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セクシュアルマイノリティとまでは言い切れないもの

私は女性として生まれ、女性として生きている。
特に心と身体の性別の不一致も感じたことはない。

だが、自分が女性だということを
強く感じる場面がとても苦手だ。

女性としての自信が全然ないからだ。

女性らしい体型じゃないし、
性格も俗にいう女性らしさとはかけ離れている。

スカートよりもパンツの方がしっくりくる。
女性としての意見を聞きたい、などと言われると
責任が妙に重くて逃げ出したくなる。
“女性としての意見”ではなく“私の意見”なら
言えるが。

特に周りとの圧倒的な違いを感じるのが
恋愛に対するスタンス・意識だ。

私の中で、恋愛の重要度はとても低い。
日常生活の中でそれがなくても困ったことがない。
恋愛からしか学べない大切なことがあるのだろうということはわかっている。
人を好きになったこともある。
でも、それが叶わなくても落ち込むほどショックは受けないし、好きになってもらえないなら仕方ない、という具合に割と簡単に諦めがつく。
自分が好きだから、相手からも好きになって欲しい、というのもまた自分勝手な話だよなぁと思うくらいの余裕がある。
「それは好きじゃなかったんだよ〜」などと周りからは言われるが、その時はそういうわけじゃない。私の好きは、いつでもその温度だから。
そもそも「自分が」誰かと「付き合う」とか「恋人」同士になるということに、昔からずっと違和感があった。
だから、少しでも「いい感じ」になりそうな雰囲気があれば、全力で茶化して今まで逃げてきてしまった。
無自覚なうちにいろんな人を傷つけてきたのかもしれない、と今は申し訳なく思う。

思春期の頃は、それが大人になれば治ると思っていた。
まだ子供だからだと思っていた。
きっかけがあれば変わるんだと思っていた。

でも、30歳を前にしても、その違和感を誤魔化すことはできるようになっても
完全に感じない、という状態にはなっていない。
自分事として想像できない。
そんなことしている自分が気持ち悪い。
それを、私なりの理性で抑え込む。

前の記事で、モテる人をなんとなーく羨ましく思ってはいた、ということを記したが
それは多分、自分が唯一の存在として誰かから必要とされることを羨ましがっていただけで
恋愛の本髄のことは無視した自分勝手な感情だったのだ。

心のどこかでは、女性としての自分に自信を持ち、堂々と女性として振る舞いたいのに、
もう一人の本当の自分が、それに対して湧き上がってくるような拒否感を示す。

おかげで年齢の割に、相応の恋愛経験とやらをほとんど積んでいないため
自分は何か大切なものが欠けた人間なのではないか、
どれだけ頑張って生きていても未熟なままなのではないか、という劣等感をずっと抱えている。
自分だけが世の中から弾き出されて、他の人がガラスの向こうにいるように感じる孤独。
noteに記してきたものの一部は、そんな自分を必死に受け入れようとあれこれ考えた結果でもある。
探し出してでも、今ここにいる自分が存在する理由がないと耐えられなかった。



女性であることに違和感はないけれど。
自分は女性だと思ってはいるけれど。
女性としての心の濃度が少し薄い。

年齢的には結婚がどうこう言われるけれど。
自分には、女性としての役割を果たせる気がしない。
何より相手に申し訳ない。
そんなこんなで、恋愛・結婚市場に乗り出す気にもならない。

世間的にある程度概念が浸透している様々なマイノリティがある中で
中途半端で、名前をつけるほどでもないもの。
でも違和感を拭い去れなくて、そのせいで普通にもなりきれない。
そういうグレーなジェンダーの苦しみの中にいる人間がいることを誰かに知ってもらえたら、それだけでも嬉しい。

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