているのを見ると、野球狂想曲がヒタヒタと迫ってきているのを感じる。

いついかなるときも、いついかなる場所でもライブ中継を見逃さないために美和ちゃんはプロ野球セットを契約し、テレビでもスマホでも対応できるようID連携したりと大忙しだ。どっちみち野球最優先で生活しているのだからその契約は不要だろうと思うのだが口には出さない。同居人の趣味嗜好には最大限の敬意を払うのがルームメイトとしての心得だ。


開幕カードの録画予約と視聴予約を済ませた美和ちゃんは今度はビールやワインの発注にかかりきりだ。野球に対して特別の感情を抱けない俺が、野球のことしか頭にない美和ちゃんにひれ伏して拝み倒してルームメイトにしてもらったのにはそれなりの理由がある。


俺は美和ちゃんの父親の弟の妻の連れ子なので血縁関係はない。血のつながらないイトコだ。俺が小学校に上がる前の年、事件は起きた。一家心中の当事者となり俺一人生き残った。こんなこと、自分の身に起きるとどうなると思う? 世界は反転し、見知らぬ場所にひとり放り込まれる。当時のことはあまり思い出せない。というか、絶対に思い出すものかという自分の気持ちを尊重している。ただ、こういう特殊な生い立ちが俺を他人からわかりにくいといわれてしまう独特な生き物にしたのではないかとは思う。


あまり覚えていないけど、事件後の俺は全然しゃべらず、美和ちゃんのそばでぼんやりしていたらしい。そのうち親戚がわらわら集まってきて俺の処遇についての話し合いが始まるや美和ちゃんは

いやだ、和ちゃんと離れたくない。パパ、お願い
和ちゃんをうちに置いてあげて

と絶叫し庭に走り出て土下座までした。このときの美和ちゃんの勇姿は今でも脳裏に焼き付いている。その瞬間から美和ちゃんは俺の英雄であり恩人となった。小学校に入学したばかりでこんなことができるなんてすごすぎる。

こういういきさつがあり、俺は美和ちゃんとひとつ屋根の下で、ひとつ年下の血のつながらないイトコとして大きくなった。伯父さんはようやく授かったひとり娘の美和ちゃんにぞっこんだったけど俺には違う顔を見せた。

お前がこうして何不自由なく暮らせるのは美和のおかげなのはわかっているだろうな。お前は死ぬまで美和に尽くせよ。裏切ったらただではすまないからな。

伯父さんにこう言われたとき戦国時代かと思ったけど、美和ちゃんならまぁいいかと思うことにした。もともとはオマケみたいな人生だ。美和ちゃんに尽くして生きるのはそれほど悪くはないと思うことにしたのだ。


少しずつわかってきたことだが、ひとつ年上というだけで美和ちゃんはあの事件からかなりのダメージを受けていた。俺と美和ちゃんはよく縁側に座って庭の草木や花、訪れる小鳥とかを眺めて過ごした。黙ったまま何時間も座わり続けるなんて遊び盛りの子どもがすることではないのに伯父さんと伯母さんは気づかなかった。


美和ちゃんはあの事件以後、家から出なくなった。不登校が始まり、それは義務教育のあいだ揺らぐことなく貫かれた。美和ちゃんは学校に行かないことで浮いた時間を野球を見て過ごすようになった。録画して何度も見て野球好きの自分自身を作り上げたのだろうか。野球に精通することで美和ちゃんは安息の場を手に入れようとしているようにも見えた。


俺は伯父さんに言われるまま医学部に進学し看護師を目指した。美和ちゃんの命と生活を守るのが俺の仕事というわけだ。そのために高い授業料を払っているのだからなと何度言われたことか。

大学卒業を控えたある夜、美和ちゃんが俺の部屋にやってきた。
「あんたをこの家から出してあげる。わたしが話をつけてくるから。父に何を言われてもわかりましたっていうのよ、いいわね」


何のことかわからなかったけど、翌朝、伯父さんに呼び出された。
「美和がどうしても一人暮らしを始めると言い張っている。もう許すしかないだろう。美和に嫌われたくないからな。つまり、美和はこの家から出ていく。ということはお前も美和についていけ。ボディーガードだよ、わかるな」


なるほど、そういうことか。俺はできるだけ神妙な面持ちを意識して
「わかりました。これまで本当にお世話になりました。ありがとうございました」
と余計なことは言わず、深々と頭を下げた。そして美和ちゃんのシナリオ通り、俺は円満に伯父さんの家から脱出することに成功した。


美和ちゃんと俺は引っ越し先のマンションのソファに座って推しの勝ち試合の録画を見ている。大量リードを奪われるもコツコツと点差を詰めてサヨナラ勝ちした何度見ても泣いてしまうという美和ちゃんイチオシの録画鑑賞に付き合わされている。


美和ちゃんが視線は画面に向けたまま話し始めた。
「和ちゃん、今日からはもうわたしにも父にも気を遣わなくていいのよ。これからは好きなように生きてください。あのとき、わたしがあんなことを父に頼んだばっかりに和ちゃんには大変な思いをさせてしまった。ごめんね」
思いもよらない美和ちゃんの言葉だった。不意に今まで経験したことのないような熱い何かが体の内側に満ちあふれてきた。


「どうしたんだよ、美和ちゃん。そんなこと言わないでこのままここに置いてくれよ。先のことはわからないけど、今は美和ちゃんのそばにいたいんだ。お願いします」
俺は美和ちゃんの足元にひれ伏し拝み倒した。


頭上から美和ちゃんの声が聞こえてきた。
「仕方ないわね。そのかわり一緒に応援歌うたってくれるよね」
と野球のことになると無理強いしてくるいつもの美和ちゃんがいた。


それからあっという間に3年が過ぎて、俺は今も野球が全ての美和ちゃんのそばにいる。野球野球と言っているうちに気がついたら白髪のおばあさんとおじいさんになっているって、もしかすると幸せな人生なのかもと思い始めている。


#野球が好き

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