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風が吹くように

母は乳ガンになって、手術をすることをわたしたちは悩んだ。
切れば、生きられるかもしれない。
でもガンが散って、苦しみながら死ぬことになるかもしれない。
どちらかだった。それは完全なる五分五分というやつだ。どんなに悩んでも調べても、答えは出ない。
わたしたちには、五分に賭ける勇気がなかった。

抗がん剤や放射線の害はしみじみよくわかっていたから、それで生きられてもそれはごめんだと
二人とも一致していた。

手術の判断は、とても難しかった。
今でも、違っていたのではないかと思う。
思うけれどまた考えてもやはり
あれ以上の答えは出せないことに気づく。

母は、自分の闘病を書いてほしいと言っていた。
実際、母の闘病は奇跡の連続だったと思う。

最後まで、家でごはんを食べ
最後まで、すべてのことを自分でほとんど出来て
最後まで、しっかりと話していた。

薬を飲まなかったから、錯乱せず
ガンを刺激していないので、痛みもなく
薬の副作用がないので、吐き気や熱が出ることもなかった。

ただ枯れてゆくように
だんだん食べられなくなり
だんだん言葉が少なくなり
だんだん立つことが難しくなり
そして、たった数日間入院して
旅立っていった。
眠るように、まるで次もまた息をするつもりだったというような顔をして
母は向こうにいった。

痛いこと、苦しむこと
終わりが見えないこと
わたしを苦しませること
本来の自分でない状態で
永らえることを
母は最も恐れていた。

みんな言う。
早すぎた、と。
それはほんとうにその通りで…

でも、病とはほんとうに苦しいものだ。
そうなってはじめてわかることがある。
わたしは母に長生きしてほしかった。
でも、それはただのどうしようもない
エゴに過ぎないことを自覚していた。
叫びたいほど強いエゴだったけれど
それはごみ捨て場に捨てるべきものだった。
それだけはわかっていた。

永らえる、ことが全てではないのだ。
母を通して、わたしは知った。
十二分に善く生きた
愛し愛され、幸福の中で
そういう人は
すっと風が吹くように
去りたいと願う人もいるのだと。

それは、尊重されなければならない。
残された者が未だに
ここでメソメソしていては
なんの説得力もないけれど…

泣くのは自由だ。
母がいくまでは
母の意志を叶えることが全てだった。

なんであんなにあっという間に
いってしまったの、と話しかけても
それを望んでいたと
母が笑うであろうことを知っている。

悔いがなかったことを
わたしが1番よく知っている。

「幸せな人生だった」と最後
彼女は言った。

それ以上、何を望むのか。

わたしは母に感謝され、愛され
全てを与えてもらって、生きてきた。

ならば、与えよう。
同じように。
母のように。

生きることは素晴らしいと。
苦しみのただ中でさえ
愛は愛であると。

死を超えて
愛は生き続けると。

「お母さんはこれからもずっと
あなたと一緒だよ」
母は不思議なほど まっすぐな目をして
あの時言ったのだ。

母が言うのなら、そうなのだろう。
信じない理由がどこにあるだろう。

倶に、生きてゆこう。
変わらぬ愛の中で、生きてゆこう。
そしていつか再会したとき
土産話が多くなるように
まだまだ楽しいことをいっぱいしよう。

ずっと一緒にいるから
母にも見えているのだ。

お母さんのこと、書いたよ。
約束だったからね。
読んだら、イイネしといてね。
見えなくてもきっとわかる。
わたしには、きっとわかるから。

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