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いのちの理由

いのちには、理由がない。
いのちは、当たり前の顔をしてそこにある。
小さな小石や、タンポポの花のように
普段はそれと意識しないで通り過ぎている。

生きているのは奇跡だ。
歩けるのも、笑えるのも
食べられるのも奇跡なんだ。
理屈として知ってはいても
実感するのは難しい。

わたしがもし明日までしか生きられないとしたら
大切な人と一緒にいるだろう。
そして、希望を捨てないだろう。

明日までしか生きられなくても
わたしはあさってのことを考える。
自分が百歳になった時のことも考える。

そして、信じる。
わたしは百歳まで生きるだろうと。

どうしてみんな、夢を見ないのだろう。
どうしてみんな、現実を重んじるのだろう。

現実なんて無価値だ。
わたしたちはわたしたちの
信じるものになるし
信じるように生きるのだ。

明日死んでも、百歳まで生きることは可能だ。

目に見えないものを見るのだ。
風の音を聴くのだ。

小鳥のさえずりを
大切な人の言葉を
子供の頃の思い出を
感じ、その中に沈み込むのだ。

その時、わたしたちは自由で
何者でもない。
この体ではなく
この精神に還る。

わたしたちは精神である。
永遠なる精神として
わたしたちは生き、そして死ぬ。

現実の中に生きてはいない。
わたしたちは、自然から生まれ
自然に還る。

目に見えるものではなく
心に映るものの中に
生きている。

永遠に。

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