見出し画像

結局全員自分のことしか考えていないと気づいてしまった話

初めましての方は初めまして。そうでない方はいつもお世話になっております。

朝霧くもりです。

今回は、人間社会における利己主義について話していきたいと思います。

それでは行ってみましょー!



利他主義?そんなものは存在しない

まず、先に用語の説明だけしておきます。

利己主義:自分の利益を最優先に考える思想
利他主義:他人の利益を最優先に考える思想


さて、人間社会では、自分だけが良ければどうでもいい利己主義者と、他人を助けてこそ自分があるという利他主義者が存在します。

利己主義は非常にわかりやすいです。
何故なら、「自分の人生をよくするために自分で何とかする」という良くも悪くもストレートな思想であり、生物の本質的な「自分の子供を多く増やす」目的に近い考え方だからです。


しかしながら、利他主義はどうでしょう。

他人のために何かをするという事は社会的には大きな意義がありますが、必ずしも自分に返ってくるとは限りません。


社会性の生物(アリやハチ)では、利他主義的な行動は良く見られます。

例えば、働きアリは女王アリのために24時間働き続けます。
人間に置き換えると、プライベートなどなく24時間仕事場で作業をし続けているようなものです。


このことから、利他主義的な行動をとる生物は感情がある、自由意志があるとは言えない状況です

つまり、プログラムされた通りに動くだけの機械と同じです。両者の違いは、それがコードによるものか、遺伝子によるものかだけです。


一方で、人間は労働による社会性を維持しつつも、それ以外の時間では自由が約束されています。

すなわち、人間は他の生物と比べて中途半端に社会性を持っていて、中途半端に自我を持っているということです。

また、人間は100%遺伝子によってその人の人生が決定すると言う訳ではありません。
後天的な環境要因が複雑に絡み合うことで、その人の生き方が決まります。

逆に言えば、クローン人間10体を異なる環境に放り込んで生活させれば、思想や人生観が異なる10人の人間が誕生するでしょう。
そうで無かったら人間も所詮プログラムに従うだけの存在であるという事になります。


話は逸れましたが、変に社会性を持っているせいで利他主義者が生まれるということです。


人間の利他主義は利己主義の範疇に過ぎない

しかし、私は人間の利他主義に懐疑的です。

その理由は、人間の利他主義は自分へのリターンを常に考慮して行われる行為だと考えるからです。


例えば地域清掃のボランティアでは、自分へのリターンは「コミュニティににおける地位向上」、「社会貢献したいという心の充足」になります。

また、財布を拾って交番に届けるのも、「良い事をした事実の獲得」や「自分が落とした時も届けてくれることを期待する心」から来ていると自分は考えています。


このように考えたきっかけは、母親の影響です。

私の母親はよく「子供が幸せならそれでいい」と言いますが、実際の言動では利己的な思考が垣間見えます。


その最たる例が私が風邪に罹った時の事です。

手厚く看病して頂いたのですが、台所でポロっと「子供が元気じゃないとお母さんが辛くなる」という言葉を聞きました。

一見すると子供愛に溢れた言葉に見えますが、その実は「自分が精神的に辛くならないために、子供の看病をしている」という利己的な言動になります。


そういった家庭で育ったために、利他主義的な言動は全て、心の充足か金銭的・社会的なリターンを考えて行われると考えるようになりました。


友達同士で遊ぶのも、道端で老人を助けるのも、家族で助け合うのも、全て利己主義に起因するに過ぎません。

心が貧しいだけかもしれませんが、人間観察の結果から利他主義は利己主義から派生した考え方に過ぎない、という結論を得ました。


あなたのためになりたい、と言ってすり寄ってくる人間が結局自分のリターンを第一に考えているなんて、恐ろしいと思いませんか?

そんなこんなで、私は今人間不信に陥っています……


〆の挨拶

ここまでお読みいただきありがとうございました!

湿っぽい話になってしまいましたが、こんな記事でもどなたかのお役に立てれば嬉しいです。

参考になった方はいいね、フォロー頂けると励みになります。


また次回の記事でお会いしましょう!
サラダバー!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?